コミュニティ・アーキテクトとまちづくり

布野修司・水谷俊博 コミュニティ・アーキテクトとまちづくり,武蔵野市寄付講座(武蔵野大学)「住み続けられる建築と都市のデザイン」第10回,武蔵野大学,2026年6月29日

コミュニティ・アーキテクトとまちづくり

布野修司

https://drive.google.com/file/d/1q79jGc7sI8ituWIiQIBe_5Z7XOAFNbsY/view?usp=drive_link

https://docs.google.com/document/d/1YmOOGAkKwrfxi5qepSzogseU0IkYivm-/edit?usp=drive_link&ouid=100537228019154305481&rtpof=true&sd=true

https://drive.google.com/file/d/18QV2miL_b8hy_JUDLdwVKP-xD_J-YqLb/view?usp=drive_link

水谷 武蔵野大学水谷です。第2回の私のレクチャー,そして前回の笠置先生の会に引き続き,きょうは布野修司先生にお越しいただきました。何を隠そう,私は布野先生の弟子に当たるということで,お師匠さんの会を何とかこの武蔵野市寄付講座でやりたいということで,学科長の佐藤先生とも調整をして,本日,布野先生にお越しいただきました。

布野先生がまとめ書かれた『進撃の建築家たち』という本があります。ここに実は先生の周辺にいる建築家の方を紹介していただいてるんですけど,私も僭越ながら一端に紹介していただいてますので,本当に師匠と弟子という関係で,きょうは大学生以来,布野先生のちゃんとした講義を聴きたいと思います。

布野 [コミュニティ・アーキテクトとまちづくり]というのは,水谷先生から頂いたテーマですが,「コミュニティ・アーキテクト」って一体何だ?と思われますよね。「コミュニティ・アーキテクト」というのは,日本語にすれば「地域社会の建築家」ということですが,今日はできるだけ分かりやすくお伝えできればと思います。

「住み続けられる建築と都市のデザイン」というこの武蔵野市の寄付講座のシリーズですが,「住み続けられる」ことに最終的に責任を持っているのは自治体,武蔵野市ですね。本来は自治体の仕事ですけれど,自治体の職員だけでそれが実現できるわけではない。住民全体の問題です。住民が住み続けたいと思うかどうか,住民の参加は不可欠です。ただ,住民にとって日々の生活が第一であって,自治体全体について四六時中考えているわけにはいきません。そこで,選挙で選ばれた議員と首長が住民の意向を受けて,様々な施策を実行していく仕組みがある。そうした仕組みを含めて「住み続けられる」かどうかを実現するのは自治体の仕事です。

しかし,繰り返し首長や議員のスキャンダルがニュースになるように,日本の自治体が必ずしもうまくいってるわけではない。それに選挙でえらばれる議員は,特定の住民団体の利益代表である場合が一般的で,全ての住民の意向を反映する仕組みになっているわけではない。今日は,武蔵野市民の皆さんも多く参加のようですが,地域には様々な問題がありますし,問題が起こります。そうした地域のさまざまな問題を明らかにして,解決するために地域住民をサポートする職能が必要ではないか,それを「コミュニティ・アーキテクト」と言っているんです。自治体と地域住民(コミュニティ)をつなぐ役割を果たすわけです。「建築と都市のデザイン」ということでは,「コミュニティ・アーキテクト」ということでいいのかもしれませんが,問題は地域生活の全体に関わります。かつて,大工さんや各種の職人さんは,家を建てたり,直したり,植木の手入れをしたり,・・・といった本来の仕事だけではなく,近所の様々な相談を受けるそういう存在だったわけです。その現代的蘇生が「コミュニティ・アーキテクト」あるいは「タウンアーキテクト」なんです。

後ほどお話ししますが,日本でそういう仕組みをつくろうという動きがあり,私自身関わってきました。「コミュニティ・アーキテクト」というのは,イギリスで先行して実現してきた職能です。世界中でそういう職能,その可能性について議論がされてきています。

