家族—共同体-都市-国家の起源 10 定住革命ー農耕社会の起源  

家族—共同体―都市-国家の起源 その⑨

定住革命-農耕社会の起源

布野修司

Shuji Funo

前回のやり取りは添付します。

農耕の起源についてはこれまで理解してきたことと大きく異なることはなかった気がします。質問を重ねると整理が大変ですし、簡単な応答が出来ませんので、可能な限り一問一答のかたちにします。

 Q1 次はまず、「農耕以前の定住」→「農耕集落」を徹底的に比較した方がよいと思います、ということですので以下お願いします。

具体的には、ナトゥーフ → PPNA → PPNB → Jericho → ‘Ain Ghazal → Çatalhöyükを一本の時間軸にして、

  1. 人口
  2. 住居
  3. 集落形態
  4. 食料
  5. 栽培
  6. 家畜
  7. 貯蔵
  8. 共有施設
  9. 土地所有の痕跡
  10. 儀礼・共同記憶
  11. 集落間ネットワーク を並べる。

 Q2 そしてその次に、Bellwoodの図を直接読み込みながら、**「小麦・イネ・アワ・キビ・トウモロコシの五つを、起源→domestication→集落→拡散の4段階で世界地図にする」**のがよいと思います、ということですでお願いします。Bellwoodの図はそれぞれそう詳細ではないですよ。前回は、制限がかかってUPできませんでしたが、UPを試みます。

Chat GPT

はい。今回の⑨では、まず **Q1「農耕以前の定住→農耕集落」**に集中するのがよいと思います。
Q2のBellwoodの五作物の世界地図は、その後に切り離してやりましょう。

今回いただいた⑧の資料でも、まさに次の問題設定がされています。すなわち、20~30人程度の居住集団が、なぜ数百人規模の定住集落になったのか、そして「家族を超える共同体」が何を契機に物理的な集落になったのか、という問題です。


Q1 「農耕以前の定住」→「農耕集落」

まず結論を先に言うと、ナトゥーフ → PPNA → PPNB → Jericho → ‘Ain Ghazal → Çatalhöyükは、単純な「狩猟採集民→農民→村→都市」という一直線ではありません。

むしろ、

季節的に繰り返し集まる場所↓長期居住する場所↓住居・墓・貯蔵・作業場をもつ場所↓
植物・動物・水・土地を管理する場所↓複数の家族が恒常的に共存する場所↓共同体そのものが物理的環境をつくり変える場所という変化として見る方が、先生の「家族―共同体―都市―国家」という問題には合っています。しかも重要なのは、この変化のかなりの部分が農耕の完全な成立より先に始まっていることです。PPNAについても、栽培植物・家畜の完全なdomestication以前に、定住性、貯蔵、共同建築が発達しています。

1.六段階をまず時間軸に置く

年代は地域・研究者によって多少違いますので、ここでは大枠を示します。

段階およその年代性格
Natufian ナトゥーフ約13,000–9,600 BCE狩猟採集+高い定住性
PPNA約9,700–8,500 BCE定住+野生植物管理・初期栽培
PPNB約8,500–6,500 BCE栽培・家畜化+大型集落
JerichoPPNA~PPNB定住・農耕・共同建築の代表例
‘Ain Ghazal約7,200–5,000 BCE大規模農耕集落
Çatalhöyük約7,100–5,700 BCE高密度な巨大集落・家を単位とする社会

