ホモ・サピエンスの拡散
布野修司
家族—共同体―都市-国家の起源 その⑥
Shuji Funo
前回のやりとりは添付します。ホモ・サピエンスの出現,形成については整理できました。ホモ・サピエンスの「出アフリカ」と地球各地への拡散について以下補足質問します。しばらく、「家族—共同体―都市-国家の起源」については忘れてください。
Q1 ホモ・サピエンスの「現在の非アフリカ人」の祖先につながる大規模な拡散は、ほぼ一回で,5~6万年前ということですね。
Q1―1 そうするとスラウェシの洞窟画が6万7800年前というのはホモ・サピエンスではないということになりませんか?
Q1-2 拡散のルートについて聞きましたが、各地への到達年を教えてください。示していただいた以下のルートは到達年が抜けていますし、南北アメリカが抜けています。
アフリカ
│
├── 北ルート → エジプト → レヴァント
│
└── 東ルート → 紅海周辺 → アラビア
│
↓
南アジア
│
┌─────────┴─────────┐
↓ ↓
東南アジア 東アジア
│
Wallacea
│
↓
Sahul
(豪州+ニューギニア)
以下のような図(最新図)で示してくれませんか?前回もリクエストしました。

この図によれば、レヴァントには12~8万年前,ヨーロッパ4万年前,東南アジア6蔓延前,オーストラリア5万年前,北アメリカ1.4万年前,南アフリカ南端1.3万年前となっています。
Q2 なぜ5~6万年前の拡散(大躍進)が成功したのか?については,いまのところ分からないということですが、以下,さらに詳しく教えてください。
Q2-1 興味深い研究として,「2025年Natureの研究では、約7万年前以降にアフリカ内部で、human niche breadthつまり人類が利用できる環境の幅が急速に広がったことが示されています」ということですが,人類が利用できる環境の幅が急速に広がったというのはどういうことですか?要するに気候変動ということですか?
マンモスを追っかけて行った?というのは「出アフリカ」後のことだと思いますが?採集狩猟の環境が拡がった(あるいはせばまったということですか?
Q2-2 「森林から乾燥地まで、非常に異なる環境を利用できるようになった。そして約5万年前以降の出アフリカ集団は、この環境適応の柔軟性をもってアフリカ外へ拡散した、という議論です。したがって、気候の好転だけではなく、環境が変わっても生活できる能力そのものが高まったという説明が重要になっています。」といいますが,詳しく説明してください。
・気候の好転だけではなく、といいますが、どういう気候変化があったんですか?
・「異なる環境を利用にできるようになった」というのは、ホモ・サピエンスの能力について言っているようですが、そのエヴィデンスは?
混乱するので次の機会に聞きますが、衣服の発明?とか・・・
Q2-3 気候変動によって、Sahara Arabia Levant の環境が大きく変化したため、移動可能な「グリーン・コリドー」が何度も開閉しました。といいますが,具体的に開閉した年代を説明してください。10万年前前後に数回出アフリカがあったということですが、それと気候変動を結び付けて説明されていますか?
Q-3 ホモ・サピエンスの地球全体の拡散について、居住可能であるかどうかがルートを決めたと思いますが、コースについて、再度詳細に整理してください。
以下のような文章を書いたことがあります。
「ホモ・サピエンスは、およそ30万年前に誕生すると、やがてアフリカを出立し(出アフリカ)、グレート・ジャーニーと呼ばれる移住を開始する。移動していったのは採集狩猟によって食糧を獲得できる居住可能な地域エクメーネ Ökumeneである。ホモ・サピエンスは、それぞれの地域の気候風土に適応していったが、北緯70~72度以北,南緯54~55度以南は基本的に寒冷のために居住に適さないアネクメーネAnökumeneであった。標高4,000mを超えると居住に適さなかった。そして,砂漠やツンドラ,ジャングルなどアネクメーネは各地に存在する。しかし,そうしたアネクメーネもエクメーネ化されていくことになる。ホモ・サピエンスの歴史は,地球全体を人工環境化していく歴史である。」
特に、ユーラシア北東部からアメリカ大陸へルートと障壁を教えて下さい。ウラルアルタイ山脈?を超えるのに何万年かかかったのでは?中国へは北回りが早いですか、南回りが早いですか?
