ラフカディオ・ハーン『日本の面影』
NHKの朝ドラ(「連続テレビ小説」)『ばけばけ』の脚本はかなり事実と異なる。1890年の8月に松江尋常中学校ならびに師範学校の英語教師として赴任して,12月には教頭西田千太郎媒酌で小泉セツと結婚している。そして翌年11月には熊本の第五高等中学校に転任するから,松江に住んだのは1年と3ヶ月に過ぎない。しかし,『ばけばけ』は1891年の春になってようやく結婚の話が進むストーリー展開である。しかも,離婚した夫が松江に再婚の思いをもって訪れた同じ日に、アメリカからハーンに会いに同僚(ニューオリンズ?)であったジャーナリストの女性が訪れるというドラマ仕立てである。
コミカルな掛け合いが評判だという。特に,セツの祖父役のちょんまげの小日向文世が面白い。祖父はハーンと馬があったといい,使用人含めて11人で熊本にも行くのであるが,どう描かれるのであろうか。
小泉八雲の本はいつか読もうと手元にたくさんある。「怪談Kwaidan」のCDも持っていていくつか聴いたことはある。『ばけばけ』に刺激されて、読もうとしているのだが,書き上げないといけない仕事があって,なかなか時間がとれない。枕元に置いてペラペラとめくるのであるが,専ら集中しているのは『古事記』であり,『日本書紀』である。出雲論のために,まず、「出雲神話」をめぐる議論を整理したいのである。
2025年12月21日(日曜日),葉山で開かれたクリスマスパーティに参加して帰った夜,パラパラッとめくった『新編 日本の面影Ⅱ』(池田雅之訳,角川ソフィア文庫,2015)に「美保関にて」「日御碕にて」「八重垣神社」「伯耆から隠岐へ」という紀行文が含まれていることを知って,「伯耆から隠岐へ」にすぐさま眼を通した。2021年以来、隠岐の島のまちづくりに関わってきたのである。隠岐の人たちは,小泉八雲が隠岐のことをどう書いているのかを知っているのであろうか?
『知られざる日本』(Glimpses of Unfamiliar Japan)は,熊本時代(1891.11~1894.11)に『アトランティック・マンスリー』に連載したものをもとに,1894年にHoughton Miffin and Campanyから出版されるのであるが, 全2巻,原文で700頁に及ぶ大著である。その中でも「伯耆から隠岐へ」は70頁にも及ぶという。僕が読んだのは上述の池田雅之訳であるが,割愛したものという。全文を読まなければと思う。隠岐の人たちは読んでいるのだろうか?
実は,ハーンが隠岐へいったのは松江滞在中ではなかった。熊本へ赴任した翌年(1892)の夏,セツを伴なって関西から隠岐へ行くのである。7月16日に熊本を出発して,9月10日に熊本に戻る2ヶ月の旅であった。8月9日に境港に着き,翌日「隠岐丸」で隠岐へ向かい,2週間滞在する。
熊本に赴任したばかりで,何故,出雲の隠岐に旅したのかが極めて興味深い。
『新編 日本の面影Ⅱ』に収められた小泉節子の「思い出の記」を予め引くと,
「ヘルンは辺鄙なところが程好きであったのです。東京より松江がよかったのです。日光よりも隠岐がよかったのです。‥‥
隠岐では二人で大概の浦々を廻りました。西郷,別府,浦の郷,菱浦、皆参りました。菱浦だけにも一週間以上いました。西洋人は始めてというわけで,浦の郷などでは見物が全く山のようで,宿屋の向いの家のひさしに上がって見物しようと致しますと、そのひさしが落ちて,幸に怪我人がなかったが,巡査が来るなどという大騒ぎがありました。ヘルンはこの見物騒ぎに随分迷惑いたしましたが,私を慰め励ますために、平気を装うて「こんな面白いことはない」などと申していましたが,書物にはやはり困ったように書いているそうでございます。御陵にも詣でました。後醍醐天皇の行在所の黒木山へも参りました。その側の別府と申すところでは菓子がないので,代わり茶店で『いり豆』を出したのを覚えています。…
