家族—共同体-都市-国家の起源 09 農耕革命ー農耕社会の起源  

家族—共同体―都市-国家の起源 その⑧

農耕革命-農耕社会の起源

布野修司

Shuji Funo

前回のやり取りは添付します。

ホモ・サピエンスの集団形成についておよそのアウトラインは整理できました。

農耕革命―農耕開始による集落形成に移りたいと思います。

 Q0 その前に前回に関連して補足質問です。

  Q0-1  AgtaとBaYaka  Mbendjele について教えて下さい。

  A 「Agtaはフィリピンのルソン島東部太平洋岸に住む狩猟採集民で、シエラマドレ山脈に分布しています。彼らは約9000人の人口を持ち、黒褐色の肌、低い身長、縮れた頭髪などのネグロイド系人種の特徴を持っています。Agtaの言語はオーストロネシア語族に属し、他のネグロイド系民族の言語と最も近い類縁関係をもっています。Agta社会は親族関係にある5~7つの核家族から成る集落を基本単位としており、家屋は簡単な差し掛け小屋や小さな高床住居です。」ということでいいですか?

   B The Aka or Biaka (also Bayaka, Babenzele) [1] は,以下でいいですか?

The Aka or Biaka (also Bayaka, Babenzele)are a nomadic Mbenga pygmy people. They live in south-western Central African Republic and in northern Republic of the Congo. They are related to the Baka people of Cameroon, Gabon, northern Congo, and southwestern Central African Republic.Unlike the Mbuti pygmies of the eastern Congo (who speak only the language of the tribes with whom they are affiliated), the Aka speak their own language along with whichever of the approximately 15 Bantu peoples they are affiliated.

 C  mbendjele bayakaは同じですか?

  Q0-2 「100~200人」という集団規模については、ダンバー数が頭にあります。

  以下がWikipediaですが、批判も含めて、説明してくれますか?

  ダンバー数は、安定した社会的関係を維持できる人の認知的上限を指す提案されたものであり、個人がその人それぞれが誰で、互いの関係性を把握しているかを知っている関係です。この1990年代にイギリスの人類学者ロビン・ダンバーによって初めて提案され、霊長類の脳の大きさと平均的な社会集団の大きさとの相関を発見しました。平均的な人間の脳の大きさを用い、霊長類の結果から外推することで、人間は150の安定した関係を快適に維持できると提案しました。脳の構造が友人の数を予測するという証拠もありますが、因果関係はまだ明らかになっていません。

ダンバーはこの原則を非公式に「バーで偶然出会っても、無断で飲みに行っても恥ずかしくない人の数」と説明しました。ダンバーは「この限界は相対的な新皮質の大きさに直接依存するものであり、これが群の大きさを制限する…」と理論づけました。新皮質処理能力が課す限界は、安定した対人関係を維持できる個人の数に過ぎません。」周辺では、高校時代の友人など、もし再会した際に再会したいと思う過去の同僚も含まれています。[7]支持者は、これより人数が多いほど、より厳しい規則や法律、強制的な規範が安定し結束した集団を維持するために必要だと主張します。100から250の間に位置すると考えられており、一般的に使われる値は150です。

 では,農耕革命―農耕社会の起源についての質問です。

   Q1 農耕の起源,ドメスティケーション(栽培・牧畜)の起源,定住の起源に関する学説を整理してください。ホモ・サピエンスは,何故,農耕を開始したのか?

 Peter Bellwood(2005), “First Farmers: The origins of Agricultural Societies”, を要約した上で、それ以降の議論を教えてください。

   Q2 コムギ,イネ,トウモロコシなど主要な穀物の栽培の起源の年代と起源地,また、その拡散のルートと年代を整理してください。

    Bellwoodの図読めますか? 図も添付しますか?