Wikipediaには、「出アフリカのルートも複数説あるが、近年[いつ?]、遺伝学的、言語学的、考古学的な証拠の支持を得ているのは、およそ7万年前にアフリカ東部の突端であるいわゆるアフリカの角からアラビア半島に渡った、「南方出アフリカ説」である」などいろいろ書いてあります。海で直接南アジアに渡ったというような説を聞いたような気もします。
各地の住居と居住遺構については改めて聞きます。
ChatGPT
ありがとうございます。前回の「その⑤」と今回のご質問をつなげて確認しました。前回資料では、すでに「初期の出アフリカは複数回」「現在の非アフリカ人につながる主要拡散は約5~6万年前」という二段構えを採っています。
今回は、①年代を整理する、②スラウェシ問題を解く、③2025年Natureの「human niche breadth」を正確に理解する、④グリーン・コリドー、⑤ユーラシアからアメリカまでのルートの順で整理します。
1.まずQ1――「5~6万年前の大拡散」は「唯一の出アフリカ」ではない
ここは前回よりさらに明確にしておいた方がよいと思います。現在の研究をかなり単純化すると、Homo sapiens のアフリカ外への進出は何度もあった。しかし、現在生きている非アフリカ人の大部分につながる人口拡散は、約5~6万年前に始まった一つの大きな系統に由来する。ということです。
2025年のNature論文もまさにこの点を出発点にしています。現生ユーラシア人の大部分の祖先は約5万年前のアフリカ外への拡散に由来する一方、化石資料はそれ以前にもアフリカ外に出ていたことを示す、としています。
したがって、「出アフリカ=5~6万年前」ではなく、「成功した大規模な出アフリカ=約5~6万年前」と書くのが一番正確です。
2.Q1-1 では、6万7800年前のスラウェシ洞窟画はどうなるのか?
ここが今回の非常に重要なポイントです。矛盾しません。むしろ、この発見によって、「5~6万年前」という年代を「人類がアフリカを出た年代」と理解してはいけないことが、いっそう明瞭になりました。2026年1月にNatureに発表された研究では、スラウェシ南東部ムナ島のLiang Metanduno洞窟の手形ステンシルについて、上に形成された方解石をU系列年代測定し、少なくとも67,800年前という年代を得ています。しかも論文はかなり慎重です。作者をDNAで直接確認したわけではない スラウェシには古い時期にarchaic homininも存在していた したがって「絶対にH. sapiens」と証明できるわけではない しかし、H. sapiensがこの地域に到達していた年代 手形ステンシルの高度な技法 指を意図的に変形させたような表現 などから、研究者はH. sapiensによるものと判断しています。したがって、67,800年前スラウェシにH. sapiensがいた↓65,000年前前後Sahul(オーストラリア+ニューギニア)に到達↓約50,000年前現在の非アフリカ人の主要な人口拡散が本格化という一見「逆転している」ような時間関係になります。しかしこれは矛盾ではありません。
「人口史上の大拡散」と「ある地域に最初に到達した年代」は別だからです。実際、Madjedbebeの年代は約65,000年前で、2017年のNature論文以来、Sahulへの人類到達を約65 kaまで遡らせています。さらに最近の研究では、Sahulへの「long chronology」、すなわち約60~65 kaという年代を支持する研究も出ています。ただし50 ka前後とする「short chronology」もなお存在し、ここは決着していません。ですから、私は今後この問題では、「約5~6万年前の大拡散」=人口史上の主要な拡散「6.5~6.8万年前のSahul・Sulawesi」=その主要拡散に先行する、あるいはその初期段階に位置する東南アジアへの進出と区別して書くのがよいと思います。
3.世界への拡散――年代を入れた新しい図
先生が示された図を、2026年現在の研究状況に合わせて組み直すと、私は次のようにします。
AFRICA
│
┌───────────┴───────────┐
│ │
北西ルート 東方ルート
│ │
エジプト・シナイ アフリカ東部
│ │
レヴァント 紅海・Bab al-Mandab
│ │
194–177 ka 以降 アラビア
(Misliya) │
130–90 ka │
(Skhul/Qafzeh) │
└───────────┬───────────┘
│
アラビア・西アジア
│
┌───────┴────────┐
│ │
西・中央アジア 南アジア
│ │
│ India 80–65 ka級
│ │
│ Southeast Asia
│ │
│ Laos 77–70 ka
│ │
│ Sunda