ここで Jerichoは「時代」ではなく遺跡です。したがって、Natufian→PPNA→PPNBという時代軸の中にJerichoを置くのが正確です。

2.11項目を横に並べてみる

先生が指定された11項目を、そのまま比較表にしてみます。

ナトゥーフPPNAPPNBJericho‘Ain GhazalÇatalhöyük
1 人口小~中規模集落。数十~数百人程度数十~数百人、地域により大型化数百~千人規模へ大型化。推定値には幅最大期には数千人との推定も現在は平均600~800人程度という再評価
2 住居石造・半地下の円形/半円形円形・楕円形方形・長方形へPPNAは円形、後に方形方形・複数室方形、壁を共有して密集
3 集落形態hamlet / base camp小~中規模集落大規模集落化塔・壁をもつ定住集落大規模集落高密度な集合体
4 食料野生穀物、ガゼル、魚、植物狩猟+野生植物+栽培穀物・豆+家畜+狩猟穀物・豆・野生動物穀物・豆・羊山羊・狩猟穀物・豆・羊山羊+狩猟
5 栽培基本的に本格的栽培以前初期栽培・植物管理本格化PPNAから栽培農耕が定着農耕が定着
6 家畜なし基本的になし羊・山羊などPPNBに明確化羊・山羊羊・山羊、牛は複雑
7 貯蔵あり非常に重要になる家屋内+共同的貯蔵貯蔵施設家屋内貯蔵家屋ごとの貯蔵が重要
8 共有施設限定的大型建築・共同施設共同施設+墓域塔・壁など大型共同建築・儀礼施設中央広場型ではなく家々の集合
9 土地所有明確な証拠なしまだ不明確家屋・貯蔵と世帯化土地所有の直接証拠なし世帯・家屋の権利が強まる可能性家・墓・貯蔵の世代継承が重要
10 儀礼・共同記憶墓・床下埋葬埋葬・塔・共同建築頭蓋骨・再埋葬・祖先塔・墓・埋葬石膏像・頭蓋骨・埋葬家屋内埋葬・壁画・「家」の記憶
11 集落間ネットワーク交換・婚姻・広域移動黒曜石・貝など非常に広域化広域交換広域ネットワークアナトリア・レヴァントとの交流

ただし、この表で一番重要なのは「○が増えていく」ことではありません。

7~11が変質していくことです。

3.①人口――「大きくなる」だけではない

ここは非常に重要です。ナトゥーフの段階では、すでに数十人を超える集団が同じ場所に繰り返し居住しています。例えばAin Mallaha(Eynan)では、直径7m程度、床面積38㎡にもなる住居が確認され、炉、貯蔵施設、作業面、床下埋葬などを備えています。つまり、単なる「キャンプ」以上の空間構造です。ところがPPNBになると、3ha級の集落が登場します。したがって、20~30人のcamp → 100人程度 → 数百人 → 1000人級というスケールアップが起きる。ただし「人口が増えたから村になった」とだけ考えるのは不十分です。人口が増えられるような社会的・物質的仕組みが同時に生まれたと考えた方がよい。

4.②住居――「家」が変わる

これはかなり明瞭です。ナトゥーフ円形・半円形の住居。石をかなり本格的に使っています。PPNA円形・楕円形の住居が中心。ところが面白いことに、PPNAでは定住性が高まったにもかかわらず、建物そのものは土・日干し土など比較的更新しやすい材料が多い。つまり、「定住=永久建築」ではありません。最近の研究でも、ナトゥーフの石造建築とPPNAの土造建築の対比が強調されています。PPNAでは建物を繰り返し修繕することで、むしろ「場所への定着」が維持されていたと考えられます。

PPNBここで大きな変化が起きる。円形→方形・長方形です。そして家が、居住+作業+貯蔵

という複合的な単位になっていく。

5.③集落形態――ここが「共同体の物理化」

私は今回の比較で、ここが一番重要だと思います。ナトゥーフでは、家+家+家がまだ比較的分離しています。ところがPPNA、PPNBになると、家+家+家+貯蔵+共同建築+墓+作業空間という関係が生じる。つまり、「人が集まった」から「集落」になったのではなく、空間相互の関係が固定化されたから集落になったと見ることができます。ここに先生の「共同体→集落」という問題の核心があります。

6.④⑤⑥――食料・栽培・家畜

ここは、前回整理した定住 ≠ 栽培 ≠ domesticationをもう一度確認しておく必要があります。資料でも、定住 → 植物・動物の管理 → 栽培 → domesticationは一方向の一瞬の変化ではなく、長いプロセスである、と整理しています。特にPPNAでは、

野生植物を集中的に利用する↓植物の生育を管理する↓播種・除草などを行う↓栽培↓遺伝的domesticationという段階が考えられます。実際、PPNAには植物栽培と貯蔵の証拠がありますが、すべての植物がすでに形態的にdomesticatedされていたわけではありません。

