布野修司:アジアの建築と都市 日本からの視座ー世界建築史の構築を目指してー,歴史民俗博物館,2009年3月
https://drive.google.com/file/d/1Yb_5s6EC-T6l1e8Kh8FOqr-eE5MJQdCt/view?usp=drive_link
[1] 太田勇 大坪省三 前田尚美編,『東南アジアの地域社会,』東洋大学創立百周年記念論文集編纂委員会,東洋大学, 1987年
[1] 拙著,『カンポンの世界』,パルコ出版,1991年。学位請求論文『インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究—ハウジング計画論に関する方法論的考察』(東京大学),1987年。
[1] 布野修司(監訳)+アジア都市建築研究会,『生きている住まいー東南アジア建築人類学』(ロクサーナ・ウオータソン著 The Living House: An Anthropology of Architecture in South-East Asia,学芸出版社,1997年など
[1] 布野修司編,『近代世界システムと植民都市』,京都大学学術出版会,2005年。布野修司,『曼荼羅都市・・・ヒンドゥー都市の空間理念とその変容』,京都大学学術出版会,2006年。M.M.Pant & Shuji Funo, “Stupa & Swastika”, Kyoto University Press+Singapore National University Press, 2007布野修司・山根周,『ムガル都市–イスラーム都市の空間変容』,京都大学学術出版会,2008年。布野修司+安藤正雄監訳,アジア都市建築研究会訳,『植えつけられた都市 英国植民都市の形成』,ロバート・ホーム著,Robert Home: Of Planting and Planning The making of British colonial cities,京都大学学術出版会,2001年など
[1] 布野修司+アジア都市建築研究会,『アジア都市建築史』,昭和堂,2003年。布野修司編,『世界住居誌』,昭和堂,2005年
[1] ヌガリ,コタ,バヌアといった言葉は,地域を遥かに超えた言葉である。ヌガリ,ヌガラはむしろクニといった意味で東南アジア大陸部からバリまで用いられるし,コバヌアになると,オーストロネシア世界全域で,「大陸,土地,集落,村,町,国」といった意味で使われている(ロクサーナ・ウオータソン,『生きている住まいー東南アジア建築人類学』,布野修司(監訳)+アジア都市建築研究会,The Living House: An Anthropology of Architecture in South-East Asia,学芸出版社,1997年)の「5 コスモロジー」参照。)。
[1] Markham, A. (ed.), “Voyages and Works of John Davis, the Navigator (水先案内人ジョン・デイビスの航海と仕事), London”, 1880.
[1] De Querbeuf, Y.M.H. (ed.), “Lectres Edifantes et Crieuses; ecreites des missions etrangeres(de la Compagnie de Jesus)(教訓的な奇妙な本:イエズス会の外国人宣教師の文章)”, Paris, 1780-83.
[1] A. Read, ‘The Structure of Cities in South-East Asia, 15th to 17 centuries’, Journal of South-East Asian Studies,11 (2).アンソニー・リード『大航海時代の東南アジアⅡ』,平野秀秋・田中優子訳,法政大学出版会,2002年
[1] インドネシアの各民族,各地域の伝統的な村落は様々な呼び方をされてきた。ミナンカバウのヌガリnegariーコタkota,バタック・トバのフタhuta- ビウスbius,ニアスのバヌアbanua ,マンタウェイのラゲイlaggaj ,フローレスのベオbeo ,アチェのガンボンgampong ,ブギスのワヌアwanua ,バリのバンジャールbanjar,・・・ など様々である。C.ファン・フォレンホーヘンは,今日のインドネシア全体を19の慣習法圏に分けている(C, van Voollenhoven, “Het adatrecht van Ned-Indio”,1881-1931)。アチェ法域,バタック法域,ミナンカバウ法域,南スマトラ法域,マレー法域,カリマンタン法域・,南スラウェシ法域,バリ・ロンボク法域およびジャワ島の3 つの法域が主なものである(インドネシアの村落組織についての詳細な議論は,布野修司,『カンポンの世界 ジャワの庶民住居誌』,Ⅱ-2 ジャワの村落 pp.106-119,パルコ出版,1991)。アチェのガンポン,スンダのルンボールというのがカンポンという響きに近い。