私はいつまでも,借家住いで暮らすよりも,小さくとも,自分の好きなように、一軒建てたいと申しますと、「あなた、金ありますか」と申しますから「あります」と申します。「面白い、隠岐の島で建てましょう」といつも申します。私は反対しますとそれでは「出雲に建てておきましょう」と申しますから、全く土地まで捜した事もありました。しかし,私はそれほど出雲がよいとも思いませんでしたから,ついこの西大久保の売屋敷を買って建増しをする事に、とうとうなったのでございます。」
ハーンは,余程,隠岐が気に入っていたのである。
『日本の面影Ⅱ』の後半の7編,「美保関にて」「日御碕にて」「八重垣神社」「狐」「二つの珍しい祭日」「伯耆から隠岐へ」「幽霊とお化け」は,松江・出雲・隠岐が舞台である。出雲、松江で育った僕には,え!と思うような記述が少なくない。「美保関にて」は、いきなり,「美保関の神様は、鶏の卵がお嫌いである。」と書き出される。美保関の神様とは、事代主神(大国主神の息子)である。しかし,同じ事代主神を信奉する中海の対岸安来の町には雄鶏も雌鶏もひよこもたくさんいると書く。そんな話は聞いたことがない。
「日御碕にて」では,おのれの欲望と憎しみを剥き出しにした出雲の大名松平候の「恐ろしい秘話」が語られている。これも知らない。

「八重垣神社」は実に詳しい。3年間通った松江南高校から歩い距離にあったから,昼休みに行くこともできた。八重垣神社は,佐草村にあり,素佐之男命と稲田比売、その子佐草命を祀るが,古文の先生が佐草先生といい,八重垣神社の宮司であった。ハーンは、古事記を引いて,出雲神話を説明している。『古事記』の最初の完訳は明治15年(1882)に初版された英国人のB. H. チェンバレン(B. H. Chamberlain) 英訳のKO-JI-KI or “Records of Ancient Matters”である。ハーンは,日本に来る前に読んでいたのである。八重垣神社を西田千太郎と人力車で訪れたのは,1891年4月で,松江から出発し,武内神社,六所神社を経て、真名井神社に行き,神魂神社に参拝した後,八重垣神社に至っている。 武内神社は,知井宮(出雲市)に住んでいた祖父が―僕は祖父の家で生まれて一月後に松江に移り住んだ―,8月末日に松江に一泊してお参りに行く神社であった。ハーンは、「神功皇后の腹心で尊敬を集めた大臣、武内宿禰を祀った武内神社は,今では,健康と長寿を祈願とする神社となっている」と書くが,ウェブサイトを覗くと,平濱八幡宮・武内神社とあり,「平濱八幡宮の創建年代は不詳でありますが、京都の石清水八幡宮の別宮として天永2年(1111年)大政官の命を受け、陰陽寮においてご遷宮の日時を占ったことが石清水文書に見え、出雲国最古の八幡宮といわれています。後には出雲国八所八幡宮の総社として著われ、社家は代々惣検校に任ぜられ、天下泰平の御祈願所として歴代朝野の尊崇篤く、国守の尊敬も深く、江戸時代は一社一令の神社として特殊の地位を保持してきました。主祭神應神天皇は高度の外国文明を取り入れて学術を振興し、 池溝を掘って農業を改良し、織機を入れて織物を盛大ならしめるなど、我国の文化及び産業を非常に発展させられたので、文教、殖産興業の守護神として広く信仰されています。境内社武内神社は武内宿禰命を御祭神とし、御祭神が日本初の大臣として景行、成務、仲哀、應神、仁徳の五代の天皇に仕へられた大政治家であり、長寿であったことから、延命長寿、開運厄除、諸災消除、家内安全、商売繁盛、大漁満足、病気平癒、交通安全にいたるまで、幅広く崇敬されています。特に病気平癒、交通安全には霊験があらたかで、命の助け神様として熱烈な信仰者が多数おられます。」とある。