ベネズエラとホルムズ

最初に,予定していなかったんですが,いきなり,お配りした資料にはないスライドをお見せします(Slide⓵)。

Slide①

左は,ベネズエラです。3日前(現地時間6月24日18:05),マグニチュード7.2と7.5のすごい地震がありました。建築の学生は知っていると思いますけど,プリツカー賞という建築界のノーベル賞といわれる賞を受賞した山本理顕さんが,私は学生のころから知っていてそのお手伝いをしてるんですけど,ベネズエラに関わってるんです。ベネズエラは,今大変で,今年の1月3日にトランプ大統領がマドゥロ大統領を拉致拘束したのは知っていますよね。理顕さんは,2024年にプリツカー賞を受賞したのをきっかけに,ベネズエラの日本大使,石川さんというんですけど,両親は日本人でベネズエラ育ち,まだ50代ですけど,石川大使を通じて,貧しい人たちが住んでいる地区,バリオというんですけど,その居住環境を改善して欲しいと大統領から依頼されたんです。理顕さんは,2024年から昨年25年にかけて合わせて5回,ベネズエラに通って,案を練り,さあ実施しようという矢先でした。大統領が拉致され,地震の死者は阪神淡路大震災を超えそうで大変ですが,副大統領であったプロジェクト責任者のロドリゲス暫定大統領は,実にしっかりしていて,プロジェクトは動いていくと思います。関心のある若い建築家は是非参加してください。

Slide②

 右は,昨日届いた,私の研究室がやってきたことの集大成で,アジアの海域世界の港市(港町)のフィールド調査をまとめたものです。ベネズエラで味をしめたと言われますが,トランプ大統領はイランの最高指導者ハメネイ師を惨殺する暴挙に出ました。イランが反撃するのは当然ですが,ホルムズ海峡がその大きな反撃手段になっていますよね。私は,ホルムズ島に行ったことがあるんです。汗だくになって,ポルトガルがつくった要塞を調査したことがあります。本来海域というのは,無主(むしゅ)の場で,自由に行き来できる領域だった。「自由で開かれたインド・太平洋」と日本政府は言っていますよね。港市は,さまざまな民族,文化的背景を異にする人々が住む都市だった。異文化共生の原理を明らかにしたいというのがテーマです。しかし今や,陸域の勢力争いが海域も分割され,自由な海域がなくなっている,現在,その最もクリティカルな場所がホルムズ海峡ですね。

私は行けなかったんですけども,ベネズエラの首都カラカスで去年の11月の末に,世界バリオ会議を開いたんです(Slide②)。右は,布野修司責任編集の『都市美』4号「ローカル・エリア・リパブリック』という特集で理顕さんの昨年の動きをまとめたものです。私も2本ぐらい書いてますけど。今日お話しするのは,この「ローカル・エリア・リパブリック」がキーワードになります。日本語にするのが難しいんですけど。理顕さんは「地域社会圏」といいますが,リパブリックは共和国で,「地域社会共和国」が各地に必要ではないかという定期です。これも6月に出たばかりです。

「コミュニティ・アーキテクト」について今日話しますけど,世界中の動きと密接に関わっているということがまず言いたいことなんです。

 Ⅰ 51C(nLDK)とカンポン,Ⅱ 建築文化・景観問題研究会とアーバンアーキテクト制,Ⅲ コミュニティ・アーキテクト制の試行,Ⅳ コミュニティアーキテクチャー アーバン・ヴィレッジ運動,Ⅴ カンポン・インプルーブメント・プログラムという目次立てで喋ろうと思っていますけど,詳しくは説明できないと思います。詳細な資料を用意しましたので,舌足らずの点は参照していただければと思います。30分ぐらいは残しますので,ぜひ議論できればと思っています。日本については,私は出雲(島根県)の出身で隠岐の島っていう小さな1万4000人くらいの町でいろいろやっています。そういう話にもつなげられればと思います。

51C

 国公私立5大学を渡り歩いてきましたが,最初は,東京大学の建築計画研究室の助手だったんです。51Cって知っていますか。D51(デゴイチ)というのは,日本で一番多く造られた機関車ですけど,51Cというのは1951年の公営住宅のC型という意味ですが,戦後,最も大量に建設された住居型です。51Cは,ほぼ2DKと思ってもらっていいです。12坪,40㎡で2部屋(6畳+4.5畳)を設けると食事室と台所を合わせてダイニングキッチンDKとせざるを得ない。料理して食べるところを一緒にする空間DKが誕生したわけです。この間取りは,皆さんが設計しても似たようなものになりますよ。この51C型の住戸を階段室を挟んで,5階建てに積んで並べた住棟を単位として造ったのが日本の団地,住宅地のモデルになったんです。食寝分離と隔離就寝,子どもができて小学校上がる時ぐらいには寝室は分離しましょう,という原理ですね。これが核家族の住居の原型になって,今でいうファミリータイプ,nLDKが成立する。住居面積が増えると,個室を増やし,リビングルームと個室を分離する,nLDKですね。日本の住宅はほぼnLDKでできてきてるんです。

