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創造の源としての現場 歩く、見る、聞く、造る 調査心得七ケ条, traverse24,新建築学研究24, 2023

https://drive.google.com/file/d/1yV9fc5ww-qEUmMoUdHE3atGI-wsoFeIl/view?usp=drive_link

創造の源としての現場―歩く、見る、聞く、造る―調査心得七ケ条

創造の場

創造の場というテーマについて、Chat GPTに聞いてみた(2023年9月5日)。

Q1 創造の場とは何ですか? 創造とはなんですか? 創造とオリジナリティの関係は? 生成AIは人類の作り出したものを学習していると思いますが、新たな創造はできますか?

A1 「創造の場」という言葉は、一般的に新しいアイディアや概念が生まれる場所や状況を指します。これは、アーティスト、作家、科学者などが新しいものを発想し、創造的なアウトプットを生み出すための環境や状態を指すことがあります。

 「創造」とは、新しいものを生み出す行為やプロセスを指します。これは既存のアイディアや要素を組み合わせて新しい概念や形を作り出すことを含みます。創造のプロセスは個人や文化によって異なり、アート、文学、科学、技術などの様々な領域で見られます。

「オリジナリティ」とは、独自性や新しさの度合いを指します。創造的な成果物が他と異なるか、新しい視点やアプローチを持っているかどうかが、そのオリジナリティを評価する基準となります。創造とオリジナリティは密接な関係があり、新しいアイディアや作品がよりオリジナルであるほど、その創造性も高いとされます。

生成AI(例えば、GANや大規模な言語モデル)は、過去のデータやパターンから学習することによって、新しいものを生成する能力を持つことがあります。これにより、既存の画像、文章、音声などの特徴を学習してそれに基づいて新たなコンテンツを生成することができます。しかし、生成AIが生み出すものは、その学習データに含まれていた情報やパターンに基づいています。

一方で、完全に新たな創造をするためには、既存の枠組みやパターンを超えて新しいアイディアを生み出す力が必要です。AIはあくまで過去のデータに基づいて生成されたものであり、人間の創造力や直感を置き換えるものではありません。新たな創造は、文化的、感情的、倫理的な側面を含む複雑な要素から成り立つため、AIだけでは難しい場合があります。

したがって、AIは新たなアイディアのインスピレーション源となることもありますが、純粋な創造性やオリジナリティを持つ新しいものを生み出すためには、人間の創造力が依然として重要な役割を果たすでしょう。

Q2 人間の創造力はどうやって獲得できますか?新しいアイディアや新しい枠組み、新しいパターンはどうしたら生まれますか?どういうシチュエーションで創造は生まれますか?

A2 人間の創造力を獲得するためには、以下のようなアプローチや要因が役立つことがあります。

1 好奇心を育てる: 新しいアイディアや視点を生み出すには、好奇心を持ち、知識や情報を広範に収集することが重要です。様々な分野や文化に興味を持ち、異なる視点を組み合わせることで、新たな洞察が得られる可能性が高まります。

2 異なる分野から学ぶ: 異なる分野や業界からの知識を組み合わせることで、新たなアイディアが生まれることがあります。異なる分野の専門家と交流し、知識や経験を共有することで、クロスオーバー的なアイディアが生まれることがあります。

3 問題解決と挑戦: 新しいアイディアや枠組みは、問題に対する解決策を探す過程で生まれることが多いです。既存の方法やアプローチに疑問を投げかけ、新しい角度から問題にアプローチすることで、創造的な解決策が浮かぶ可能性があります。

4 遊び心と実験: 創造的なプロセスは、時に遊び心や実験から始まることがあります。新しいアイディアやアプローチを試してみる過程で、予想外の成果が得られることがあります。

5 環境と刺激: 創造的な環境や刺激が創造力を刺激することがあります。美術館、ワークショップ、交流会などの場に参加することで、新しいアイディアが湧きやすくなるかもしれません。

6 反復と修正: 創造的なプロセスは一度で完璧なものを生み出すのではなく、反復と修正を繰り返すことで洗練されていきます。試行錯誤を通じて新たな視点やアプローチが見つかることがあります。

創造はシチュエーションによって異なることがありますが、一般的に以下のような状況や要因が創造の場を生み出すことがあります。

無駄な時間やリラックスした状態: 思考がリラックスし、無駄な時間を過ごすことで、アイディアが浮かぶことがあります。シャワーや散歩中など、日常の中でのんびりする時間が創造の瞬間につながることもあります。

