ジョグロ,ジャワの伝統的住居

ジョグロ

 船形住居,倉型住居,円形住居に加えて,もうひとつ,東南アジアで地域を超えた住居形態として,中央部に急勾配の寄棟屋根が高く突き出した形態がある。ジャワのジョグロjogloと呼ばれる住居がそれである。スンバでは,ウマ・ムタングuma mbatanguと呼ばれる。

ジャワの住居は,一般的に屋根の形態によって区別され,され,タジュクtajuk,ジョグロ,リマサンlimasan,カンポン,パンガンペpanggang-peという呼び名とともに類型化されている。タジュクは方形(宝形)の屋根形式をいい,基本的にはモスクなど宗教施設に用いられ,住居には用いられない。リマサンは,ジョグロと同じで寄棟の形式をいうが,棟は高くない。そして,カンポンは切妻屋根をいう。切妻屋根の両側に下屋をつけたものをスロトンsrotonといって区別する場合もあるが,切妻で四周に下屋を回すものもカンポンという。そしてパンガンペは片流れ屋根をいう(図SFⅠ5⑫)。カンポンで一般的に見られるのがカンポンである。

ジョグロは,王家や貴族,上層の住居であり,最も格式の高い家に用いられる(図SFⅠ5⑬abcd)。極めて特徴的な突出した屋根は,サカ・グルsaka guruと呼ばれる中央の4本柱の上部にトゥンパン・サリtumpang sariと呼ばれる特徴的な梁桁が何重にも井桁状に組まれ,その上に小屋組みが組まれる。屋敷地は,ジョグロと,ジョグロと全く同じ架構形式のプンドポpendopoを前後に並べる形で構成され,プンドポ,プリンギタンperingitan,ダレムdalem,パウォンpawon,ガンドックgandokの5つの部分からなる。プンドポは,壁のない吹き放しの東屋で,主屋の前部に置かれ,応接のために使われる。プリンギタンは,構造的には,プンドポとダレムの下屋が合わせられる部分である。ここでは,ジャワ特有の影絵芝居であるワヤンwayangが行われる。ダレムは,内,内部を意味するが,主屋をいい,家族の居住スペースである。大きく三つの部分に分けられ,前面が居間や寝室として使われる。4本柱の下が中央で,伝統的にはここで稲の女神スリSriに対して香がたかれる。後方に,スントンsenthong と呼ばれる三つの部屋が設けられる。中央の部屋はスントン・トゥンガsenthong tengahと呼ばれる最も神聖な場所である。パウォンは厨房である。ガンドックは,以上の主屋とは別に設けられる居室部分で,家族の部屋として使われる別棟が建てられたものである。

基本は,プンドポ,プリンギタン,ダレムの三部構成であるが,J .プリヨトモは,その構成はヒンドゥー・ジャワ期から変わっていないとする。そして,その構成はヒンドゥーの世界観を表し,中央部の突出は,メール山( マハメールmaha meru) を象徴する,という(Prijotomo, Josef 1984)。

 何故,ジャワの住居が地床式なのかについては諸説があるが,そのひとつはインドの地床式住居の伝統がジャワに持ち込まれたという説である(ロクサーナ・ウォータソン 1997)。この場合,チャンディ建築を建設した勢力はオーストロネシア世界の住居の伝統を一旦は受け入れていたことが前提となる。ボロブドゥールのレリーフに描かれる住居は全て高床形式なのである。ヒンドゥー文化を維持してきたバリ(あるいはロンボク島西部)の住居は基壇の上に建てられるが,地床と言えば地床である。高床と地床の中間形式を示している。それに対して,イスラームの影響とする説がある。イスラームの起源となったアラブ,また,その経由地に高床の伝統はないのである。イスラームの集団礼拝のために,高床の形式はなじまない,ともされる。また,中国の影響だという説もある。いずれかに決着はつけがたいが,ジャワには地床式住居の伝統が根づいていくことになった。