7.⑦「貯蔵」が実は決定的

私は今回の11項目の中で、貯蔵をかなり重視したいと思います。なぜなら、貯蔵とは「未来の食料」を現在の空間に固定することだからです。狩猟採集では、「獲る→食べる→移動する」という時間構造でも成立します。ところが、採集・栽培↓収穫↓貯蔵↓翌季まで保持↓次の播種・生活となると、人間は場所を離れにくくなる。さらに、誰が貯蔵物を管理するのかという問題が発生する。PPNAにはDhra’やWF16などで大型の共同的穀物貯蔵施設が確認されており、貯蔵が共同体形成と結びついていた可能性があります。そしてPPNBになると逆方向の変化も出てくる。共同貯蔵→ 家屋単位の貯蔵です。

これは非常に面白い。研究では、PPNBには家屋内部・近傍のprivate storageが増加し、世帯が生産と労働の流れをより強く担うようになった可能性が指摘されています。一方で共同的活動・共同貯蔵もなお存在します。つまり、共同体の形成と、世帯・家族単位の所有化が同時進行するのです。これは後の「共同体→私有→都市→国家」を考える上で非常に重要です。

8.⑧共有施設――「共同体」はここで目に見える

PPNAになると、住居とは別の大型建築が現れます。Jerichoの塔はその代表です。PPNA Jerichoには高さ8.5m以上の石造塔と壁があり、機能については現在も議論があります。単純に「防御施設」と断定することはできません。またPPNAには大型の共同建築や儀礼施設が出てきます。つまり、家=個別の生活空間とは別に、集落=共同の空間が現れる。これは先生の「共同体」の物理化を考える上で極めて重要です。

9.⑨土地所有――ここは「ない」と言った方が正確

ここは慎重にしたいです。「この時代に土地所有制度が成立した」ことを直接示す考古学的証拠はありません。しかし、同じ場所に住み続ける 家を何度も建て替える 家の中に貯蔵する 家の床下に死者を埋葬する 祖先をその場所に保持する という行為が増えてくる。つまり、土地の所有権そのものより先に、「場所への権利」が形成されていると考える方が面白い。

2025年の同位体研究でも、PPNAからPPNBにかけて特定の場所・集団への帰属が強くなっていくことを示唆する結果が出ています。PPNBのJerichoでは、調査された個体について外来移動を示す証拠がなく、‘Ain Ghazalなどでも移動性は限定的だったとされています。したがって、土地所有という言葉をいきなり使うより、場所への定着・場所への権利・家への権利から考えた方がよいでしょう。

10.⑩儀礼・共同記憶――ここが非常に面白い

ここでナトゥーフからÇatalhöyükまで一本の線が引けます。ナトゥーフ床下埋葬。PPNA埋葬+共同建築+Jerichoの塔など。PPNB頭蓋骨の再埋葬・石膏頭蓋など。‘Ain Ghazal人間を表現する大型の石膏像。Çatalhöyük家の床下に死者を埋める。つまり、死者が集落の外にいるのではなく、「家」の内部にいる。これは非常に重要です。さらにÇatalhöyükでは、建物が何度も塗り直され、改築され、同じ場所に新しい建物が重ねられていきます。そこに死者も埋められる。最近の研究では、このような建築の反復そのものが、場所への帰属と社会的記憶を作る行為として捉えられています。

11.⑪集落間ネットワーク――「村」は孤立していないこれも重要です。

農耕集落が成立すると、集落は閉鎖的になるのではありません。むしろ、黒曜石 貝殻 石材 顔料 技術 婚姻相手 情報 儀礼 などを通じて、かなり広域のネットワークに入ります。したがって、集落=自給自足の孤立した村というイメージは避けた方がいい。農耕集落は最初から、ある程度の地域ネットワークのノードだった、と考えた方がよいでしょう。

12.では「共同体」は、いつ物理的な集落になったのか?

ここが今回の核心です。私は、一つの契機を選ばない方がよいと思います。むしろ次の五つが重なったところで「共同体」が物理化した、と考えるのがよいでしょう。

① 食料の「場所化」野生資源を追いかけるのではなく、この場所に食料があるという状態。↓② 食料の「時間化」収穫物を貯蔵して未来に持ち越す。↓③ 人間の「場所化」食料を管理するため、人間もその場所に留まる。↓④ 死者の「場所化」祖先を家・床・集落に埋める。↓⑤ 建築の「累積化」同じ場所に、家→家→家→家を重ねる。すると、人間が場所を占有するのではなく、場所そのものが「共同体の記憶」を蓄積するようになる。