挑戦的な状況: 問題を解決するための挑戦的な状況や制約が、新たなアイディアの生成を促すことがあります。限られたリソースや時間内で創意工夫をすることで、創造的な解決策が見つかることがあります。

交流と共有: アイディアを他人と共有し、フィードバックを受けることで、新たな視点やアイディアが生まれることがあります。異なる意見や視点を取り入れることで、より豊かなアイディアが形成されることがあります。

新しい経験と刺激: 新しい場所や環境に触れることで、新たな刺激を受け、アイディアが湧きやすくなることがあります。新しい文化や環境から得たインスピレーションが創造の源になることがあります。

創造のプロセスは個人差があり、異なる要因やアプローチが異なる人に対して異なる結果をもたらすことがあります。自分自身の創造力を引き出すためには、多くの経験や試みを通じて自分に合った方法を見つけていくことが重要です。

あっという間に2190字である。このまま続ければ、原稿はすぐにできそうであるが、編集者の問いへの回答としては面白くも何ともないであろう。以上、同じことを聞いて。ホントですか?、と言い返してみて欲しい。

われわれホモ・サピエンス(現生人類)と約800~700万年前に分岐したチンパンジーのDNAは98.4%同一であるという。わずか1.6%のDNAの違い、突然変異によってホモ・サピエンスが獲得した本質的能力とされるのは言語能力すなわちコミュニケーション能力である。また,抽象化,概念化の能力,イメージする能力、文字,図像による表現能力,知的設計能力である。ホモ・サピエンスの誕生すなわち「認知革命」と呼ばれるが、要するに,「建てること」すなわち建築する能力を獲得したこと、空間をあらかじめイメージし表現する抽象能力、知的設計力を得たことがわれわれホモ・サピエンスである。

ヴァナキュラー建築の世界

チンパンジーは、毎晩、樹上に寝床をつくるというが、住居をつくることはない。巣を造るミツバチやアリ、鳥、ネズミやビーバー、熊・・・などは、遺伝子的にプログラム化されている。建築の起源、始原の建築と考えられるのは、雨露、風を凌ぐシェルターであり、洞窟である。「建てること、住むこと、考えることBauen Wohnen Denken」[1]というのは、マルティン・ハイデガーの哲学的思索のキーワードであるが、「住むことWohnen」は、すなわち「生きることLeben」であり、その根源には、「建てることBauen」そして「考えることDenken」がある。

東アフリカの大地溝帯(あるいは南アフリカ)で進化,誕生したホモ・サピエンスはやがてグレート・ジャーニーと呼ばれる移住を開始する。移動して行ったのは,採集狩猟によって食糧を獲得できる居住可能な地域すなわちエクメーネである。北緯70~72度以北,南緯54~55度以南は基本的に寒冷のために居住に適さないアネクメーネである。また,高度4,000mを超えると居住に適さない。そして,砂漠やツンドラ,ジャングルなど居住に適さないアネクメーネは各地に存在する。しかし,そうしたアネクメーネもエクメーネ化されていくことになる。人類の歴史は,地球全体を人工環境化していく歴史である。

ホモ・サピエンスは、移住して行ったそれぞれの地域で利用可能な建築材料を用いて、創意工夫に満ちた建築を創り出してきた。そうした建築をヴァナキュラー・アーキテクチャーVernacular Architectureという。ヴァナキュラーとは,「その土地特有」「風土的」あるいは「地方語」「方言」といった意味である。「根づいていること」「居住」を意味するインド=ゲルマン系の言葉で,ラテン語のヴァナクルムvernaculumは「自家製」「家で育てた」という意味をもつ。

建築は基本的に「地」のものである。「地」とは,地域の自然生態系に拘束された「特定」の「場所」のことである。人類は地球をエクメーネと化していく際に,「特定」の「場所」に適合した建築を必要とし,そうした建築を建設してきた。近代以前の人類は,世界各地に珠玉のようなヴァナキュラー・アーキテクチャーを建設してきた。

建築家なしの建築

ヴァナキュラー建築は、ホモ・サピエンスの偉大なる創造物である。地域地域で多様な創意工夫に満ちた建築をつくりだしてきた。ホモ・サピエンスは,紀元前2500年にクフ王の高さ146.59m,底辺230m×230mの巨大なピラミッドを建設する能力を有していた。しかし,19世紀末に至るまでこの高さを超える建築は存在しない。しかも、いまなお内部に空間が発見されるなど、その建設をめぐって謎がある。