 私が研究室に入った頃,もう半世紀以上前ですが,北海道から沖縄まで,同じ標準タイプの住戸を建て続けてきたのは問題じゃないか,ということが相当議論になっていました。住宅だけじゃありません。実は学校もそうです。病院も図書館もそうです。公共施設はみんな標準設計を決めて,画一的な施設を建ててきたんです。第二次世界大戦で,東京をはじめ,原爆を落とされた広島,長崎など多くの都市が焼け野原となって,復興のために急いでいろんな施設を建てる必要があったわけです。

住宅については,戦後まもなく420万戸足りなかったと推計されています。戦災で焼失した住宅に加えて,満州など戦地からの引揚者の住宅が必要でした。そこで,狭いけれど51C,40㎡の標準住宅を積み重ねた団地をつくりましょうとやってきたわけです。しかし,1968年には日本全体で総住宅数が総世帯を超えます。そして,1973年には全都道府県で住宅数が世帯数を超えます。数の上では住宅不足は解消されるんです。加えて,1970年代に二度のオイルショックに見舞われます。これからは「遠高狭」ではなくて,すなわち,「遠くて,高くて,狭い」住宅ではなく,より豊かで,多様な住宅が必要ではないかと私自身も主張してきてるんです。

しかし,日本の住宅はこの半世紀大きくは変わっていません。私がどういう所で暮らしてきたかを話すと何時間あっても足りません。生まれて現在の住居までの間取りを資料に示していますので興味があれば覗いてみてください。

東京の住宅の平均面積が現在どのくらいか知ってますか?正確な統計を確認してこなかったんですが,半世紀前には20坪,70㎡でした。現在もそう大きく変わってないと思いますよ。国分寺駅のツィン・タワーは,70㎡代で7500万円ぐらいですね。都心にはタワーマンションが林立するわけですが,驚くのは中野区や杉並区の中古マンションでも1億円を超えるんですよね。面積はそう変わらないのに,立地による値段の格差が拡大しているのが日本の住宅の現状です。

本日参加の皆さんの多くは戸建住宅で育たれたということですが,戸建て住宅も,この間大転換してきました。1960年代は「住宅革命」の時代と言われます。この十年で窓など開口部はアルミサッシュに100%切り替わります。茅葺など草葺民家も消えます。気密化が進んだということです。また,空調機が普及したということです。プレファブ住宅の登場がその象徴です。在来工法といいますが,かつて大工さんや工務店によって,地域ごとに現場でつくられてきた住宅が,工業材料を用いて,予め工場でつくられた部材や部品で,敷地では組み立てるだけのものになります。木造住宅も今やプレカットと言って予め工場で刻んだもので現場では組み立てるだけになっています。住み続けられる都市というわけですが,住居は全て買うものになって,選択するものになってきてるんですね。

そして,大問題が空家の問題です。1億円を超える新築マンションが建てられる一方,空家が1000万戸を超えるんですよ。核家族のファミリータイプが建設されるわけですが,世界で少子高齢化,人口減少のトップを走る日本は,単身世帯が既に4割近くあり,夫婦のみ世帯が2割,65歳以上の世帯4割のうち,単身夫婦のみ世帯が4分の1近くある。夫婦のみ世帯はいずれ単身世帯となる。まちづくりとして,空家が多数ある,そして単身世帯が増え続けるというのは,地域にとって大問題です。基本的に,集まって住む形を間違えてきたんじゃないかと思うわけです。

カンポン

 東大で2年ほど助手をして,東洋大学に移ったんですが,磯村英一という都市社会学の大家が学長で,東洋大学だから,東洋のことをやります,「東洋における居住問題の理論的実証的研究」というんですが,私はインドネシアに行かされたんです。1979年1月に,最初にジャカルタに行ったんですが,バラックが建ち並ぶカンポンを見て,日本の戦後まもなくもこんな感じだったのかなと思ったんです。それで,インドネシアでも51Cのような住戸を積むような団地を建設していくんだろうか,と思ったんです。実際,日本の住宅公団がモデル団地を援助として建て始めていたんです。