古代の農業の発展を示す世界地図。トウモロコシや米などの作物の起源が示されている。

 

初期農耕拡散の地理的傾向を示す世界地図。各地域の農耕の起源年が記されている。

    

地図: 農耕と初期農耕文化複合の拡散とその方向を示す。主な文化地域が示され、狩猟採集民や農牧民の分布も記載されている。

Q3 農耕集落の最古級の考古学的遺構について,各地域について具体的にあげて、その人口規模について教えて下さい。

ChatGPT

布野先生、添付いただいた「その⑦」を確認しました。前回の議論では、20~30人程度の流動的な residential camp を核にしながら、婚姻・食物共有・友情・儀礼・物語などによって、それを越える社会的ネットワークが形成されるというところまで整理されていました。

今回は、そこから農耕社会へ移るための「橋」をかなり丁寧に作った方がよいと思います。特に重要なのは、定住 → 栽培 → 家畜化 → 農耕社会が一本の順序で進んだのではない、という点です。

また、Q0-1については前回の回答に少し問題があります。とくに Agtaについての「ネグロイド系人種」という表現は現在の人類学では使わない方がよく、また人口9000人という数字を「Agtaという単一集団」の人口として扱うのも注意が必要です。

Q0-1 Agta、BaYaka、Mbendjeleはどういう関係か

まず、三つを整理すると非常にすっきりします。Agta Agta はフィリピン・ルソン島北東部を中心とする、複数のネグリト(Negrito)系狩猟採集民集団を指す名称です。重要なのは、彼らが「原始的な人々」なのではなく、東南アジアの熱帯環境に適応してきた現代の狩猟採集社会だということです。また、言語については先生が引用された文章の「他のネグロイド系民族の言語と最も近い類縁関係」という部分は不適切です。Agtaの多くは、現在ではオーストロネシア語族の言語を話します。したがって、身体的特徴・人口史・言語系統は別々に考える必要があります。これは実は、先生の今回のテーマにはかなり重要です。Agtaは、狩猟採集生活 ≠ 特定の言語系統 ≠ 特定の遺伝的集団ということを示す好例だからです。そして、今回の核心であるMiglianoらの研究では、AgtaとBaYakaを比較しています。両者とも、家族だけで閉じた社会ではなく、非親族の強い友人関係によって複数の家族が結ばれることが示されています。

BaYakaとは何かここは少しややこしいです。BaYaka は、必ずしも一つの民族名ではありません。コンゴ盆地西部の森林に住む、複数の狩猟採集民集団をまとめて指す広域的な名称です。その中に、Aka Baka Mbendjele Mikaya Luma Kola Gyeli Bongo などがあります。したがって、BaYaka ⊃ Mbendjeleという関係だと考えるのが一番わかりやすいでしょう。Jerome Lewisも、BaYakaという名称がAka、Baka、Luma、Mbendjele、Mikayaなどによってさまざまな形で使われていることを説明しています。ではMbendjeleは?**Mbendjele(ムベンジェレ)**は、BaYakaを構成する一つの集団です。主にコンゴ共和国北部から中央アフリカ共和国南部の森林地域に居住します。そして今回の議論では、Mbendjeleが非常に面白い。例えば、狩猟 蜂蜜採集 植物採集 漁撈 農耕民との交換 高い移動性 流動的なキャンプ 強い食物共有 平等主義 という特徴があります。研究では、Mbendjeleの世帯生産物の平均36.8%が世帯外の人々に分配されるという数字も報告されています。つまり、「家族が食料を獲得する」ことと「家族が食料を消費する」ことが一致しない。これは先生の「家族→共同体」という問題に極めて重要です。

そしてAgtaとMbendjele BaYakaを比較した研究 ここで前回の議論に戻ります。Migliano et al. は、AgtaとBaYakaを対象に、小型のセンサーを身体につけて、誰と誰がどの程度近接して生活しているかを測定しました。その結果、家族・親族だけで社会ネットワークが構成されているのではない。むしろ、非親族の「友人」が、異なる家族を結びつけている。という構造が明らかになりました。さらに、非親族の強い友人関係の方が、家族関係よりも共有知識の量を予測するという結果も得られています。これは前回の先生の図式 家族 → 共同体を考えるうえで非常に重要です。私はここを、今後の「共同体の起源」の中心概念にしてよいと思います。

Q0-2 では「ダンバー数150」はどう考えるべきか

ここは、前回の私の説明を少し修正した方がよいと思います。結論からいうと、「150人」は便利な経験則ではあるが、「人間の脳が150人までしか認識できない」という確定した生物学的限界ではありません。です。