│ │
│ ┌───────┴────────┐
│ │ │
│ Wallacea East Asia
│ │ │
│ Sulawesi China
│ ≥67.8 ka │
│ │ 80 ka級
│ │ (年代論争あり)
│ │ │
│ ↓ ↓
│ SAHUL Korea/Japan
│ Australia + Siberia
│ New Guinea │
│ ≥65 ka │
│ │
│ Northeast Asia
│ ~45–40 ka
│ │
│ Beringia
│ │
└────────────────────────┤
↓
NORTH AMERICA
≥23 ka
(White Sands)
│
↓
CENTRAL AMERICA
│
↓
SOUTH AMERICA
≥15 ka級
(年代論争あり)
ただし、これは**「一本道」ではありません**。特に、北ルート 南ルート インド洋沿岸ルート 東南アジア経由 中央アジア経由 が相互に排他的だったわけではありません。
4.到達年代をもう少し表にすると
| 地域 | 現在の重要な年代 | コメント |
| レヴァント | 194–177 ka | Misliya。非常に早いH. sapiens |
| レヴァント | 約130–90 ka | Skhul・Qafzeh |
| アラビア | 約95–86 ka | Al Wusta |
| インド | 約80–65 ka級 | Dhaba等。ただし石器だけではH. sapiens確定が難しい |
| ラオス | 77±9 ka / 70±3 ka | Tam Pà LingのH. sapiens化石 |
| 南中国 | 80–120 kaという主張あり | Daoxian/Fuyan。ただし年代について論争あり |
| スラウェシ | ≥67.8 ka | Liang Metanduno |
| Sahul | 約65 ka | Madjedbebe |
| ヨーロッパ | 約45–43 ka | 現生人類の確実な定着 |
| 西シベリア | 約45 ka | H. sapiens |
| 北モンゴル | 約46–45 ka | 初期Upper Palaeolithic |
| 北中国 | 約45 ka | Shiyu |
| 北東アジア | 約40 ka | ここからBeringia方面へ |
| 北アメリカ | ≥23–21 ka | White Sands |
| 南米 | 少なくとも15 ka級、ただし年代論争あり | Monte Verde等 |
この表で特に注意すべきなのが中国です。南中国には80 ka級のH. sapiens化石を認める研究がありますが、年代測定・堆積状況をめぐって強い論争があります。近年の研究でも、南中国への初到達年代はなお未解決とされています。したがって、「中国には8万年前に確実に到達した」とは書かない方がよいでしょう。
一方、ラオスのTam Pà Lingについては、2023年のNature Communicationsで77±9 ka、70±3 kaのH. sapiens化石が報告されており、東南アジアへの早期進出についてはかなり重要な証拠です。
5.Q2-1 「human niche breadth」とは何なのか
ここは前回の私の説明を少し修正した方がよいと思います。先生の、「要するに気候変動ということですか?」という質問に対しては、「いいえ。気候変動そのものではありません。」が答えです。2025年Nature論文のいうhuman nicheは、簡単に言えば、人間が生存・繁殖できる環境条件の範囲です。研究者は、120,000~14,000年前のアフリカについて、年代の確定した479の考古学的居住地点を集め、そこに対応する古気候・植生データを重ねています。そして、どんな気候・植生条件の場所に、人間の居住跡が存在するようになったかを統計的に分析したわけです。すると、約70,000年前から人間が利用する環境の範囲が大きく広がった。特に、森林 → 草原 → 半乾燥地 → 乾燥した砂漠というように、従来あまり利用されていなかった異なる環境へ進出している。これをniche breadthの拡大と呼んでいます。
6.したがって「環境が広がった」のではない
ここは非常に重要です。先生がおっしゃる、「採集狩猟の環境が拡がった(あるいはせばまったということですか?)」については、人間が利用可能な環境の範囲が広がったという意味です。つまり、森林だけ利用→森林+草原→森林+草原+乾燥地→ 森林+草原+乾燥地+砂漠という方向です。砂漠そのものが「住みやすくなった」という意味ではありません。むしろ、従来なら生活できなかったような厳しい環境にも、人間側が入って生活できるようになったということです。
7.では、なぜ70,000年前からなのか?