Slide⓷

 このスライド(Slide⓷)で説明しますと,後ろに見えてるのは半世紀前ぐらいのジャカルタのカンポンです。カンポンというのは,ムラという意味なんですよね。カンポンガンと言うとイナカモンっていうニュアンスなんです。知らなかったんですけど,カンポンは英語のコンパウンドの語源なんです。オックスフォード英英辞典OEDにそう書いてあります。英語のコンパウンドは,囲われた集落を意味します。強制収容所もコンパウンドと言うんですが,カンポンは都市なのにムラっていうわけです。村から都市に出てきて,低所得者が集まって住む,それがカンポンなんです。都市に集まってきてムラ的に住むっていうのは,ものすごく新鮮でした。すなわち,ジャカルタのような大都市で生活していくためには,お互い助け合う,相互扶助が必要なんですね。

 日本の団地は,田舎のしがらみから離れて,都会で,核家族ファミリーで,子どもが1人か2人いて,51C,2DKに住めばいいというのではなくて,みんなが住む,住宅もいろんなつくり方があるんじゃないかって直感したんです。要するに集まって住む形にはもっといろいろあるんじゃないか?ということですね。

スラバヤ・コミュニティ・デザイン・ボード

実際に関わって多くのことを学んだのはスラバヤなんですが,最初にインドネシアに行った時に出会ったジョハン・シラス(スラバヤ工科大学名誉教授)の教えが大きいんです。私より一回り上なんですが,6月13日に亡くなったんです。残念です。

Slide④

スラバヤには「スラバヤ・コミュニティ・デザイン・ボード」というチームが1980年以降成立してきたんです(Slide④)。スラバヤ市と大学が一緒になっていろいろなことをやったんですけど,例えば,51Cとは違うルスン(ルーマー・ススン=積層住宅)と呼ぶんですが,共用部分を最大化する,一種のコレクティブハウスですが,いくつか建設しました。右は,リスマ・ハリアーニという前スラバヤ市長ですが,スラバヤ工科大学卒のジョハン・シラス先生のお弟子さんで建築家です。

スラバヤ市はジャカルタに次ぐ第二の都市なんです。人口は現在300万人ですが,都市圏は1500万人ぐらいの人口規模です。彼女の施策の評価は高く,中央政府の社会大臣も務めました。

水谷先生,武蔵野市の人口はいくらぐらいですか?

水谷 15万人です。

布野 15万人であれば,水谷先生が市長になれば相当のことができると思いますよ。「コミュニティ・アーキテクト」の上位にあるのは,「タウン・アーキテクト」であり「シティ・アーキテクト」すなわち首長なんですよ。後で話そうと思ってたんですが,先に喋りましょうか。

ルスンも個々の住戸は狭い,たった18㎡です。インドネシアの現在の最低住戸面積は36㎡なんです。51Cより狭いんです。しかし,ルスンは18㎡以外に共有スペースにキッチンとトイレがあります。そして,広いコモン・リビングがあります。一緒にテレビ見てもいいよ,店も出していい,雑貨屋や床屋がある。ここで作業してもいい,ムスリムですのでマスジド(モスク)という礼拝のスペースもある。それから結婚式も行われる。

Slide⑤

 リスマ市長時代ですが,スラバヤの全てのカンポンが参加する,カンポン改善の実施状況,アイディアを競うコンテストを毎年やるんですよ(Slide⑥)。カンポンの組織は,日本が持ち込んだと言われていますから,隣組ー町内会ー連合町内会ー区・・・と思ってもらっていいです。まちづくりコンテストみたいなものですね。リスマ市長は,アイディア・ウーマンでした。アーバンファーミングと

Slide⑥ 

いうんですが,カンポン中に緑を増やす,コンポストで,野菜とか肥料を使って樹木,野菜を植える。雨水は浄化して,廃品でドレスを作ったり,・・・カンポンのこうした取り組みはずいぶん進んでいる思ってるんです(Slide⑦)。

Slide⑦ 

 スラバヤ・エコハウスという実験住宅を建てる機会もありました。四半世紀前,1997~98年頃です。基本的な手法,技術,システムは,日本のエコハウスの第一人者である小玉祐一郎先生に指導をうけたんですが,パッシブシステムといいますが,可能な限り,自然エネルギー,再生可能エネルギーをベースにするものです。多少大掛かりなのは,ソーラーバッテリーのポンプで井水を汲み上げて

Slide⑧ 

床下を循環させる輻射床冷房システムです。二重屋根による断熱,煙突効果による廃熱,地域産材,リサイクル材料の利用など,考えられる手法をビルトインしました。

スラバヤは,年中ほぼ京都,大阪の夏と気候と同じなんですよ。湿度は日本の方が高くて,スラバヤは熱帯ですけどからっとしてるんです。だから,日本でも適応可能だと思って設計したんです。地球温暖化で日本はどんどん熱帯化してるんですから。それで,日本でもこういうモデルエコハウスを建設しませんか,と方々に声をかけたんですが,ほとんど反応はなかったんです。しかし,今こそ必要ですよね。遅いかもしれません。