同じジャワ島でも,西部のスンダ地域には高床式住居が見られる。長年,外界からの影響を拒絶してきたとされるバンテン州の山中に居住するバドゥイ族の住居(図SFⅠ5⑭),また,タクシマラヤ県のカンポン・ナガ(図SFⅠ5⑮)の住居は,床の高さはそう高くなく,日本と同様「揚床」といった方がいいが,高床である。D.スミンタルジャは, スンダの地域を沿岸平野部と山間部に分け, 沿岸部の住居は, ①地床式で, ②平入りで前面にプンドポと呼ばれるオープンなヴェランダをもち, ③そのプンドポとソントンテンガsontong tengah(中央の間)と呼ばれる部屋と後方部の3つの部分からなり, それぞれが別の切妻屋根をもつことなどを特徴とする, それに対して, 山間部の住居は, ①高床式で, ②切妻であるが, ③船形屋根ではなく, 小規模で直線的に屋根が構成されることなどが特徴である,とする(Sumintardja, Djauhari 1973)。しかし,スンダのルーマー・アダットがどのような特性をもっていたのかは必ずしも明らかではない。 D.スミシタルジャは, ジャカルタに各地域の民家を集めた民家園タマンミニTaman Miniをつくる時に, 西ジャワ( スンダ) の伝統的住居をどのようなものとするかについて大きな議論があったという。チャイニーズやアラブ人, そしてオランダ人によって早くからレンガや瓦の技術などさまざまな要素が持ち込まれてきたからである。

しかし, バドゥイやナガの住居集落は,少なくとも,山間部における住居の原型とみることができる。 J S バドゥドゥらの酉ジャワのいくつかの集落の調査によると,基本的な住居型は, 平入りの小さな切妻住居で,それに下屋がつけられる形である(Badudu, J.S. and Hermansoemantri 1973)。ジャワでいうカンポン・タイプである。 また, 棟の向きをそろえて各住居が密集するのも共通である。 バドゥイをみてみると最小の住居はソソロsosoro と呼ばれる前室のついた2 室住居である。

 ジョグロとよく似た形式の住居がスンバ島に見られる。スンバではウマ・ムバタングとは「大きな家」という意味である。スンバ島の集落の住居の配置形態は,続いて見るように(SFⅠ6),単純に住居と倉を平行に配置する例が多い東南アジアにおいて,円形に配置するのが特徴であるが,ウマ・ムバタングの架構形式はジョグロと基本的に同じである(図SFⅠ5⑯)。また,マドゥラ島東部には,ジョグロの妻側の下屋を切断したような形態をみることができる(図SFⅠ5⑰)。この3つの地域の関係は定かではないが,J.プリヨトモJ.Prijotomo(1995)は,スンバのウマ・ムバタングが原型であり,ジャワに持ち込まれたと考えている(図SFⅠ5⑱)。ジョグロは瓦葺,ウマ・ムバタングは草(アランアラン)葺で勾配は異なる。ジャワが建築技術的に優れていたと考えられるから,祖型が周辺部に残されたと考えることも出来るだろう。マドゥラの形態は,ジョグロを棟の方向に並べる屋敷地の構成から変型されたと考えることができる。しかし,4本柱で屋根を支える架構の発想は特定の地域に限定されるわけではない。

 M.ポントは,ジャワのヴァナキュラー建築の発展段階を推測している(図SFⅠ5⑲)。M.ポントの場合,原型としてテント構造(1)を想定する。テント構造と4本柱(柱梁構造)の発生(2,3,4)系統が異なるように思われるが,4本柱の上にテント的な軽い構造を載せる事例はある。ティモール島のエマ族の円形住居,集会所ロポがそうである。また,ロンボク島の倉は屋根を含めた上部は籠のような構造である。

 原型として4本柱の小規模の倉型建築を想定すれば,その発展過程は理解しやすい。ルソン島(フィリピン)の山岳地域には倉型の住居の諸形態を見ることができるが,東インドネシアの島嶼部にも,ダガダ族の住居ラウテムLautemのように4本柱の倉型の高床式住居がある。首長クラスの住居は急勾配の寄棟屋根となり,ジョグロ,ウマ・ムバタングの中心構造と類似する。

 ジョグロなどジャワのルーマー・アダットについては,特に,その寸法体系についてJ.プリヨトモが明らかにしている(J.Prijotomo 1995)。ジャワには,プリンボンPrimbonと呼ばれる住居の建設に関わる家相書がある。また,スラット・チェンティニSerat Centhini,カウル・カランKawaruh Kalangという木割書の類いがある。

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