しかし,そうした世界を根こそぎにしてきたのが近代建築であり、グローバリゼーションである。バーナード・ルドフスキー(1905~1988)が,ニューヨーク近代美術館MoMAで「建築家なしの建築 Architecture without Architects」と題する展覧会をキュレートしたのは1964~65年のことである。「建築家なしの建築」すなわちヴァナキュラー・アーキテクチャーである。解説のテキストの付されない200枚の白黒写真で構成されたその展覧会は,近代美術館,フィリップ・ジョンソンが「インターナショナル・スタイル-1922年以後の建築」展(1932)「アメリカ・スカイスクレーパーの誕生」展(1934)を開催して近代建築のプロモーションを担ってきたMoMAで開催されることにおいて,大反響を呼んだ。世界中の素晴らしい建築のうち建築家が関与したものはほんのわずかにすぎない,というのが彼の強烈なメッセージであった。この事情は,今日も変わらない。バーナード・ルドフスキーは,『建築家なしの建築 Architecture without Architects』の冒頭に,世界中に建てられた建築のうち建築家が関与した建築は1割に満たないと書いている。彼には別に『驚異の工匠たち』(B.ルドフスキー(1981)Bernard Rudofsky(1977)という著書があるが,ほとんど全ては建築家によってではなく,工匠(職人)たちによって建てられてきたというのがヴァナキュラー建築の世界である。このヴァナキュラー建築の世界が,建築家によって鉄とガラスとコンクリートの近代建築に置き換えられてきたのがこの百年の歴史である。

臨地調査(フィールドワーク)と都市組織研究

建築は、基本的に「地」のものである、と書いた。しかし、それとは全く異なる建築観が既に成立している。すなわち、どこでも、同じ方法で、同じ建築をつくりうるという建築観である。スペース・ステーションをイメージしてみればいい。真空でもエクメーネとすることが可能なのである。

しかし、建築は具体的な場所、敷地に対する解答であるということには変わりはない。プレファブ建築にしても、モビールハウスにしても、スペース・ステーションにしても、具体的な「地」=シチュエーション=環境に対する解答である。

全ての建築は、それが建つ敷地、場所、地域についての情報を収集すること、臨地調査から開始される。少なくとも、近代建築以前においては、現場で建築を組み立てることが基本的な方法であった。

予め頭の中でこねくり回してつくりあげるものではなかった。すぐれた建築家は、しばしば優れた旅行家である。多くの街と村を訪ね、多くの建築を見て回ることが建築家を育てる。身体を通じた知識、現場を読む力が創造の源泉である。

建築計画学は基本的に住まい方調査(西山夘三)、使われ方調査(吉武泰水)を基本的な方法としてきた。誤解を恐れずに要約すれば、空間の使われ方を観察することによって、使いにくい空間、その配列の問題点を発見し、その問題点を解決した、平面計画を提案するという方法である。現状分析→設計計画→建設→評価というサイクルを繰り返すのである。

この建築計画学の方法、機能主義、平面計画論、調査主義、標準設計・・・をめぐっては多くの批判と議論が積み重ねられてきた。最大の批判は、現状前提の建築しか産み出されないのではないか? 要するに創造的なものは生まれないのではないか? というものである。1950年代後半に、伝統主義論争が展開されるなかで、調査主義(吉武研究室)vs造形主義(丹下研究室)というちょっとしたやりとりがあった。「美しきもののみ機能的である」(丹下健三)というテーゼが「形態は機能に従う」(ルイス・サリバン)に対して提起されたレヴェルの議論でしかなかったのであるが。

しかし、臨地調査は、決して、戦後復興のために大量建設が必要とされた時代の建築計画学の方法にとどまるものではない1979年初頭にインドネシアを訪れて、果たして日本と同じような方法を取りうるかと考え続けてきた。その集大成が『スラバヤーコスモスとしてのカンポン』(京都大学学術出版会、2021年)である。

「地域の生態系に基づく居住システムに関する研究」「「都市組織urban tissue,urban fabric研究」と言い出すのであるが、それには京都大学での応地利明先生、高谷好一先生らの地域研究者との出会いが大きかった。スローガンは「地域に世界を読む」あるいは「ディテールに世界を読む」である。フィールドで出会った物、人、得た情報、感じた事をもとに、世界を組み立てている仕組みを読み解くことである。