ここが非常に面白いところです。約70,000年前は、気候史上ではMIS 4(Marine Isotope Stage 4)への移行期で。つまり、単純な意味での「温暖化して住みやすくなった」ではありません。むしろ、寒冷化・乾燥化・気候の不安定化が進んだ時期です。
2025年Nature論文自身も、北・東アフリカの乾燥化が人間をアフリカ外へ押し出したという「push」の説明だけでは不十分であり、気候変動の不均一性・不安定性が、より広い環境に対応する能力を促した可能性を論じています。つまり、「気候が良くなったから出て行けた」ではなく、「気候が不安定になり、環境が変化しても生きられる人間になった」という方向です。これはかなり重要な転換です。
8.Q2-2 「環境適応の柔軟性」とは何か
ここで誤解してはいけないのは、「新しい遺伝子が70,000年前に突然できた」という話ではないことです。Nature論文が示しているのは、もっとマクロな現象です。たとえば考古学的には、
① 食料の種類を広げる
植物、種子、根茎、小動物、魚、貝、大小の哺乳類など、利用する資源の幅を広げる。
Madjedbebeでも、約65,000年前の最初期の人々が、加工を必要とする植物を含め、かなり広い植物資源を利用していたことが確認されています。
② 技術を変える
石器だけではなく、研磨 加工 柄付け 植物処理 水の利用 火の利用 などによって、環境そのものを「利用可能」にする。
③ 火によって環境を変える
Nature論文が挙げる重要な例の一つがecosystem engineering、つまり火などを使って環境を改変することです。
④ 水を確保する
水の貯留技術なども、この時期に関連する重要な行動として挙げられています。
⑤ 食料加工
植物をそのまま食べるのではなく、採集 → 加工 → 食料化することで、従来利用できなかった資源を利用できるようになる。
つまり「適応」の主体が違う
普通の動物の場合、環境が変わる→身体が適応する→生き残るという説明になりやすい。しかしH. sapiensでは、環境が変わる→行動を変える→道具を変える→食料を変える→火・水・空間を操作する→環境そのものを変えるという適応が大きくなっていく。
ここに先生が以前から追っておられる、身体 → 行動 → 道具 → 環境改変 → 人工環境という問題が入ってきます。
ただし、今回のNature論文から**「衣服の発明」が証明されたわけではありません**。衣服については別途、考古学的・遺伝学的証拠を整理する必要があります。
9.「マンモスを追いかけた」のはいつなのか
先生の理解で正しいです。「マンモスを追ってシベリアへ」というイメージは、出アフリカ直後の説明ではありません。それははるか後の、西アジア → 中央アジア → 北ユーラシア → シベリアという拡散を考える段階です。しかも、実際には「マンモスがいたから人間が北へ行った」と単純化するのも危険です。人間は、トナカイ ウマ バイソン マンモス 植物 魚 小動物 などを組み合わせて利用していました。
10.Q2-3 「Green Corridor」はいつ開閉したのか
ここも重要です。サハラ―アラビアは現在、砂漠+乾燥地帯ですが、更新世にはモンスーンの強弱によって、時々かなり湿潤になりました。研究ではアラビア半島について、例えば、約200–190 ka 約170 ka 約155 ka 約130–120 ka 約105–95 ka 約85–75 ka 約60–55 ka に、モンスーン降雨が強まり湿潤化する「窓」が存在したとされています。すると、東アフリカ →紅海周辺→アラビア→西アジアというルートが、一時的に砂漠 → 草原・湖沼・河川を含む環境になり、人間が移動しやすくなる。これがいわゆるGreen Corridorです。
11.したがって10万年前前後に「何度も出アフリカ」があった
