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出雲大社は一六丈あったのか 巨大木造建築の伝統 見聞録05,共同通信,200011

見聞録05

 出雲大社の柱根

 出雲大社は一六丈あったのか

 巨大木造建築の伝統

 

 

  出雲大社の境内から、昨年、柱三本を束ねた巨大な柱の根元が発掘されて、いささか興奮している。出雲に生まれたこともあるが、日本の木造建築の伝統に伊勢神宮などは別の系譜がよりはっきりと見えてきたからである。仏教建築伝来以前の日本建築の古式を伝えるのは神社建築というが、その原型は必ずしもわかっていないのである。

 出雲大社(杵築大社)の言い伝えとして、古代には高さが三二丈、あるいは一六丈(四八メートル)あったとされる。現状は八丈だ。また、平安時代、天禄元年(九七〇年)に源為憲のつくった『口遊(くちずさみ)』に「雲太、和二、京三」とある。出雲大社が一番、二番が大和の東大寺大仏殿、三番が平安京大極殿という意味だ。東大寺大仏殿が一五丈だから、一六丈でもおかしくない。さらに、高すぎて度々転倒したという記録が残されている。建築史学の泰斗、福山敏男らによって復元案が作られ、技術的可能性も検討されてきた。

 今回の発見が衝撃的だったのは、柱三本束ねる形式が、出雲国造千家家に伝わる『金輪御造営差図』と同じだからである。柱を金輪で固めることは東大寺でも行われている。東大寺の場合、集成材だけれど、出雲大社は三本をそのまま束ねて豪快である。 

 『金輪御造営差図』には「引橋長一町」とある。一町は約一〇九メートルだ。これだけの階段が果たしてあったのか。過日、同じ大社造りの神魂神社(国宝、松江市)での結婚式に参列する機会があり、ふと思った。急な階段を上がって本殿がある。この階段を含めて考えると同じような形式となるのではないか。探してみると出雲には、急な階段の上の小高い丘の上に本殿を頂く形式が久武神社(斐川町出西)など他にもある。

 三二丈は本殿背後の八雲山だという説がある。しかし、一六丈の神殿はありうるのではないか。階段を支えた柱跡を掘ってみるわけにはいかないものか。

 

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