Written by

, , , ,

                           おしまいの頁で19

19 ジャングル,  おしまいの頁で,室内,199907

ジャングル

布野修司

 その昔手伝いをした縁で「黒テント」の公演用パンフの原稿を頼まれた。出し物はブレヒトの『都会のジャングル』(下北沢ザ・スズナリ五月二七日~六月六日)で、その舞台、一九一〇年代のシカゴについて書いて欲しいという。

 戯曲は、マレー人材木商シュリンクとガルガという若者の奇妙な闘いを描く。演出の佐藤信によると、現代のイジメの問題にも通ずる。テーマは「ジャングルとしての都会」だ。大都会をジャングルと形容し出したのはこの頃かららしい。

 ところで何故シカゴなのかが僕のテーマである。台本を追うと、全一一場とも、必ずしも具体的な場所ではない。猥雑なスラムやいかがわしい盛り場は出て来ない。ブレヒト自身は背景としてアメリカを選んだだけだという。人間というものは、奇妙で、ぎょっとするような、おどろくべき行動をするものだ、という主題のためにベルリンから距離を置きたのだ。

 芝居が初演された一九二二年、シカゴで近代建築の行方を左右するコンペが開催されている。当時世界最大の日刊紙発行を誇るシカゴ・トリビューン社新社屋のコンペだ。また、一九一九年には人種暴動が起きている。アル・カポネらギャングの跋扈する腐敗と無法の暗黒街は一九二〇年代のシカゴだけれど、一九世紀末のシカゴは、労働運動の中心地であり、既に血なまぐさい事件の絶えない町であった。シカゴは既に大都市の象徴になりつつあったとみていい。当時のシカゴについて俄(にわか)勉強して書いた。

  面白かったのが「チャイナホテル」という場面設定である。また、シュリンクが横浜生まれであることである。さらに、子供の頃「揚子江で手漕ぎ船に乗っていた」などとある。おそらく、チャイニーズ・マレーだと踏んだ。もちろん、当時のシカゴにチャイナタウンは既にあった。ほとんどがサンフランシスコ経由でシカゴに入り、鉄道関係で職を得た。ドイツからの移民も多い。建築家ミースなど亡命者を受け入れたのはこうしたドイツ移民のコミュニティである。ブレヒトがシカゴについて様々な情報を持っていたのは間違いない。当時、シカゴと横浜とベルリンは一人天才的戯曲家の頭の中でとにかくつながっていたのである。

  

『室内』おしまいの頁で199801~199912

◎01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

◎02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

◎03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

◎04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804,

◎05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

◎06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

◎07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

◎08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

◎09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

◎10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

◎11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

◎12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

◎13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

◎14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

◎15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

◎18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

◎19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,199907

◎20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

◎21日光,おしまいの頁で,室内,199909

◎22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

◎23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

◎24群居,おしまいの頁で,室内,199912

コメントを残す

布野修司  Studio Spiral Chronicleをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む