アーバンアーキテクト制

 「コミュニティ・アーキテクト」という職能について考える直接のきっかけになったのは,建設省(現国土交通省)に設けられた「建築文化・景観問題研究会」(1992~95)なんです。私はまだ40台前半だったんですけど座長をやらされたんです。

建築と都市のあり方を規定する法律として建築基準法というのがあります。また,都市計画法というのがあります。建築の学生ならもちろん,また一般の皆さんも多分お分かりだと思います。用途地域制といいますが,都市計画地域では,敷地毎に建てられる建物の用途,建蔽率(けんぺいりつ),敷地面積に対する建築面積の割合ですね,容積率,敷地面積に対する予価面積の総計ですね,・・・などなど細かい規定があるんです。建築行政というけれど,建築基準法に違反している建築,2階に空き部屋造って容積をごまかしてるとか,そういう取り締まりばかりやっていて,日本の町はちっとも良くならない,美しくならない。どうすればいいか,というのがテーマでした。集められたのは,建設省から地方自治体の土木部とか建設部とかに出向する住宅局の若手官僚と新進気鋭の若手建築家です。最初に話した山本理顕さんとか,いまや芸術院会員の隈研吾さんとか,振り返れば,錚々たるメンバーが参加していたんです。

 細かい話はいっぱいあるんですが,資料をみてください。国交省が最終的にやろうとしたのが「アーバンアーキテクト」制なんです(Slide⑨)。なぜ,アーバンなの?と思いましたが,ヨーロッパの「タウンアーキテクト」あるいは「シティアーキテクト」がモデルだったと思います。

 建築を建てる時には「確認申請書」を全国にいる建築主事に提出する必要があります。建築主事は,建築基準法とか都市計画法など法的基準を満たしているかどうかを確認するんです。当時1800人ぐらい建築主事さんがいたんですが,その建築主事さんに,景観も含めて判断を委ねたらどうかというのが,研究会の結論だったんです。ただ,制度設計したんですが,「アーバンアーキテクト」の資格とか任期とか,いろいろ問題はありました。それから建築界の主導権争いというのもありました。これはあんまり若い学生には言わないほうがいいかもしれませんが,いろんなグループがあって,誰が,どの機関が主導するかといったことですね。

Slide⑨ 

しかし,1995年の阪神淡路大震災で白紙になっちゃうんです。街並みがどうのこうのっていうより,安心,安全な建築を造るのが優先だということです。実は,まだバブル経済の余韻があって,建設量が膨大で,建築確認の手間が自治体でこなせないという状況もあったんです。そこで,建築主事ではなくて,建築確認を行う「第三者機関」が設けられるんです。余談ですが,その結果,耐震構造計算書を偽造した「姉歯問題」なんかが起こったんです。以上がワンラウンドです。

京都コミュニティ・デザイン・リーグ

「アーバンアーキテクト」制がとん挫したことと阪神淡路大震災にショックを受けて,単に景観のみならず,防災,災害復興のためにも「コミュニティ・アーキテクト」のような存在が必要だと考えるようになります。そこで『裸の建築家 タウンアーキテクト論序説』(2000)という本を書くんです。

そして同時に「京都コミュニティ・デザイン・リーグ」を立ち上げました。「コミュニティ・アーキテクト」制のシミュレーションです。京都は大学が結構多いんですよ。建築,土木,造園など30研究室ぐらいが参加して出発しました。

水谷先生は,参加してたんだっけ?

水谷 ちょっとだけですね。

布野 今日一番言いたいのは,「京都コミュニティ・デザイン・リーグ」のようなことを,武蔵野市,三鷹市,多摩地区でやりませんかということですね。

Slide⑩ 

何をやったのか,詳細は資料に委ねますが,各チームは担当地区を毎年見て回って,何か問題あるか,ここはどうしたらいいか。建築ですと卒業設計があったり,卒業論文があったりするので,調査したり,提案する。住民からうちのここ何か

Slide⑪ 

直してって言われたら,実際にやる。1年の活動を年一遍,集まっていろいろ議論する。それから行事として集まって,断面調査と称して,八幡神社から西に向かって桂川あたりまでみんなで歩く,縦に鴨川沿いに歩くとか,いろいろやりました(Slide⑩)。