これはかなりよく対応しています。例えば、約194–177 ka Misliya→約130–90 ka Skhul・Qafzeh→約95–86 ka Al Wustaなど。Al Wustaでは、約95–86 kaという年代が、アラビア半島の湿潤期と対応するとされています。つまり、湿潤化→アラビアが通れる→人間が進出→乾燥化→人口が孤立・縮小 消滅/後退→次の湿潤期→ 再び進出ということが何度も起きた可能性があります。したがって先生が前回感じられた、「10万年前前後に何回か出アフリカがあったのでは?」という理解は、現在の研究とよく整合します。ただし、「気候がよくなったから出アフリカした」だけでは説明できない。これが2025年Nature論文の重要なところです。
12.そして約70 ka――少し話が変わる
ここが今回の一番重要なところだと思います。旧モデル 気候が良くなる → Green Corridor→出アフリカだけではなく、アフリカ内部で環境変動→森林・草原・乾燥地などを使い分ける能力が拡大→human niche breadth 拡大 → 70 ka~ →より厳しい環境にも対応可能→50–60 ka大規模な出アフリカ ↓ユーラシア全域へというモデルが出てきたわけです。これは非常に面白い。「地理的なGreen Corridorが人間を運んだ」のではなく、「Green Corridorが閉じても対応できる人間になった」ことが、長期的成功の条件だった可能性がある。ただし、これは現段階では有力な説明モデルの一つであって、決着した因果関係ではありません。
13.Q3 では、地球全体をどう移動したのか
ここは先生の「Ökumene/Anökumene」の議論につながるので、少し丁寧に整理したいと思います。大まかには、
AFRICA
│
├── Levant ── Anatolia ── Europe
│ │
│ └── Central Asia
│ │
│ Kazakhstan
│ │
│ Altai
│ │
│ Mongolia
│ │
│ Northeast Asia
│ │
│ Beringia
│ │
│ NORTH AMERICA
│ │
│ CENTRAL AMERICA
│ │
│ SOUTH AMERICA
│
└── Arabia
│
└── South Asia
│
┌────┴─────┐
│ │
Southeast East Asia
Asia │
│ │
Sunda │
│ │
Wallacea │
│ │
Sahul │
Siberia
という二大系統を考えるのが分かりやすい。
14.「中国へは北回りが早いか、南回りが早いか?」
これは非常に面白い質問です。結論からいうと、「どちらが早い」と単純には言えません。なぜなら、南中国については8~12万年前という非常に早いH. sapiens資料を主張する研究があるからです。一方、北ユーラシアについては、Altai:約50 ka 北モンゴル:約46–45 ka 西シベリア:約45 ka 北東アジア:約40 ka 北中国:約45 ka という、かなり後の確実な証拠がまとまっています。したがって、現在の証拠だけを見ると、南ルートAfrica ↓Arabia ↓India ↓Southeast Asia ↓Southern Chinaは、非常に早い段階から存在した可能性があります。実際、ラオスでは70~77 ka級のH. sapiens化石があります。一方、北ルートLevant ↓Anatolia ↓Iran / Central Asia ↓Altai ↓Mongolia ↓Northern China / Northeast Asiaは、確実な考古学資料ではおおむね50~40 kaの段階で明瞭になります。
15.「ウラル・アルタイ山脈を越えるのに何万年?」
ここは一つ訂正しておきたいところがあります。「ウラル・アルタイ山脈」という一つの巨大な障壁があった、と考えない方がよいです。「ウラル・アルタイ語族」という古い言語分類に由来するイメージもありますが、地理的には、ウラル山脈 カザフ草原 アルタイ山脈 モンゴル高原 東シベリア という複数の地域です。しかも更新世の人類にとっては、山脈そのものより、寒冷化・乾燥化・植生・動物資源の分布の方が重要だったと考えられます。実際、H. sapiensは約50 kaにはロシア・アルタイ、46–45 kaには北モンゴル、45 ka頃には西シベリア、約40 kaには北東アジアまで到達しています。ですから、「アフリカを出て、ウラル山脈の前で何万年も立ち止まった」というような歴史ではありません。むしろ、適した生態環境が連続する時期・場所を選びながら、かなり速く広がったと考える方がよい。