① ダンバーの元々の議論

Robin Dunbarが1992~1993年頃に提示した基本的な論理は、霊長類では、新皮質の相対的な大きさと社会集団の大きさに相関がある↓人間にもこの関係を外挿できる↓人間の安定した社会関係は約150人程度というものでした。その後、5人程度 15人程度 50人程度 150人程度 500人程度 1500人程度 という「社会関係の階層構造」が提案されました。ただし、ここで重要なのは、150という数字は「同時に一緒に住める人数」ではないことです。先生がいま問題にしている20~30人のcampとは全く別の概念です。

② では150人は「嘘」なのか?

そこまで単純ではありません。Dunbar説には、確かに人間社会の規模に関する重要な問題提起があります。実際、軍隊の部隊 村落 教会 企業 狩猟採集民社会 などで、100~200人程度の社会単位が繰り返し現れることは指摘されています。しかし、「だから人間の脳には150人という上限がある」とは言えません。ここを非常に明確に区別する必要があります。

③ かなり強い批判が出ています

2021年のL. M. R. Dunbar’s number deconstructed は、この問題を正面から再検討しています。複数の統計的方法で霊長類の脳と集団サイズの関係を再分析すると、人間について推定される値は方法によって大きく異なり、69~109人程度あるいは16~42人程度となってしまいます。しかも95%信頼区間は非常に広く、150という一つの数字を「認知的上限」として導くことはできないと結論しています。したがって、「ダンバー数150」を生物学的上限として扱うのは、現在ではかなり危険です。

④ しかし、先生の議論にとってもっと重要なのはここです

私はむしろ、ダンバー数を捨てる必要はないと思います。使い方を変えればよい。先生の現在のモデルは、個人 ↓家族・世帯 ↓20~30人程度の居住集団 ↓複数の居住集団 ↓広域ネットワークです。そしてこの「広域ネットワーク」は、婚姻 友情 食物共有 贈与 交換 儀礼 情報 物語 共同記憶 によって維持される。これは、150という一つの数字よりもずっと重要です。前回の資料でも、私たちは「20~30人程度のresidential camp」と「それを超えるsocial network」を区別しました。したがって、今回の農耕革命では、「20~30人の生活集団」が、どうして数百人規模の定住集落になり得たのかが核心になります。

Q1 では、なぜホモ・サピエンスは農耕を始めたのか

ここは非常に面白いところで、現在は、「一つの原因による農耕革命」という考え方はかなり後退しています。むしろ、採集の intensification→ 定住性の増大→ 野生植物の管理→ 栽培→ 遺伝的な domestication→ 家畜化→ 本格的農耕という長いプロセスとして考えるのが適切です。先生の「農耕革命と言っても比較的長い時間をかけたプロセス」という直感は、現在の研究とかなり合っています。

まず用語を三つに分けましょう 

ここを曖昧にすると後の議論が全部混乱します。

① 定住(sedentism)

同じ場所に長期間居住すること。これは農耕以前にも存在します。例えばナトゥーフ文化では、農耕以前からかなり定住的な生活が存在しました。

② 栽培(cultivation)

人間が植物の生育に介入すること。例えば、種を播く 雑草を除く 水を与える 特定の植物を保護する など。しかし、この段階ではまだ植物は遺伝的には野生型かもしれません。

③ 家畜化・栽培植物のdomestication

人間による選択によって、植物・動物そのものの遺伝的性質が変化すること。例えば小麦なら、熟すと自然に穂から種子が落ちるという野生型から、種子が穂に残り、人間が収穫しなければ散布されにくいという性質へ変わる。これがdomesticationです。つまり、「植物を育てること」と「植物を家畜化すること」は同じではありません。これは非常に重要です。

農耕開始についての主要な学説

歴史的にはいくつもの仮説があります。

① Oasis hypothesis――Childe

乾燥化によって、人間+動物+植物が水辺に集中し、そこで人間による管理が始まったという説。現在ではそのままでは支持されません。

② Natural Habitat / Hilly Flanks――Braidwood

Robert Braidwoodは、最初の栽培植物が野生で生育していた地域で農耕が始まったと考えました。つまり、「人間が突然農業を発明した」のではなく、すでに利用していた植物を徐々に管理するようになったという考え方です。