 京都は学区というのがあって,明治維新以降ですね。学区担当で42学区というのがあって,それぞれ担当する。従って,2学区担当するチームもありました。

 布野研究室が担当した南区(Slide⑪)は,京都と言っても,皆さんは新幹線の南はあんまりご存じないかもしれないけど,被差別部落があったり,廃棄物がいっぱい捨てられてたり,いろんな問題がありました。「京都コミュニティ・デザイン・リーグ」も挫折するんですが,コミッショナーの京都府立大学の学長をやられたことのある広原盛明先生が,京都市長選に出馬されて,6万票差で負けたことが大きかったんですね。勝ってたら,多分この制度は京都で最初に始まったはずなんですよ。『京都げのむ』という雑誌,年報1~6号が(2001~2006)その活動を記録しています。

近江環人地域再生学講座

 2005年に滋賀県立大学に移るんですが,「京都コミュニティ・デザイン・リーグ」の話をしたら,滋賀県立大学でもやろうということになった。しかも,大学院に講座をつくって,大学の正式のカリキュラムに取り入れられることになるんです。大学も地域貢献が問われていて,文科省も地域貢献の取り組みに助成金を出すプログラムを進めていたんです。

いろいろ議論して,「近江環人地域再生学座」という名前になったんですが,近江環人っていうのは,近江商人の「商」を環境の「環」に置き換えて,コミュニティ・アーキテクトっていうルビをふるんです。近江環人(コミュニティ・アーキテクト)(コミュニティ・アーキテクト)です。あっという間に学則になって,大学院の講座ができたんです。

Slide⑫ Slide⑬  

 滋賀県には当時,26市町村あったんです。皆さんは知っているかどうか,当時,環境学者で,脱ダム,新幹線駅反対で当選した嘉田由紀子さんが,今維新の会の参議院議員ですが,知事だったんです。彼女がやると言って,26市町村にみんなで首長をつくろうという話で一致してたんです。10年後,2015年には300人ぐらいが終了制になって,各地で活躍してるんです。

アーバン・ヴィレッジ運動 

イギリスでコミュニティ・アーキテクチャー運動が行われるのは,1970年代から1980年代にかけてのことです。アーバン・ヴィレッジ運動とも言われます。アーバン・ヴィレッジすなわちカンポンですね。先進諸国でも,都市のコミュニティを主体とする環境改善,コミュニティ再生の運動が展開されるわけです。

ロッド・ハクニーっていう建築家が運動のリーダーになるんですけど,当時のチャールズ皇太子,現国王ウィリアムⅢ世が,強力な運動の推進者になるんです。無名の建築家だったハクニーは,王立建築家協会RIBAの会長になって,世界建築家協会UIA,パリに本部がありますけど,その会長にもなるんです。その詳細は,時間がないので飛ばします。資料をご覧ください(Slide⑭)。

Slide⑭ 

東日本大震災

カンポン・インプルーブメント・プログラムについては,先にお話しさせていただきましたので,「アーバンアーキテクト」制のリターンマッチ第2ラウンドに触れてまとめます。

 国交省で,「建築まちなみ景観形成ガイドライン」検討委員会が設けられたのは2007年です。この委員会の座長は山本理顕さんです。私は,委員として,「建築文化・景観問題研究会」以降の流れを踏まえて,「タウンアーキテクトの役割とその仕事 「地区建築士(コミュニティ・アーキテクト)制の構想について」 」と題して報告しました。この委員会の結果は,制度に結びついたわけではありま

せんが,一歩前進の施策につながります。年に1億5000万だったかな。500万ずつ30地区,コミュニティ・アーキテクトの活動にコンサルタント料として出すというのです。

しかし,誰が,どういう基準で,地区とコミュニティ・アーキテクトを選定するのか,不明ですし,そこまで議論は進んだわけではありません。理顕さんも私も決める委員会からはじかれて関与できなかったんです。それと,毎年,30地区を選定するという施策は,2年で中断します。原因は,東日本大震災(2011)です。震災復興計画に70億円,別に予算措置がなされるんです。

東日本大震災のときに,たまたま,私は建築学会の副会長で,コミュニティ・アーキテクトを各地域に貼り付けるために,方々に無心をして, 15チームに多少の支援金を出したんです。災害のときに一番必要なのが「コミュニティ・アーキテクト」だと心底思いました。自治体の職員も被災するわけです。私は阪神淡路大震災を経験しましたけど,燃えてるのに消せない,消防車が来ない,消防士だって被災してるわけです。

