村井吉敬・佐伯奈津子・間瀬朋子編:現代インドネシアを知るための60章,布野修司:住居ー地域の生態系にもとづく多様な形態ー(第19章),明石書店,2013年1月30日

第19章 住 居 【布野修司】
インドネシアには実に多彩な木造建築の伝統がある。赤道を挟んだ熱帯島嶼域であるけれど高度3,000mを越える山々もあり、高所には針葉樹が生育する。木材が豊富なところに木造文化の華が開くのは道理である。日本も木造建築の手法を洗練させ、その伝統を維持してきたという点では世界有数であるが、インドネシアの場合、その形態、平面形式(間取り)、架構の方法(構造形式)など、地域の生態系に基づいてはるかにヴァリエーションが多く、その多様性は世界でも例をみない。
インドネシアを代表する伝統的住居として知られるのが、水牛の角のように棟がゆるやかに反り上がった独特の屋根形状をもつミナンカバウ族(西スマトラ)の住居である。青銅器であるドンソン銅鼓など考古学的出土品に描かれた家屋紋や家型土器にこの屋根形状が見られる。雲南の石寨山で発見された貯貝器の取っ手はミナンカバウ族の住居にそっくりである。ドンソン銅鼓は、ベトナムのみならず、中国南部からニューギニア東部のサンゲアン島でも発見されており、古くから相当広範囲に同じような屋根形状の住居が分布していた可能性があるーその源郷は台湾(あるいは中国南部)という説が有力であるが、東はイースター島から西はマダガスカル島までの広大な海域に居住していたオーストロネシア語族が同じ居住文化を保持していたとされるー。実際、形態は少しずつ異なるが、棟が反り返った屋根形状の住居は、バタク諸族(北スマトラ)、サダン・トラジャ族(南スラウェシ)などの住居にもみられる。馬の鞍あるいは舟の形に似ているというので、鞍形屋根(舟形屋根)と呼ばれる。屋根形状は、まさに様々で、ジャワの住居は、屋根形式によって、ジョグロ(寄棟高塔)、リマサン(寄棟)、タジュク(方形)、カンポン(切妻)などに類型化される。ジョグロは、4本柱の中央を高く突き出す形態で、興味深いことにスンバワ島によく似た形式がある。東インドネシアに行くと半球状の屋根も見られる。
鞍形屋根とともに、インドネシア(さらにオーストロネシア世界)の住居のもう一つの特徴は高床式住居であることである。ボロブドゥールやプランバナン(中部ジャワ)のチャンディ建築のレリーフに描かれた家屋紋様は全て例外なく高床式住居である。ただし実際にはいくつかの例外があり、ジャワ、マドゥラ・バリ・ロンボク西部、マルク諸島のブル島は高床式の伝統を欠いている。ジャワ島でも、西ジャワのスンダ地方は、バドゥイの住居のように高床式である。ジャワ・マドゥラ・バリが地床(土間)式である理由については、南インドのヒンドゥー住居の影響、イスラームによる高床の禁止など諸説ある。
高床式住居の系譜として注目されるのが、倉型住居(高倉)である。倉が鼠返しのついた高床の形式で建てられるのはごく自然であり、地床式のジャワ・マドゥラ・バリ・ロンボクでも米倉は高床式である。日本の神社、貴族住宅(寝殿造り・書院造り)も高倉から発達したとされるが、倉そのものが住居の原型となる。フィリピン・ルソン島北部の山岳地帯には、高倉の屋根をそのまま降ろして壁で囲う入れ子状になった住居があり、日本の南西諸島の高倉との関連をうかがわせる。また、東インドネシアにも、同じように小さな倉型住居が分布する。今のところ、高床式住居は稲作が行われる以前から存在すると考えられるが、稲の東南アジアへの伝播とともに、この倉型の建築形式が伝播していったことは大いに考えられる。
多様であるにもかかわらず、共通の要素や系譜をもつのが東南アジア木造建築の興味深い点であるが、その根拠となるのが木造架構の原理である。すなわち、木材の組み合わせは無限ではなく、とりわけ構造力学的制約によって、架構方法はいくつかに類型化されるのである。G.ドメニクの構造発達論は、日本の竪穴式住居の架構から様々な形の鞍形住居の架構ヴァリエーションをうまく説明する。湿潤熱帯を中心とするため、木を横に使ういわゆる校倉造り、井籠組(ログ)は少ないが、北スマトラのカロ高原の南に居住するバタク・シマルングン族の住居などなくはない。トロブリアンド島のヤムイモの収納倉が高床式の校倉造りであることはよく知られる。形態として興味深いのは、円形もしくは楕円形の住居で、ニアス島からチモール島にかけて分布する。ニアス島の住居は床下に斜材を用いるのがユニークである。
インドネシアの住居とコスモロジーの関係も興味深い。バリの住居はヒンドゥーの世界観に基づく、一貫する配置原理、寸法体系で知られる。ジャワにもプリンボンと呼ばれる建築書(家相書)が伝えられる。その他数多くの地域について、住居集落をミクロコスモスと見立てる事例が文化人類学者によって数多く報告されている。
住居の平面形式(間取り)は一般に極めて単純である。集合形式として、島嶼部のカリマンタンからニューギニアにかけての地域にロングハウス(長屋)が分布する。インドネシアでは双系制の親族原理が支配的であるとされ、大家族が居住するのではなく三世代が同居する独立した住戸単位を並べる集合住宅の形式である。そうした中でユニークなのが、世界で最大の母系制社会を形成するのが上述のミナンカバウ族の住居で、既婚女性の住戸を単純に連結するシステマティックな形式をとる。また、父系的であるバタクらん諸族は、一室の大空間に複数の家族が居住する形式をとる。バタク・トバやサダン・トラジャが典型的であるが、住居と倉を平行に配置する集落形式はマドゥラ島など他にも見られる。スンバワ島には、広場を円形に囲む形式も見られる。
時代は下るが、都市住居として、南中国で成立したと考えられる店屋(ショップハウス、街屋)の形式が港市都市に成立する。
西欧列強の進出によって、いわゆるコロニアル住居が建てられ始める。オランダ東インド会社の拠点であったジャカルタをはじめスマラン、スラバヤなどジャワの諸都市の都市核に植民地建築の遺産が残されている。西欧の住居形式がそのまま導入される一方、土着の空間形式や架構方法が様々に取り入れられ、新たな住居の伝統を形成することになるのである。
インドネシアの以上のような伝統的な住居形式は、急速に失われつつある。アラン・アラン(茅)やイジュク(砂糖椰子の繊維)で葺いた屋根がトタン(亜鉛塗鉄板)屋根に置き変わっていくのがその象徴である。そして、大都市を埋め尽くすのはいわゆるカンポン(ムラという意味)住居である。劣悪な居住環境に住むカンポンガン(都市住民)は少なくないのである。









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