③ Population Pressure――Binford / Cohen

人口増加によって既存の資源では足りなくなり、より多くの食料を生産する必要が生じたという説明です。これは非常に有力な考え方でした。ただし現在は、「人口が増えたから農耕が始まった」だけでは説明できないと考えられています。Bettinger, Richerson, Boydは、人口規模・人口増加は重要だが、どこで、なぜ農耕が始まったかを人口だけでは決定できないと論じています。

④ Climate change

最終氷期が終わり、完新世に入る。その結果、気候の安定化 → 植物資源の増加 → 定住化・植物利用の intensificationが可能になったという考え方です。現在かなり重要です。特に、農耕は最終氷期の環境では成立しにくく、完新世の比較的安定した気候条件が一つの前提だったという議論があります。

⑤ もう一つ非常に重要なのが「社会的要因」

これは先生のテーマにとって面白いところです。農耕は必ずしも、「狩猟採集より農耕の方が楽で、豊かだから」始まったわけではありません。むしろ初期農耕社会では、労働量増大 食生活の単純化 栄養状態の悪化 感染症 虫歯 骨格ストレス 幼児死亡率 などの問題も増えました。つまり、「農耕=進歩」ではない。ここは古典的な「農業革命」という言葉のイメージを修正する必要があります。

⑥ そして「人口」が逆転する

ここが面白い。農耕が人口増加を生み、人口増加がさらに農耕を必要とする。つまり、人口 → 農耕だけではなく、農耕 → 人口でもある。Jean-Pierre Bocquet-Appelが提唱したNeolithic Demographic Transitionです。墓地資料では、農耕化に伴って出生率が上昇したことを示すパターンが確認され、農耕社会の人口増加が大きな歴史的転換だったとされています。したがって、人口増加   ↓資源への圧力   ↓植物利用の intensification   ↓栽培   ↓定住   ↓農耕   ↓出生率上昇   ↓人口増加   ↺という正のフィードバックを考えた方がよい。

Bellwood『First Farmers』は何を主張したのか

ここは先生が指定された本なので、少し丁寧に。Peter Bellwood,First Farmers: The Origins of Agricultural Societies,Blackwell, 2005, xix + 360 pp.です。この本の核心は、単純な「農耕の起源論」だけではありません。むしろ、農耕の拡散と、人間集団・言語・遺伝子の拡散を同時に説明しようとしたところにあります。

Bellwoodの核心

Bellwoodは、農耕だけでなく、農耕+言語+人間集団の広がりを対応させます。つまり、農耕技術   ↓人口増加   ↓農耕民の拡大   ↓土地の占有   ↓先住狩猟採集民との接触   ↓吸収・移住・置換   ↓農耕+言語+遺伝的特徴の拡大というモデルです。これをしばしばFarming/Language Dispersal Hypothesisと呼びます。Bellwood自身は考古学・言語学・遺伝学を組み合わせる「triangulation」を重視しました。

Bellwoodの重要な概念――demic diffusion

ここが重要です。農耕が広がる場合、A 文化伝播 狩猟採集民が農民から、「小麦を植える方法」を習い、自分たちはその土地に残る。B 人口移動 農民そのものが移動して、農耕民+作物+家畜+言語+文化を一緒に広げる。Bellwoodは後者、つまりdemic diffusion(伝染的拡散)をかなり重視しました。ただし彼自身も単純な「農民が狩猟採集民を全部置き換えた」というモデルではありません。実際には、demic diffusion+local interaction+population admixtureという「middle-of-the-road」型を考えています。

ここは2005年以降にかなり変わりました

Bellwoodの枠組みは現在でも非常に重要ですが、「農耕民の拡散=単純な人口置換」とは考えにくくなっています。古代DNAの爆発的な増加によって、移住・混合・文化伝播・在地集団による採用が地域ごとに違うことが分かってきました。つまり現在は、農耕の拡散は一つのメカニズムではないと考えた方がよい。Bellwood自身も2009年には、農耕が確立すると人口移動が起こりやすくなるが、その様式は地域によって異なるという方向に議論を精緻化しています。