全く知らなかったけれど、ウエブサイトには、「出雲國神仏霊場を廻る旅」として、第一番 出雲大社、第二番 康國寺、第三番 一畑寺(一畑薬師)、第四番 佐太神社、第五番 月照寺、第六番 賣布神社、第七番 華蔵寺、第八番 美保神社、第九番 大神山神社、第十番 大山寺、第十一番 清水寺、第十二番 雲樹寺、第十三番 平濱八幡宮・武内神社、第十四番 八重垣神社、第十五番 熊野大社、第十六番 須我神社、第十七番 峯寺、第十八番 須佐神社
第十九番 長浜神社、第二十番 日御碕神社が挙げられている。
出雲の神社については、『古事記』、出雲神話、出雲大社に絡んでいずれ振り返ろう。「狐」は,稲荷信仰の話である。「ばけばけ」は,松江の城山稲荷神社の石狐群がしばしばでてくる。「二つの珍しい祭日」は,正月と節分について,「幽霊とお化け」は祭りの際の「お化け屋敷」について紹介している。
八重垣神社についてのハーンの記述は,今日でも通用する深い解説である。最後に、「何とある恋人は、英語で願を掛けている!日本の神様たちは、英語が理解できると思ったのだろうか?恥ずかしがりやの学生が,自分の心の秘密を私の母国語である英語で竹の上に刻んでいるのだ。書いた当人は一西洋人がそれを見るなどとは夢にも思わなかったであろう。“I wish You, Haru”(ハルとむすばれんことはを!)。この同じ文句を一度だけではなく、四度五度も竹に彫り込んであるのだ。しかも、どれも前置詞のforが抜け落ちている。」
明治24年の松江に,八重垣神社に英語で願賭けをする青年がいたのである。
さて、ようやく隠岐である。
「隠岐に行くことに決めた。一人の宣教師も、まだ隠岐には行ったことがない。…」と書き起こされる。
全文書き写したい情報がある。例えば、境港からの「蒸気船」の様子など、明治の隠岐の一級資料である。興味深いと思う記述に止めよう。誰か全文読んで隠岐の歴史を振り返ったらいいと思う(既に、そういう文献があるのではないか?)。
「昔からの言い伝えに従えば,隠岐の住民の道徳観は,ひどく現実離れしている。つまり,どんな堅物でさえ,そこにいったん住めば,世俗的な快楽には無関心でいられなくなるという。はこの島にやって来た者がどんなに金持ちでも,故郷に帰る頃には、女たちの手練手管に引っかかって、裸一貫、無一文にされてしまうというのだ。」と隠岐訪問以前に得た情報を書いている。不用意な引用は誤解を増幅させるけれど,予め,小泉節子の「思い出の記」を引いておいたように、ハーンは,隠岐を日本で一番気に入っていた。西郷に着くと,「西郷ほど居心地のよい思いをしたところはない」と書いている。ただ,西洋料理を注文していいと言われて,幻滅したとも書く。「日本のなかでも最も原始的な地域に入り込み,あらゆる近代化の影響が及ぶ範囲をはるかに超えた場所にやって来たんだ、と勝手に想像していたのだ。」また,町中のどこに行っても漂ってくる,肥料に使う腐った魚の悪臭には参ったらしい。
島後では,松江で出版された小さな本に従って,都万目里の顎無し地蔵,油井村の壇鏡滝,下村の玉若酢神社前の大杉、そして馬蹄石が出る津井の池などを見たようだ。
最後にこう書く。
「それゆえ,烏賊の臭いに悩まされたにもかかわらず、私は隠岐が好きになったのである。私はどこまでも影響を及ぼす文明の圧力からのがれているというおおいなる喜びを、日本のどこよりも味わうことが出来た。少なくとも島前では,人間の生存にとって,あらゆる人工の及ぶ領域を超えて、本当の自分を知る喜びに浸ることが出来たのである。」
やはり、全体を読んでみたい。タトル出版からペーパーバックスが出ているという。













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