書評『中野本町の家』,図書新聞,3657号,2024年9月28日/

- 「中野本町の家」と言えば、プリツカー賞(2013年)など数々の受賞を得て、芸術院会員(2022)となった世界的建築家伊東豊雄のデビュー作として建築界では広く知られる。しかし、1976年に竣工した「中野本町の家」は、1997年に解体され売却されて現存しない。本書は、この住宅を建設し、20年間住んだ後、「解体」を決断した母娘3人への個別インタビューと設計者伊東豊雄の「解体」をどう受け止めたのかをめぐる論考によって構成されている。インタビューを担当したのは、鈴木明(建築・都市ワークショップ)で、もともとは、「ヴァーチャルハウス」をテーマにベルリンで開催された会議(1997年3月、Any Corporation主催)のためにヴィデオ撮影が行われたものをもとにしている。伊東豊雄の論考は、「中野本町の家」の設計プロセスを丹念にたどりながら、「現実の家」と「ヴァーチャルな家」(=象徴的空間)の間を問う。本書は1998年に「住まい学体系」(住まいの図書館出版局)一冊として刊行されたものであるが、新たに同じくプリツカー賞受賞者である西沢立衛の解説が加えられている。本書には、繰り返し読まれるべき、家を「建てること」と「住むこと」をめぐる濃厚な思索のまさにエッセンスが込められている。
- 実は、「中野本町の家(G邸)」のクライアントは、伊東豊雄の実姉(後藤暢子)である。姉は1975年に夫を癌でなくしたばかりで、二人の娘は小学4年生(幸子)と3年生(文子)であった。悲嘆にくれるなか、たまたま、伊東豊雄と姉がともに育った実家に隣接する土地が売りに出されたことで、新たな住居の建設を姉の後藤暢子は決断したのだという。
- 設計が開始されたのは1975年9月である。その前年から、僕は、伊東豊雄と頻繁に会う機会があった。『建築文化』誌(1945~2004、彰国社)の「近代の呪縛に放て」(1975年1月~1977年10月)というシリーズ企画のために毎月のように議論を重ねていたのである(田尻裕彦(1931~2023、当時編集長)、コアスタッフは、伊東豊雄・長尾重武・富永譲・北原理雄・八束はじめ・布野修司)。伊東は、菊竹清則設計事務所(1965~69)を経てアーバンロボットを設立(1971)、処女作といっていい「アルミの家」(1971)は鮮烈であった。若い建築家たちの間では既に期待の星であった。しかし、当時、身近に接していて、伊東は迷っているように思えていた。「菊竹清訓氏に問う われらの狂気を生きのびる道を教えよ」(『建築文化』1975年10月)などと書いていたのである。新たに住宅の設計を始めたことは当時聞いていたけれど、本書に赤裸々に語られる背景については全く知らなかった。
- 「中野本町の家」は、「アルミの家」に続くさらなる衝撃であった。プラン(平面図・間取り)はU字型をしている。全長50mにもなる。本書の「住宅の死をめぐって」で、「「G邸」を設計しているころには、何を自分の手がかりにしたらいいかいまだ手探り状態でした」といい、菊竹清訓、篠原一男、磯崎新、村野藤吾の影響が混在しているように思われる」と振り返るが、僕が思い浮かべたのは白井晟一の自邸「虚白庵」(1970)である。同じように内に閉じた、平屋のコンクリートの塊でトーチカのような都市住居である。「虚白庵」も2010年に売却解体された。「住居に都市を埋蔵する」(原広司)「閉じつつ開く」は、建築家の共通のテーマである。
- 「中野本町の家」は評判を呼んだけれど、むしろ、批判の方が多かったのではないか。伊東自身、「閉じられた内部」を夢中になって考えてきたけれど、「現実の世界に直接かかわるように、物理的にも精神的にも空間を開かなくてはならないとその後考えた」といい、「中央林間の家」(1979)「笠間の家」(1980)のように「ふつうの家に近づけようと時期もあります」と書く。いずれも見に行ったが、自邸の改築「シルバーハット」(1984、1986年日本建築学会賞)と隣接する「中野本町の家」の対比がその揺れを示している。「シルバーハット」のコートで飲み明かしたことを想い起すが、「シルバーハット」も2011年、今治市伊東豊雄建築ミュージアムに移築されたのであった。
- 本書の帯は、「みずからが設計した建築の死はあまりにも痛ましい」とうたう。伊東も「新版あとがき」にそう書いている。では、移築すればいいのか。本書が問うのは、建築の保存、歴史的文化的価値と経済的価値をめぐる紋切り型の議論ではない。建築の生と死、そしてその再生をめぐる本質的問いである。
- 働き盛りの夫を失った姉は、「生命とは何?」と問うほどの思いを持ちながら、弟に設計を依頼した。その過程が2人の共同作業と言えるものであったことはインタビューからも、伊東の文章からも伝わってくる。それが゙、20年後、「わたくしはもうこの家にいることはできない」と姉がいい、弟は「何故、出ていくの?」という。
- 随所に、住居とは何か?を考える言葉が吐かれている。
- 「建築とはこれほど鮮烈に、当初のクライアントの心理状態や精神状態を反映するものなのでしょうか」「一般に建築家は住宅を設計するときに、住む「時間」というものをどのように考え、建物の形態に組み込んでいらっしゃるのでしょうか」(暢子)「人目を引く、異様に大きいということに対して、わたしはどちらかというといやな気持ちのほうが強かったのです」「「墓石」みたいな感じがするのです」(幸子)「私にとっての「原風景はどこ?」と尋ねられるとしたら、それはこの白い空間ではなく別の風景だと思っているのです」(文子)…
- 伊東豊雄は、「建築的テーマのみを掲げてきた設計者としての私にとって、三人の発言はまったく虚を衝かれるものでした。住み処としての空間がこれほどまでに住まい手の生活を拘束し、あるいは住まい手の身体感覚まで影響をおよぼすものだとはほとんど思いもよらないことでした。」と正直に吐露する。そして、ヴィデオを見たスタッフが「これから建築を創ることが怖くなるなァ」とつぶやいたと書いている。

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