Q2 主要穀物の起源

ここは、先生が示されたBellwoodの図を実際に読むと非常に面白いところです。ただし、今回貼られているfile:///C:/Users/.../clip_image002.jpgというリンクは私からは開けません。したがって、Bellwoodの図そのものについては、画像ファイルをこのチャットに直接アップロードしていただければ、図の文字・凡例・ルートまで読み取って対応します。

そのうえで、現時点の研究から大枠を整理するとこうなります。

作物おおよその起源地域栽培・家畜化開始重要な拡散
小麦西アジア・肥沃な三日月地帯約9500–8500 BCE西アジア→アナトリア→欧州、東方へ
大麦西アジア約9000–8000 BCE西アジア→欧州・北アフリカ・東方
エンドウ・レンズ豆西アジア約9000–8000 BCE西アジア→各地
イネ長江中・下流域約8000 BCE以前から栽培、家畜化は長期過程中国南部→東南アジア→インド・東アジア
アワ・キビ黄河流域・中国北部約8000–6000 BCE中国北部→中央アジア・西方など
トウモロコシメキシコ中央部・バルサス川流域約9000 BP ≒ 7000 BCEメキシコ→中央アメリカ→南米
ジャガイモアンデス高地約7000–5000 BCEアンデス各地
ソルガム北東アフリカ/サヘル約5000 BCE前後アフリカ→インド方面
パールミレット西アフリカ・サヘル約3000 BCE西アフリカ→インドなど

ただし、「栽培開始」と「完全なdomestication」は同じ年代ではありません。これはイネで特に顕著です。

イネが非常に面白い

長江下流の資料では、約10,000年前:野生イネの利用 約9000~8400 BP:非脱粒型が出現 約8000年前:栽培がかなり進む その後数千年:選択が進行 という、かなり長い過程が見えてきます。Huxi遺跡では9000~8400 BPの段階で、野生型・中間型・非脱粒型のイネが共存しています。つまりdomesticationは突然起こったのではなく、選択が徐々に進んだと考えられます。2026年の研究でも、長江下流では地域ごとに異なるdomestication pathwayがあった可能性が示されています。これは先生の「農耕革命=長いプロセス」という理解をかなり強く支持する材料です。

トウモロコシも同じです

トウモロコシの場合、現在の重要な論点は、野生祖先=teosinteであり、遺伝学・考古学から、メキシコ中央部のBalsas川流域が最有力のdomestication centerとされています。中央BalsasのXihuatoxtlaでは、約8700 cal BP(約6700 BCE)まで遡る栽培トウモロコシの証拠が報告されています。さらに、この地域が野生祖先の現在の分布域でもあることから、約9000年前のdomestication開始というモデルが強く支持されています。その後、Mexico → Central America → Panama → Colombia / Andesへ広がっていきます。約7600 cal BPにはパナマ、約6000 cal BPには北西南米まで到達していたことが示されています。

Q3 最古級の農耕集落

ここは「農耕の起源」と「農耕集落の起源」を分ける必要があります。これは非常に重要です。なぜなら、定住集落は農耕以前にも存在したからです。したがって、定住 → 農耕という単純な順序ではありません。

西アジア

① Jericho / Tell es-Sultan

非常に重要です。ナトゥーフ期にはすでに人々がこの場所を利用しており、農耕以前から定住性がありました。その後、PPNA → PPNBへ進み、農耕・牧畜が本格化します。PPNB期には約3haに及ぶ大規模集落となり、人口については従来約1,500人程度という推定があります。ただし、人口推定にはかなり幅があります。

② ‘Ain Ghazal

現在のヨルダン。約7200~6000 BCE頃の巨大な新石器集落です。最初は約2ha程度の小集落として始まり、その後大きく拡大しました。従来の人口推定では、2000~3000人程度とされることがあります。これは先生の「20~30人程度のcamp」から考えると、とてつもない変化です。