 東日本大震災のときには,各チームそれぞれいい仕事をしてくれました。私が直接関わったのは,番屋といって,カキ養殖など漁業のための小屋の建設です(Slide⑮)。布野研究室出身で,当時,宮城大学にいた竹内泰くんの要請です。たまたま岐阜の山の中で,木匠塾と言うんですけど,木のことを勉強するサマースクールを続けていて,その建設会社に資材の提供を頼み込んだんです。宮城大学の学生に,滋賀県立大学生も加わって大活躍したんです。コミュニティ・アーキテクト的な組織なりグループなりが絶対に必要なんです。

 

Slide⑮ 

  カイロ

 それでは,駆け足になりますが,私が経験したいくつかの事例をお見せします。エジプトに呼ばれる機会がありました。エジプトの今のシシ大統領が,軍事政権ですけど,日本式学校を100校建ててくれと言うんですよ。そんなのやめたほうがいい,画一的なものを100校も建ててどうするのと言ったんですが,幼稚園から高校までのタイプとか,いろんなタイプを考えているというので,それぞれモデルをつくったりしたんです。標準化じゃなくて,結構面白かったんですが,何度か通っているうちに,それの延長で,カイロのど真ん中のまちづくりをどうするかという話があって,日本の学生連れていって,ワークショップをやったりしたんです。指針としてはカンポンで考えてきたことを紹介したんです(Slide⑯)。

カラカス

ベネズエラですが,首都カラカスは人口325万人ですからスラバヤと同じぐらいです。バリオは山の斜面に密集して形成されているんです。

ロドリゲス暫定大統領,このときは副大統領ですが,彼女が山本理顕さんに依頼しているとところです(Slide⑰)。密集して住んでるから,車の道路を造れないんですよ。ロープウェイが公共交通機関なんです。なかなかいいアイディアで,その駅にコミュニティ施設を造ってるんです。体育館とか文化施設ですね。ロープウェイですので,屋上に広告するんです。今回の地震は,カラカスの北のカリブ海沿海のヤラクイ州がひどくて,私の予想としては,カラカスのバリオでは,そんなに死者は出ていないんじゃないかと,希望的には思います。バリオの住居は2階建てなんです。

Slide⑰ 

10階建てとか5階建てぐらいの建物がつぶれてますね。今,死者1500人ぐらいといってますけど,阪神淡路大震災が6000人ですから,行方不明5万人とかいってるんで,おそらく超えるんだろうと思います。いろいろ計画を立てたとこでした。

Slide⑱ 

 住民たちの組織はコムーナといいますが,しっかりしているんです。コムーナというのは,イタリアでいうと,自治体という意味です。フランス語でいうと,コミューンです。コミューンっていうと,パリコミューンなどを思い浮かべますが,コミューンというのは基礎自治体の市町村です。コムーナがあって,こういう言葉を使ってるんですけど,一般的にはバリオと言いますけど。そういうものの組織がしっかりしていて,これまでも住民自身がいろんな提案をしてきてるんです(Slide⑱)。震災復興に当たっては,コムーナの相互扶助組織が力を発揮すると思います。

 

隠岐の島町—離島モデル

最後に,私が島根県出身ということで関わっているのが隠岐の島町の町づくりです。隠岐の島と言えば後醍醐天皇が流されたり,歴史は古いんですが,隠岐汽船のターミナルがある人口1万4000人ぐらいですけど,西郷港周辺が寂れて,一般的にいうと地方都市の空き家問題,空地が増えてる状況なんです。武蔵野市のような都会とは全然違う問題があるんです。この地区をどうやって活性化するかということを,これもう5年関わっています。

桑子敏雄先生という東大の哲学を出た先生がもう10年くらい関わられていて,松江市の大橋川拡幅の問題に一緒に関わったんですが,その縁で手伝えと言われたんです。桑子先生は,とにかく若い世代を巻き込みたいということで,西郷小学校,西郷中学校,隠岐高校という学校を巻き込んで,まちづくりをやっているところなんです(Slide⑲)。  

隠岐の島には,島前道後があって,島前に海士町(あまちょう)っていう,これはまちづくりでものすごい有名なんです。人口2000人ぐらいですけど,人口を増やした。全国から高校に入学してくるんです。隠岐の島町は最大1万8000人ぐらいあったんですが,それを回復することは最早ないと思います。