16.ではシベリアからアメリカへ――ここは全く別の「障壁」
先生の「ユーラシア北東部→アメリカ」は、非常に重要です。ポイントは**Beringia(ベーリンジア)**です。氷期には海面が低下して、Siberia │ │ Beringia │Alaskaが陸続きになりました。つまり、シベリア→アラスカは「海を渡った」のではなく、氷期には陸橋を渡ることができました。しかし、ここから先が問題です。北米中央部には、Laurentide Ice Sheet Cordilleran Ice Sheet という巨大な氷床が存在しました。したがって、Siberia ↓Beringia ↓Alaska ↓ × 巨大氷床 ↓North Americaという障壁がありました。
17.「14,000年前」という旧来の図はもう古い
先生の図にある北アメリカ 1.4万年前は、現在では修正が必要です。2021年に報告され、2023年に独立した年代測定によって確認されたNew MexicoのWhite Sandsの人間の足跡は、約23,000~21,000年前です。したがって、北米への到達は少なくとも約2.3万年前まで遡ると考えるべきです。これはかなり大きな修正です。
18.ではどうやって氷床を越えたのか?
ここで現在有力なのが、太平洋沿岸ルートです。Beringia ↓Alaska ↓Pacific Northwest ↓California ↓Central America ↓South Americaというルート。当時の海面低下によって、現在は海の下にある大陸棚が広く露出していました。したがって、現在の海岸線を地図に描いて考えてはいけないというのが重要です。実際、約15~14 kaになって初めて、LaurentideとCordilleranの間に巨大なIce-Free Corridorが開きます。しかし、そのルートが人間に利用可能になった時点では、すでに人間が氷床の南側にいた可能性が高いことがNature研究で示されています。つまり、初期アメリカ人は、内陸の氷床間ルートより太平洋沿岸ルートを使った可能性が高いという方向です。ただし、沿岸ルートの大部分はその後の海面上昇で水没してしまったため、考古学的証拠が非常に乏しい。
19.そして南米へ
ここも先生の元図の「南アメリカ1.3万年前」は、現在ではかなり慎重に扱う必要があります。White Sandsが23~21 kaなら、少なくともその頃には北米南部まで人間が到達しています。そこから、北米 ↓メキシコ ↓中米 ↓アンデス周辺 ↓南米東岸・西岸 ↓パタゴニアと拡散したと考えられます。ただし、南米到達年代は北米ほど単純ではありません。たとえば従来非常に重要だったChileのMonte Verdeは約14,500年前とされてきましたが、2026年に新しい年代研究が発表され、Monte Verde IIの年代そのものを大幅に若くする再評価が出ています。したがって2026年現在は、南米について「14,500年前で確定」と書くのも避けた方がよいと思います。これは先生が「最新図」を作る際には重要な注意点です。
20.先生の「Ökumene → Anökumene」という考え方について
ここまで整理すると、先生が書かれている文章には非常に面白い論点があります。
特に、「ホモ・サピエンスは、それぞれの地域の気候風土に適応していった」という部分は、そのままでよいと思います。ただし、最後の「ホモ・サピエンスの歴史は,地球全体を人工環境化していく歴史である。」という命題については、今回の2025年Nature研究がかなり重要な材料を提供します。なぜなら、自然環境 ↓人間が環境に適応する ↓しかし同時に ↓食料・火・水・道具・技術によって環境を「利用可能」にする ↓利用可能な環境の幅が拡大 ↓新しい地域へ移動 ↓さらに環境を改変という双方向の適応が見えてくるからです。つまり、人間が環境に適応しただけではない。むしろ、人間が「自分が適応できる環境」の範囲そのものを拡大していったということです。2025年Nature論文は、この現象を約70 kaから統計的に捉えようとしたものです。