③ Çatalhöyük

ここは特に注意したいです。従来は、5000~10000人という数字がしばしば使われました。しかし2024年のIan Kuijt & Arkadiusz Marciniakの再検討では、平均的な居住人口は約600~800人と推定されています。これは非常に重要な修正です。つまり、新石器集落=数千人が密集した「原始都市」というイメージそのものを再検討する必要があります。先生の「共同体→都市」というテーマでは、むしろこちらの方が面白い。

中国

中国では大きく、長江流域イネ黄河流域アワ・キビという二つの農耕中心を考える必要があります。Jiahu(賈湖)は約9000~7800 BPの恒久的集落で、イネを含む多様な植物利用が確認されています。また、Shangshan → Kuahuqiao → Hemuduという長江下流域の長い系列を見ると、野生植物利用↓栽培↓定住↓水田化↓完全な農耕社会というプロセスが非常によく見えてきます。

南アジアは少し注意が必要です

ここは先生が以前からインド史を扱われているので、特に注意しておきたいところです。従来、Mehrgarh:約7000~8000 BCEという年代が普通に使われてきました。ところが、2025年の新しい放射性炭素年代研究は、この年代を大幅に見直し、Mehrgarh Period Iをおよそ5200~4900 BCE開始としています。従来の「8000 BCE開始説」と大きく食い違います。したがって、ブログ・論文を書くなら、Mehrgarh = 7000 BCEと無条件に書かない方がよいです。これはかなり重要な最新研究です。

ここまでを先生のテーマに引きつけると

今回の農耕革命について、私はむしろ次の図式で考えるのがよいと思います。

            気候の安定化
                 ↓
        野生植物・動物資源
                 ↓
       ┌────────────┐
       │ 狩猟・採集の intensification │
       └────────────┘
                 ↓
          定住性の増大
                 ↓
       植物・動物の「管理」
                 ↓
             栽培
        /               \
   植物 domestication    動物 domestication
        \               /
             農耕・牧畜
                 ↓
          食料の安定化
                 ↓
            出生率上昇
                 ↓
            人口増加
                 ↓
          集落人口の増大
                 ↓
      ┌──────────────┐
      │ 家族を超える共同体 │
      └──────────────┘
                 ↓
       土地・水・食料の共有/管理
                 ↓
       所有・交換・分業・規範
                 ↓
             集落
                 ↓
             村落
                 ↓
          集落間ネットワーク
                 ↓
             都市
                 ↓
             国家

そして、ここで先生の最初の問題設定に戻ると、農耕革命は「食料を作り始めたこと」だけではない。むしろ、人間が、それまで自然の中を移動して利用していた環境を、植物・動物・土地・水・住居・集落というかたちで、持続的に「管理される環境」へ変え始めたことと捉えると、先生がその⑦で書かれていた「農耕革命が地球環境を改変する起点になる」という問題設定にも非常によくつながります。添付資料でも、農耕革命を「地球を改変する」過程の出発点として位置づけておられます。そして、さらに重要なのは、20~30人のcamp → 数百人の農耕集落への転換です。ここには単なる人口増加以上のものがあります。

「食物を共有する」社会から「土地・作物・家畜・水を共同で管理する」社会へという変化が起こる。これはまさに、先生のコモンズ → コミュニティ → コムーネ → 都市 → 国家という後の議論につながる、かなり重要な接点になると思います。

次に掘ると非常に面白いポイント

Q1~Q3を一気に進めるより、次はまず、「農耕以前の定住」→「農耕集落」を徹底的に比較した方がよいと思います。具体的には、

ナトゥーフ → PPNA → PPNB → Jericho → ‘Ain Ghazal → Çatalhöyük

を一本の時間軸にして、

人口  住居 集落形態 食料 栽培 家畜 貯蔵 共有施設 土地所有の痕跡 儀礼・共同記憶 集落間ネットワーク

を並べる。

そうすると、先生の「家族―共同体―都市―国家」の**「共同体」が、いったい何を契機として物理的な集落になったのか**がかなり見えてくるはずです。

そしてその次に、Bellwoodの図を直接読み込みながら、**「小麦・イネ・アワ・キビ・トウモロコシの五つを、起源→domestication→集落→拡散の4段階で世界地図にする」**のがよいと思います。

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