- 『広田直行 運否天賦ー本と人とー』 日本大学生産工学部広田研究室 2025年3月1日

- 我が同志、そして我が恩人
- 布野修司
- 広田先生との出会いは、私が日本建築学会の建築計画委員会の委員長になった2006年である―もしかすると、それ以前に学会の大会や様々な会合でお会いしていたかもしれない―。2期4年間(2006~2010)、委員会開催日には必ず飲んだ。最初は東京駅近くの居酒屋で、広田先生は電車が無くなってタクシーで帰宅されたのではなかったか? 委員会の幹事だった東京工業大学の藤井晴行先生が品川のカラオケ室のある高層マンションにお住まいで、当時、彦根に住んでいた私が、翌日の新幹線に乗るのに宿に帰るのが面倒くさいと我儘をいって、朝まで歌いまくったことは1度や2度、いや3度や4度どころではない。
- 広田先生は、斎藤公男会長(2007~2009)のもとで若くして総務理事を務めておられ、実に頼りになった。建築計画委員会では、初めてであったが、春季学術研究集会をソウル(2006)北京(2007)、台北(2008)、ハノイ(2009)と海外で開催したのであるが、全て参加してくださったと思う。
- 2006年というと私が京都大学から滋賀県立大学に移った翌年である。私が建築計画委員長になるにあたって、安藤正雄先生、宇野求先生とともに広田先生の力添えが大きかったと後から聞いた。そして、私は、和田章会長(2011~13)のもとで副会長になるのであるが、東日本大震災復興本部長、著作賞の創設、ウェブマガジン『建築討論』の創刊など、建築学会に一定の貢献をすることができたのも広田先生のおかげである。このコミュニティはA-Forum(斎藤公男・和田章・神田順・金田勝徳)につながっており、私にとって大切な場であり続けてきている。
- それどこではない。滋賀県立大の定年後に日本大学生産工学部に招いていただいたのが広田先生である。以降は、共同研究者でもあり、コロナ禍による中断があったものの広田研究室の諸君とも親しく付き合わせていただいた。研究室旅行も楽しい思い出である。また、BremenとしてのA-Cup参加も実に楽しかった。この間も、ジャカルタ・デンパサールースラバヤ(布野、菊地,古田,古田,長,2015)、スラバヤ、ジャカルタ(布野、広田,山岸,古田,2016)、エジプト(布野、広田,山岸,2017.02-03)、ジョクジャカルタ(布野、広田,2017.07 -08)、エジプト(布野、広田、山岸、大坊、望月、久納、 2017.08)、スラバヤ(布野 篠崎、亀井、古田,2017.17)、スラバヤ・バリ・ジャカルタ(布野、広田、篠崎、山岸,古田他 建築計画委員会夏季研修ツアー 2018.08),タイ バンコクーアユタヤースコータイーチェアンナイ 日本建築学会建築計画委員会夏季研修ツアー,布野,広田,山岸,古田,2019.08)と海外調査、国際交流もご一緒した。旅と飲み会は濃密な議論の時間である。
- 広田先生の主要研究テーマ「地域公共施設の再編・再生」は建築計画研究の王道である。東京一極集中が加速される一方、地域社会が衰弱していくなかで、また、少子高齢化が急速に進行し、人口減少社会に既に転じた日本の再生のために、建築計画の果たすべき役割は、その草創期に匹敵する、否、それ以上に大きい。広田先生にはその牽引役をさらに担ってほしい。
- 広田先生の持ち味は、建築家、設計者が本来備えるべき、幅広さであり、総合的な視座である。万事について、目配りがあり、思いやりがある。その思いやりにこの20年間助けられてきた。私にとって、広田先生は同志であり、かげがえのない恩人である。



コメントを残す