Slide⑲ 

 日本の人口は,もう減少しはじめてますよね。私は生きていませんけど,多分,第二次世界大戦後まもなくぐらいには,今の若い学生諸君が生きてる間にはなると思います。一億人を割るってことですね。それに沿った体制をつくるということで,隠岐の島は離島モデルにちょうどいい,離島が自立して生きていくモデルができないかと思ってるんです。自立を,日本全体もそうですけど,エネルギー,食

Slide⑳ 

料などを自給できる体制を,各自治体が目指す。これは都会にいるとあんまり考えにくいですよね。しかし,各自治体,地域が自立できるモデルをつくっていかなきゃいけないんじゃないかっていうふうに思いながらお手伝いをしてるんです。

 まずは拠点になるっていうのものが必要ということで,『海の見える交流館』仮称ですけど,今その建設が進行中です。隠岐の島中の食べ物というか,農業資産を使ってレストランとか2階は各世代つなぐ交流施設とか構想をまとめ,コンペを行い,何とか建設業者が決まったところです(Slide⑳)。次のプログラムは,この図でいうと,ここにコモンズ1,コモンズ2といって,この辺全部再開発していく計画です。

 

公開ヒヤリング方式

これまでいろんな建築コンペティションに審査員として参加しました。私が関わる場合は,公開ヒアリング方式をとります。一時期,「島根方式」と呼ばれたりしましたが,その後,京都でも,滋賀でも,全国で行われるようになってきました。二段階で,一段階目は,できるだけ応募資格を低くして,広くアイディアを募る。二段階目は,いくつかの代表的な案を選んでプレゼンテーションをしてもらい,公開でヒヤリングを行うんです。昔は指名した建築家をそれぞれ密室に呼び込んで質問して決めるというのが一般的でした。

 これは滋賀県の新生美術館のコンペの時の様子ですが(Slide㉑),隈さん,理顕さん,一番奥端が日建設計,青木淳さん,後ろのほうに並ぶのは,構造と設備の専門家。手前に審査員が並ぶんですが,みんなで議論をし

Slide㉑ 

ます。このときは,ものすごい顔ぶれでした。下手なシンポジウムより面白い。お互い自分の案が一番いいと言いあう。それを市民が聞いてるんです。どういう質問をするか,審査員も問われます。下は私が関わった事例です。渡辺豊和さんの「ラメール」,菊竹清訓先生の「島根県立美術館」,新井千秋の「悠々ふるさと会館」,高松伸の「七類メテオプラザ」七類港,隠岐に行くターミナルですね,そしてシーラカンスの「ビッグハート出雲」ですね(Slide㉑)。

  

 希望のコミューンー7つの指針

現在,世界は大変動しつつあります。気候変動による温暖化の問題も大きいんですが,とりわけアメリカ第一主義をとなえるトランプ大統領の出現以降,国際秩序の混乱は収拾がつかない。世界史的な大変動期に突入した感があります。国連が全く機能しない。ウクライナ戦争,ガザ,今年に入ってマドゥラ大統領拉致拘束,イラン空爆,最高指導者ハメネイ師惨殺・・・国際秩序が破壊される中で,何を拠点にするかを考える必要がある。

去年出した『希望のコミューン』という本は,まずは自治体が自立せよっていうことなんです。また,コミュニティが大事だということです。中央集権ではなく,分散自立組織DAOとしての自治体ネットワークに期待しようということです。災害があったときに,自治体の職員,派遣しますね。それは政府が何も言わなくても,助け合うことが行われます。国境を越えてもネットワークをつくる。自治体は,例えば,姉妹都市というネットワークをつくっていますよね。いざとなったら野菜を送

Slide㉒ 

ってもらうとか,そういうネットワークを自治体ベースでつくっていく。今度のベネズエラ地震でもアメリカも援助に行っている。

最後に『希望のコミューン』にあげた「分散自立組織としての自治体のための7つの指針」を(Slide㉒)あげて,締めくくりとさせていただきます。

① オートノミーAutonomy(自治・自立・自律)の原則: これは,都市コミューンの理念そのものであり,全ての指針を貫く第一原理である。

② 経済の地域内循環

③ 再生エネルギーによる自給自足

④ 都市オペレーティング・システムOS-デジタル・インフラストラクチャーの確立

⑤ 共助・相互扶助のシステム構築

⑥ シェアハウス・コーポラティブ・ハウス・オートノマス・ハウスの原則

⑦ 多様な都市ネットワークの構築

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