13.これを先生の「家族―共同体―都市―国家」に接続すると

今回の⑨で、私は次のように書き換えるのが一番面白いと思います。個人 ↓家族・世帯 ↓複数家族の居住集団 ↓婚姻・友情・食物共有・交換 ↓共同体 ↓

      ┌─ 食料の管理

        ├─ 貯蔵

        ├─ 水・土地の利用

        ├─ 共同建築

        ├─ 儀礼

        └─ 死者・祖先

             ↓

        「場所」への定着

             ↓

          集落

             ↓

       集落間ネットワーク

             ↓

            村落

             ↓

            都市

             ↓

            国家

ここで大事なのは、

「共同体→集落」ではなく、共同体が「食料・貯蔵・死者・建築・土地」を媒介にして物理化する

というところです。そしてこれは、先生が⑧で書かれていた「食物を共有する」社会から「土地・作物・家畜・水を共同で管理する」社会へという問題設定を、さらに一歩具体化したものになります。

14.そして、意外に重要なのが「Çatalhöyük」

Çatalhöyükをこの系列の最後に置く意味は大きいです。一見すると、「農耕→人口増加→巨大集落→原始都市」に見えます。しかし現在はそう簡単ではありません。従来の「5,000~10,000人」という巨大人口説に対して、最近の再検討では平均600~800人程度という推定も提示されています。また、Çatalhöyükには都市のような明瞭な中心広場、宮殿、行政施設がありません。それなのに、家が密集し、何世代にもわたって同じ場所で生活し、死者を家の下に埋め、家を繰り返し建て替える。つまり、「都市以前の巨大集落」なのではなく、「家族・世帯の集合そのものが共同体を構成する、別の社会形態」として見る余地があります。この点は、先生の「共同体→都市」の議論にとってかなり重要だと思います。Çatalhöyükの研究でも、問題は単なる人口規模ではなく、家の日常的実践が大規模な集合村落を形成した過程として論じられています。

15.今回の比較から見えてくる「決定的な変化」

私は11項目をさらに圧縮して、次の四つの転換として捉えると、かなりきれいになると思います。

第一の転換 食料を「追う」→「場所で管理する」ナトゥーフ→PPNA

第二の転換 食料を「その場で消費する」→「貯蔵して未来に持ち越す」PPNA

第三の転換 家族の家→世帯+貯蔵+土地+家畜PPNB

第四の転換 住居の集合→記憶を蓄積する集落PPNB→‘Ain Ghazal→Çatalhöyük

そしてこの最後のところで、「共同体」が単なる人間関係ではなく、建築・土地・貯蔵・墓・儀礼によって物質化された社会になる。これはかなり重要な発見だと思います。

そしてQ2について

今回添付していただいたBellwood系の図は、前回よりずっとよく読めます。特に最初の図は、先生が指摘された通り、Bellwoodの図そのものが「小麦・イネ・アワ・キビ・トウモロコシそれぞれについて起源→domestication→集落→拡散を詳細に示している図」ではありません。

したがってQ2では、Bellwoodの図をそのまま読み替えるのではなく、① Bellwoodの図に実際に描かれているもの② Bellwoodの図では描き切れていないもの③ 2026年現在の考古学・古植物学・遺伝学で補うものを明確に分けて、小麦/イネ/アワ/キビ/トウモロコシについてそれぞれ

起源地 → 野生祖先 → 栽培開始 → domestication → 最初の農耕集落 → 拡散ルート → 拡散年代を一本ずつ地図化するのがよいと思います。特にイネとトウモロコシは「栽培開始」と「domestication」の間にかなり長い時間差があるので、ここを地図上でも区別した方が、今回の「農耕革命は一挙に起こったのではない」という議論が非常に明瞭になります。次はこのQ2を、五作物について一つずつ、年代を入れた世界地図にするのがよいと思います。

Shuji Funo

ナトゥーフ → PPNA → PPNB → Jericho → ‘Ain Ghazal → Çatalhöyük のそれぞれの発掘図面、プランを示してもらえますか?