21.ただし「北緯70~72度以北=Anökumene」は少し修正が必要
ここは先生の文章を将来仕上げるときに、私は修正をお勧めします。緯度だけでエクメーネ/アネクメーネを定義するのは難しいからです。たとえば、北極圏近くでも人間は居住してきた 高緯度でも海洋資源が豊富なら居住できる 高地でも4,000 m以上に恒常的な人口が存在する 砂漠でもオアシスや河川があれば居住できる からです。実際、H. sapiensの歴史そのものが、「居住可能/不可能」という固定した境界を押し広げる歴史だったと考えた方がよい。これは先生の最後の命題、「アネクメーネもエクメーネ化されていく」をむしろ強くすると思います。
22.今回のところで、一番重要な時間軸
最後に、今回の議論を一枚にするとこうなります。
約200–177 ka
│
│ Misliya
│ 最初期のH. sapiensのアフリカ外進出
│
├───────────────
│
約130–90 ka
│
│ Skhul / Qafzeh
│
├───────────────
│
約95–86 ka
│
│ Al Wusta
│ Arabia
│
├───────────────
│
約77–70 ka
│
│ Tam Pà Ling
│ Southeast Asia
│
├────── 約70 ka ───────
│
│ ★ human niche breadth 拡大
│
│ 森林 → 草原 → 乾燥地
│
├────────────────
│
約67.8 ka
│
│ Sulawesi rock art
│
├────────────────
│
約65 ka
│
│ Madjedbebe / Sahul
│
├────────────────
│
約60–50 ka
│
│ ★ 現在の非アフリカ人につながる
│ 大規模人口拡散
│
├────────────────
│
約50–45 ka
│
│ Europe
│ Siberia
│ Mongolia
│ China
│
├────────────────
│
約40 ka
│
│ Northeast Asia
│
├────────────────
│
約23–21 ka
│
│ ★ White Sands
│ North America
│
├────────────────
│
│ Central America
│ ↓
│ South America
│
└────────────────
ここから見えてくるのは、かなり面白いことです。
「5~6万年前に突然、人類がアフリカから世界へ飛び出した」のではない。むしろ、20万年前前後から何度もアフリカ外へ出る試みがあり、約10万年前前後にはアラビア・レヴァントへ進出し、約7万年前からアフリカ内部で利用環境の幅が拡大し、その過程を経て、約6~5万年前以降に世界的な人口拡散が成立した。そしてその直後には、67.8 kaのSulawesi、65 kaのSahulという、従来の「5万年前」という枠を越える非常に早い海洋・島嶼世界への進出が現れる。ですから、私は今後の議論では**「大躍進」という言葉を少し慎重に使う**のがよいと思います。むしろ、「数十万年にわたる試行錯誤の末、約7万年前から人類の環境利用能力が拡張し、約6~5万年前を中心に世界的な人口拡散が成立した」という表現の方が、2026年現在の研究にはよく合っています。
そしてこれは、先生が今回「家族―共同体―都市―国家」をいったん忘れて考えたい、とおっしゃった意味でも重要です。まず**「人類はどこまで、どのような環境を居住可能にしていったのか」**を地球規模で押さえることができます。次に住居遺構へ戻るときには、この地理的・環境的な拡大と「覆い/住居」の問題を分けて考えられるようになります。
以下を世界地図にできますか?
3.世界への拡散――年代を入れた新しい図
はい。ご提示の整理をもとに、**「人類の世界への拡散――主要ルートと年代」**という形で世界地図化しました。
ただし、これは模式図です。とくに中国約8万年前、インド約8–6.5万年前、アメリカ大陸への到達年代などは現在も議論があるため、「確定した一本道」ではなく、複数のルートが重なり得ることを示す構成にしています。

ます。

コメントを残す