[1] 椎野若菜,「「コンパウンド」と「カンポン」—居住に関する人類学用語の歴史的考察—」,『社会人類学年報』,Vol.26,2000年
[1] 例えば,斯波義信は,外国人商人がそれぞれ分かれて住む集住区をポルトガル語のカンポンとしている(『華僑』,岩波新書,1995年)。
[1] Yule, H. and Burnel, A.C., “Hobson-Jobson: A Glossary of Colloquial Anglo-Indian Works and Phrases, and of Kindred Terms, Etymological, Historical, Geographical and Discursive, Delhi: Munshiram Manoharalal, 1903(1968)”
[1] MacGee, T.G., The Southeast Asian City: A Social Geography of the Primate Cities of Southeast Asia, G.Bell and Sons ltd,London, 1967。
[1] 『アジア都市建築史』の目次構成:はじめに/序章 アジアの都市と建築01 「アジア」と「ヨーロッパ」02亜細亜と東洋03「アジアはひとつ」04法隆寺のルーツ探し05日本建築の起源・・・東洋建築史の発端06東洋芸術の系統07東洋建築系統史論/Ⅰヴァナキュラー建築の世界 01アジアの伝統的住居02オーストロネシア世界・・・日本建築の原像03原始入母屋造・・・構造発達論04移動住居・・・ゲル(包)テント 円錐形住居05井篭組・・・校倉造り06磚・煉瓦造・・・ドーム,ヴォールト,ペンデンティーフの起源07高床式住居08中庭式住居・・・コートハウス09家族形態と住居形式10コスモスとしての家/Ⅱ 仏教建築の世界史 — 仏塔の来た道01仏教の聖地・・・釈迦の一生と仏跡02仏教の系譜03ストゥーパの原型 :仏陀の姿 仏像の誕生04チャイティアとヴィハーラ・・・石窟寺院と伽藍05 仏塔の諸形態:五輪塔06仏教寺院:中国仏教の展開07 仏教の宇宙観-神々のパンテオン/Ⅲ〈中華〉の建築世界01紫禁城-王権の空間02四合院03 <明堂>と礼制の建築04 陵寝の建築05木造建築の確立へ06木造架構の改革:大仏様の特異性07儒教の建築08道教の建築09中国庭園の世界Ⅳヒンドゥの建築世界— 神々の宇宙01ヒンドゥ教の神々02ヒンドゥ建築03最初期のヒンドゥ寺院・・北方型寺院の成立04石窟寺院と石彫寺院05 5つのラタ…南方型寺院の原型06チャルキヤの実験07華開くシカラ…北方型寺院の発展08聳え立つゴープラ…南方型寺院の発展:白亜の宇宙…ジャイナ教寺院の発達09ヒンドゥー・ヴァナキュラー…土着化するヒンドゥー建築0 海を渡った神々…東南アジアのヒンドゥー建築Ⅴアジアの都城とコスモロジー01アジアの都城02古代インドの都城03 古代中国の都城04古代インドと古代中国の都城思想比較05インド世界と中国世界における都市の原初形態06インド都城のバロック的展開07中国都城のバロック的展開08日本の都城Ⅵイスラーム世界の都市と建築01都市国家の誕生・・・イスラーム以前の西アジア02最初のモスク03岩のドーム・・・メッカ,メディナ,エルサレム04ワリード一世と3つのモスク・・・ダマスクス05バグダードとサーマッラー06西方イスラーム世界 マグリブ・イベリア半島07チュニス・・・アラブ・イスラーム都市の原理08 カイロ09イーワーン-イスファハン:墓廟10シナン・・・イスタンブール11アクバル・・・デリー・アグラ・ラフォール12中国 清真寺Ⅶ 植民都市と植民地建築01大航海時代と植民都市02植民都市の類型 03マニラ,ヴィガン・・・・スペイン04マラッカ・シンガポール・ジョージタウン・ヤンゴン05ハノイ ポンディシェリー:・フランス植民地06 バタヴィア,スラバヤ:蘭領東インド07ボンベイ・マドラス・カルカッタ:英領インド08大英帝国の首都・・ニューデリー09ロシアの植民都市10中国と西欧列強・・・香港・上海・広州11日本植民地:満州・朝鮮・台湾 終章 現代アジアの都市と建築01カンポンの世界02 都市遺産の継承と活用03エコーアーキテクチャー おわりに
