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                           おしまいの頁で10

10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

インド・サラセン様式

布野修司

 再びチェンナイ(マドラス)に戻ってきた。五週間の旅となるといささか長い。毎日が日曜日だが、異国の事物に刺激されて欲張ってつい見に行ったり、食べに行ったりするから休息日がない。疲れが身体の芯に蓄積される感じだ。ぜいたくというべきか。見知らぬ土地を見てその土地のことを学ぶのは無上の歓びである。問題は刺激が多すぎて脳味噌の許容量を情報が溢れてしまうことだ。

 チェンナイではジョージタウンの調査に手をつけた。英国がインドで最初にその拠点を置いたところだ。ヨーロッパ人たちは城壁内に住み、インド人たちは要塞の北に住んだ。それぞれホワイトタウン、ブラックタウンと呼ばれる。そのブラックタウンが今日のジョージタウンだ。

 実に賑やかな町である。日中から人通りが絶えない。眼鏡、自転車、工具、電器、鉄管、チューブ、ハードウエア・・・それぞれの通りに固まってある。インドのジャーティ制(職業分離)のせいか。

 ジョージタウンを歩き回っていて日本語の堪能な老人に会った。船乗りで日本に何度も行ったのだという。チェンナイは国際都市だ。彼によると、テルグ語、タミール語、ヒンディ語、ウルドゥ語、中国語が飛び交っているのだという。

 歩いていると植民地時代に建てられた独特の様式に気づく。インド・サラセン様式と呼ばれる英国人建築家によるコロニアル建築だ。西欧建築を基礎にしながら、イスラーム建築とヒンドゥー建築の要素が巧みに取り入れられている。ハイコート(最高裁判所)がその代表である。また、マドラス大学評議員会館もなかなかの迫力だ。列柱を並べたヴェランダを周囲に回すバンガロー形式が特徴であるが、細部に様々な要素が折衷されている。

 思えば、わが国の近代建築も英国の影響下に出発した。弱冠二五、六歳のJ.コンドルが先生である。彼はマドラス経由で日本に来たに違いない。彼の設計した鹿鳴館を思い出す。彼が当初日本建築に相応しいとイメージしたのはインド・サラセン様式なのである。伊東忠太の築地本願寺にもインドが濃厚に入り込んでいる。しかし何故か、コンドル・忠太以降、日本建築はインドもサラセンも無縁のものとしてきた。

『室内』おしまいの頁で199801~199912

◎01百年後の京都,おしまいの頁で,室内,199801

◎02室内と屋外,おしまいの頁で,室内,199802

◎03英語帝国主義,おしまいの頁で,室内,199803

◎04 アンコ-ルワット,おしまいの頁で,室内,199804,

◎05 ヤン・ファン・リ-ベック,おしまいの頁で,室内,199805

◎06 秦家,おしまいの頁で,室内,199806

◎07 木匠塾,おしまいの頁で,室内,199807

◎08建築家と保険,おしまいの頁で,室内,199808

◎09桟留,おしまいの頁で,室内,199809

◎10 インド・サラセン様式,おしまいの頁で,室内,199810

◎11 ヴィガン,おしまいの頁で,室内,199811

◎12カピス貝の街,おしまいの頁で,室内,199812

◎13ダム成金の家,おしまいの頁で,室内,199901

◎14 J.シラスのこと,おしまいの頁で,室内,199902

◎15 ジベタリアン,おしまいの頁で,室内,199903

16西成まちづくり大学,おしまいの頁で,室内,199904

17 スラバヤ・ヤマトホテル,おしまいの頁で,室内,199905

◎18京都デザインリ-グ構想,おしまいの頁で,室内,199906

◎19 ジャングル, おしまいの頁で,室内,199907

◎20 大工願望,おしまいの頁で,室内,199908

◎21日光,おしまいの頁で,室内,199909

◎22ヴァ-ラ-ナシ-,おしまいの頁で,室内,199910

◎23北京の変貌,おしまいの頁で,室内,199911

◎24群居,おしまいの頁で,室内,199912

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