10人のフィールドワーカーの文章を収めた、岩波書店編集部編(2004)『フィールドワークは楽しい』岩波ジュニア新書474に、応地先生の「アジア・アフリカの農耕を訪ねる」がある。いくつか引いておくと以下のようである。

「フィールドワークは、場所や地域というテキストの意味や性格を「よむ」作業です。そのためには実際に現場に行って、現場を「よむ」努力が欠かせません。・・・フィールドワークには、どの場所にも通用する手引きはないのです。・・・私は、フィールドワークは「歩く、見る、聞く」の3つを徹底的に行って「現場で考える」ことだと思っています。・・・自分の身体と感覚をつかって現場を「歩く、見る、聞く」をし、その場所という「テキスト」の意味を現場で考え発見する旅、それがフィールドワークなのです。」

あとは手に取って他の文章とともに読んでみて欲しい。フィールドワークこそ、建築創造の源泉であることが理解できると思う。

都市を有機体に喩え,遺伝子,細胞,臓器,血管,骨などさまざまな生体組織からなっているとみるのが「都市組織」[2]論であり,建築学・都市計画学では,都市のフィジカルな基盤としての空間の配列・編成を問題とし,その配列・編成を規定する社会的経済的政治的諸要因を明らかにする構えをとる。「都市組織」という場合,近隣組織のような社会集団の編成がその規定要因として意識されている。集団内の諸関係,さらに集団と集団の関係によって規定される空間の配列・編成を問題とする。「地面に聞く」というのがその基本となる。「地型(形)」によって建築の設計は大きく規定される。何故、こういう街区が成り立っているのかを明らかにすることが目的となる。

調査心得七ヶ条

 生成AIに登場によって、建築設計はAIにとって代わられるであろう、という建築家がいる。おそらく、そこには建築の創造はないと思う。AIが、人類の建築という行為の無数の経験を学習しているとすれば、類似のシチュエーションについて、下手な建築家より優れた解答を出すことは可能であろう。しかし、求められるのは、「現場」に固有な創意工夫に基づく建築である。目指すべきは、AIでなくても可能なタワーマンションのような建築ではなく、無数のヴァナキュラー建築に学ぶ知恵、創意工夫である。その知恵、創意工夫を新たに創造につなげ得るとすれば、現場で身体を通じて得た知恵が必要がある。そこにはある発見がなければならない。

臨地調査の心得としてきたのは、以下の七か条である。

1 臨地調査においては全ての経験が第一義的に意味をもっている。体験は生でしか味わえない。そこに喜び,快感がなければならない。

 2 臨地調査において問われているのは関係である。調査するものも調査されていると思え。どういう関係をとりうるか,どういう関係が成立するかに調査研究なるものの依って立っている基盤が露わになる(される)。

 3 臨地調査において必要なのは,現場の臨機応変の知恵であり,判断である。不測の事態を歓迎せよ。マニュアルや決められたスケジュールは応々にして邪魔になる。

 4 臨地調査において重要なのは「発見」である。また,「直感」である。新たな「発見」によって,また体験から直感的に得られた視点こそ大切にせよ。

5 臨地調査における経験を,可能な限り伝達可能なメディア(言葉,スケッチ,写真,ビデオ・・・)によって記録せよ。如何なる言語で如何なる視点で体験を記述するかが方法の問題となる。どんな調査も表現されて意味をもつ。どんな不出来なものであれその表現は一個の作品である。

6 臨地調査において目指すのは,ディテールに世界の構造を見ることである。表面的な現象の意味するものを深く掘り下げよ。 

7 臨地調査で得られたものを世界に投げ返す。この実践があって,臨地調査は,その根拠を獲得することができる。


[1] ドイツ工作連盟主催ダルムシュタット建築展で行った講演(1951)のタイトルであり、著書のタイトル。Martin Heidegger, “Bauen Wohnen Denken. Vorträge und Aufsätze”,  Klett Cotta, 2020 中村貴志『ハイデッガーの建築論―建てる・住まう・考える』中央公論美術出版、2008年。

[2] 「都市組織」という概念は,都市を建築物の集合体と考え,集合の単位となる建築の一定の型の発生とその歴史を明らかにするS.ムラトーリの建築類型学(ティポロジア)で用いられる[2]。また,建築物をいくつかの要素(部屋,建築部品,…等々)あるいはいくつかのシステム(躯体,内装,設備,…等々)からなるものと考え,建築から都市まで一貫して構成する,N.J.ハブラーケン[2]の建築=都市構成理論において用いられる概念である。

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