[1] アジアという言葉はアッシリア起源である。アッシリアの碑文にasuとereb(irib)の対応,すなわち,「日いづる所」(東)と「日没する所」(西)の対比があり,asuがasiaに転訛したとされる。また,これがギリシャに伝わって,AsiaとEuropaになった。さらに,ラテン語におけるOriensあるいはOrient-em(昇る太陽,東)とOccident-em(沈む太陽,西)にも継承された。
[1] 以下を基本方針としたが、なしえたかどうかは疑問である。1 アジアの都市、建築の多様性を重層的に浮かび上がらせる。必ずしも時代順の記述はとらない(とれない)。より大きな地域区分、世界単位を下敷きにしたい。すなわち、ある程度のまとまりは意識したい。また、章立てにあたっては、地域、都市、建築の相互関連についてのテーマを重要視したい。2 アジアの都市、建築についての基礎的事項は網羅したい。また、主要な都市、主要な建築についての情報は盛り込みたい。重要な都市、建築を各章にうまく配置したい。3 単に建築をリストアップ(網羅)するに終始することを避け、めりはりをつける。ひとつの節ではひとつの建築(都市)を重点的に記述する。様々な切り口から記述が可能な都市、建築を選定する。4 モニュメンタルな建築のみの記述に終始しない。都市と建築を密接な関係において記述する。建築については都市を、都市に焦点を当てながら主要な建築は記述する。 5 建築については基礎的データの他は、その空間構成、設計原理を中心に記述する。6 都市については、主要な建築の配置、都市構成原理を中心に記述する。7 以下の章立てから漏れるものについてはコラムをたてる。
[1] 東洋建築史学史:『近代日本建築学発達史』(丸善)「10編 建築史学史」「3章 東洋建築の展開・明治期」(平井聖)「8章 東洋建築史研究の展開」(西川幸治)
[1] 建築学大系4,彰国社,1972年。
[1] 片山東熊,漢土大内裏ノ制」『建築雑誌』No.43 1890年07
[1] 伊東忠太,「法隆寺建築論」(1893年11月)『建築雑誌』No.83
[1] アジアを視野に入れた民家研究は,大田邦夫,佐藤浩司,浅川滋雄らによって先鞭をつけられ,玉井哲雄グループも続くところであるが,後続が心許ないのではないか。
[1] 村田治郎,「東洋建築系統史論 1~3」,建築雑誌,1931年4月~6月
[1] 布野修司(監訳)+アジア都市建築研究会訳,学芸出版社,1997年。
[1] P. Oliver (ed.) :”Encyclopedia of Vernacular Architecture of the World”, Cambridge University Press, 1997
[1] 立本成文,『地域研究の問題と方法 社会文化生態力学の試み』,京都大学学術出版会,1996年
[1] “Stupa & Swastika”の他,Pant, Mohan, 1990. Bahal Mandal—A study of Traditional Settlement Pattern of Patan City, Kathmandu Valley. Thesis submitted in partial fulfillment of Master’s degree program, Tongji University, Shanghai, 1990. 2002. A Study on the Spatial Formation of Kathmandu Valley Towns—The Case of Thimi. PhD dissertation submitted to Kyoto University, 2002.
[1] 相模書房,1953年。
[1] 「大仏様の源流をもとめて」,日本建築学会大会研究協議会,1998年。
[1] 片桐正夫,『朝鮮木造建築の架構技術発展と様式成立に関する史的研究―遺構にみる軒組形式の分析―』,1994年
[1] Rāz, Rām,”Essay on the Architecture of the Hindūs”, John William Parker, London, 1834.
[1] Acharya,P.K. “Architecture of Manasara”, Oxford University Press, 1934.
[1] Begde, P. V.: Ancient and Medieval Town Planning in India, Sagar Publications, New Delhi,1978
[1] ナガラは都市を意味し,ドラヴィダは民族名で,『マーナサーラ』などは建築様式の類型として言及する。すなわち,ナガラ式は北インドの,ドラヴィダ式は南インドの様式を指す。ヴェサラvesala式というのが中間系とされ,3類型がセットで示されるのが常である。ヴェサラというのは,馬とロバとの雑種ラバのことである。
[1] Shamasastry, R., “Arthasastra of Kautilya”, University of Mysore, Oriental Library Publications, 1915.
[1] Kangle, R.P., “The Kautilia Artaśāstra”Part 1 Sanskrit Text with a Glossary, Part 2 An English Translation with Critical and Explanatory Notes, Part3 A Study, Bombay University, 1965. Reprint, Delhi, Motilal Banarsidass Publisher, 1986, 1988, 1992.
[1] カウティリヤ,『実利論』上下,上村勝彦訳,岩波文庫,1984年。上村訳は,適宜,R.P.カングレー訳を参照している。
[1] Rangarajan, L.N., “Kautilya The Arthashastra”, Edited, Rearranged, Translated and Introduced, Penguin Books India, 1992. R.シャマシャーストリ訳の最後の版(1929年)から時間が経ってこの間新たな知見も加えられたこと,またその訳がいささか古めかしいこと,また,R.P.カングレー訳などが専ら正確さを期すために多くの細かな註が付けられていて,全体がわかりづらいことから,思い切って,全体を再編集するかたちをとっている。文献学的には問題かもしれないが,先行訳があるからこその大胆な試みである。読解を助ける図表も多く,全体を見通すためにはありがたい。全体は,11部に再編集され,「1部 序」,[2部 国家と構成要素],「3 王」,「4 国家組織」,「5 宝物・財源・会計監査」,「6 市民奉仕・規則」,「7 政府部門」,「8 法・裁判」,「9 秘密作戦」,「10 外交」,「11 防衛・戦闘」からなる。
[1] 「アジアの都城とコスモロジー」『アジア都市建築史』(2003年)所収
[1] 応地利明,前掲論文。
[1]深見奈緒子(2003),『イスラーム建築の見方―聖なる意匠の歴史』,東京堂出版 。深見奈緒子(2005),『世界のイスラーム建築』,講談社
[1] Stierlin, H.(1979), “Architecture de L’Islam, Office du Livre”, Fribourg,(アンリ・スチルラン 1987『イスラームの建築文化』神谷武夫訳,原書房)が貴重である。
[1] 日本における今日におけるイスラーム研究の基礎を築いたといっていいのが,「比較の手法によるイスラームの都市性の総合的研究」という共同研究(研究代表者板垣雄三 文部省科学研究費 重点領域研究1988-90)である。
[1] そのひとつの成果である羽田正(1994),『モスクが語るイスラーム史 ― 建築と政治権力』中公新書 が有り難い。
[1] サンスクリット語のチャクラcakraとは,一般には,インドの神秘的身体論において,脊椎に沿っていくつかある生命エネルギーともいうべきものの集積所をいうが,文字通りには「円」,「輪」,「円輪」を意味する。ヌガラ(ナガラ)negara/nagaraとは,「町」,「都市」あるいは「国」のことである。チャクラヌガラとは,直訳すれば「円輪都市」ということになる。
[1] 「カールムカ」についての『マーナサーラ』の記述は以下のようである(()内はAcharyaの章節項)。正方形もしくは長方形(Ⅸ-454)。この類型は,さらにパタナPattana,ケタカKhetaka,カルヴァタKharvataの三つからなる。パタナは主としてヴァイシャが,ケタカは主としてスードラが,カルヴァタは主としてクシャトリヤが住む(Ⅸ-455-457)。川岸や海岸に立地する(Ⅸ-458)・通りの起点(頭部)に交差(合流)点がある。西と北,南と東,北と東,南と西を繋ぐ通りをつくる(Ⅸ-459-461)。・外周部は弓(カールムカ)のような形となる。各区画は1~5の通りからなる(Ⅸ-462-463)。全ての車道は二つの歩道を持ち,ジグザグの小交差路は1つ以上の歩道を持つ(Ⅸ-464)。・四つの居住区を前述のように区画する(Ⅸ-465)。・シヴァなど神々は前述のように配される(Ⅸ-467)。・多くの門が造られる。塁壁をもつ(持たなくてもいい)(Ⅸ-468)。・ヴィシュヌ寺院は交差点に建ち,門から見えるのが望ましい。シヴァ寺院も交差点に建つ。そうでなければ,両寺院とも通りのない場所に建てられる(Ⅸ-469-472)。
[1] 高谷好一のアジアの生態区分による。アジア大陸の景観を概観すると,大きく,森,沙漠,草原,野,海の五つの区域を区別できる。大陸の中央部を横断して沙漠と草原があり,その北と南に森が広がる。東西端そして南に,中国,ヨーロッパ,インドの野が位置する。そして,大陸全体を取り巻く海がある。
[1] I.ウォーラーステイン,『近代世界システム Ⅰ,Ⅱ 農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立』,川北稔訳,岩波現代選書,1981年
[1] I.ウォーラーステイン,『近代世界システム 重商主義と「ヨーロッパ世界経済」の凝集 1600~1750』,川北稔訳,名古屋大学出版会,1993年
[1] I.ウォーラーステイン,『近代世界システム 大西洋革命の時代 1730~1840s』,川北稔訳,名古屋大学出版会,1997年
[1] Janet L. Abu-Lughod,”Before European Hegemony: The World System A.D.1250-1350”,Oxford University Press,1989.ジャネット・L.アブー=ルゴド,『ヨーロッパ覇権以前 もうひとつの世界システム』,岩波書店,2001年。
[1] アンドレ・グンター・フランク,『リオリエント-アジア時代のグローバル・エコノミー』(山下範久訳),藤原書店,2000年。
[1] ルイス・フロイス,『日欧文化比較』,大航海時代叢書ⅩⅠ,岡田章雄訳注,岩波書店,1965年
[1] ジョアン・ロドリーゲス,「司教伝」,『日本教会史』下,大航海時代叢書Ⅹ,伊東隆夫,土井忠夫訳,岩波書店,1970年
[1] アビラ・ヒロン,『日本王国論』,大航海時代叢書ⅩⅠ,佐久間正・会田由訳,岩生誠一注,岩波書店,1965年
[1] 平戸のオランダ商館は徳川幕府の命によって1640年以降次々と破壊され,現在,オランダ塀,井戸,階段とわずかな石垣が残るのみである。平戸市は,幕府による破壊命令直前の1640年10月時点の復元を目指している。洋風石造倉庫2棟の復元図がオランダ,ハーグのデ・カット&フィス建築設計事務所によって作製されている。手掛かりとなったのは,商館の会計帳簿に記載された,各種建設資材の寸法・数量・仕様・購入価格,大工・石工・瓦葺職人の作業内容・賃金である。また,商館長日記や書簡に書かれた建設や破壊の状況である。戸口・窓の位置,破風の形状などの外観や,屋根裏小屋組・巻揚機などの詳細といった不明確な部分に関しては,オランダに残された17世紀初頭の建物やジャカルタに残る東インド会社の建設した建物(ジャカルタ海洋博物館)を参照している。
[1] 『植えつけられた都市 英国植民都市の形成』,ロバート・ホーム著:布野修司+安藤正雄監訳,アジア都市建築研究会訳,京都大学学術出版会,2001年7月。























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