Chat GPT

はい。できます。そして、今回の比較には単に「遺跡の写真」ではなく、発掘された建物群の実測プラン(plan)を並べるのが非常に有効です。ただし一つだけ整理が必要です。**Natufian、PPNA、PPNBは文化・時期の名称であって、単一の遺跡ではありません。**したがって、ナトゥーフ → Eynan/Mallaha  PPNA → Jericho、WF16  PPNB → Jericho、Beidha、‘Ain Ghazal、Çayönü  ‘Ain Ghazal → ‘Ain Ghazalそのもの Çatalhöyük → Çatalhöyükそのもの というように、「代表的な発掘プラン」を選ぶのがよいです。

まず6枚を並べるなら

① ナトゥーフ――Eynan/Mallaha

これはかなり良い資料があります。

Eynan/Mallahaでは、1950年代から2000年代までの発掘に加え、2022年から再調査が続いており、Early・Late・Final Natufianの建物群を重ねた発掘図があります。特に面白いのがShelter 131 / 51 / 62のプランです。

考古学的な調査を示す地図、各層や壁の位置、ポストホール、炉、埋葬地を示す図形と数値が含まれています。
建物の平面図と側面図。円形の構造で、上部には梁と柱が配置され、周囲には石が描かれています。
考古学的な発掘地図、遺跡の位置や番号が示されている。

これは単なる「家の平面図」ではありません。131 → 51 → 62と建物が同じ場所に重なって建設され、その下に墓が存在します。つまり、建物 → 解体 → 埋葬 → 新しい建物 という時間の積層が、一枚の平面図から見えてきます。研究者もこの場所について、複数の建設・居住・放棄のエピソードが重なっていることを指摘しています。これは先生のテーマには非常に重要です。

② PPNA――WF16

PPNAについては、南ヨルダンのWF16が面白いです。

地形図に示されたトレンチと等高線があり、特定の地点(WF16)や2008年のトレンチの位置が表示されている。
考古学的な遺跡の地面の詳細な写真。地面に跡があり、長方形や円形の凹みが見られる。白と赤の基準棒が測定のために配置されている。
考古学者が遺跡を発掘している風景

WF16の発掘図を見ると、複数のトレンチと建築遺構が丘状地形に配置されています。さらに詳細な建築プランでは、pisé(土を突き固めた建築)の壁、円形・曲線的な空間、炉などが読み取れます。これは、Natufianの円形住居↓PPNAの大型・複雑な建築を見るために非常にいい比較資料です。

③ PPNA――Jericho

そしてPPNAを代表するもう一つのプランが、もちろんTell es-Sultan / Jerichoです。

先陶器新石器時代の居住地と主な特徴を示す地図。遺跡の位置、神殿、町壁、トレンチなどが記載されている。
考古学的な遺跡の図面と写真。上部には遺跡の断面図、下部には階段やシロの構造が描かれている。
集落の計画図と内部の構造を示すイラスト。上部にはコミュニティまたは企業ビルの配置が描かれ、下部には外壁と内部の間取りが示されている。

4

ここでは特に、塔+壁+集落という関係を見ていただきたい。Kenyonの発掘資料には、PPNAの住宅群と塔の平面図・断面図があります。JerichoのPPNA塔は高さ約8.5m、直径約8mの巨大な石造構造物でした。しかも現在は、この塔を単純な「城壁・防御施設」とする解釈には慎重です。儀礼的・象徴的な施設だった可能性も議論されています。したがって、「共同体が初めて家の外に巨大な建築をつくった」

という観点で見ると非常に面白い。

④ PPNB――Beidha / ‘Ain Ghazal / Çayönü

ここは一つの遺跡に決めない方がいいと思います。PPNBになると、円形建築から矩形・長方形の建物群へという変化が非常に見やすくなるからです。

Beidha

潜在的な居住区と建物の配置を示す図。サブフェーズA1、A2、B2、C2に分かれた領域があり、可能性のある居住面積や非居住面積が明示されている。
図A: 複雑な形状の地形図。図B: 同じ区域の詳細な地形図。どちらにもメートル単位のスケールが表示されている。

Beidhaでは、Earlier MPPNB → Later MPPNBの建築変化を比較したプランがあります。研究資料にも両段階の建築プランが掲載されています。ここは円形・曲線的空間から矩形の部屋が連続する建築への変化を見るのに適しています。


⑤ ‘Ain Ghazal

そして先生が挙げられた‘Ain Ghazal。ここはかなり重要です。

建物の配置を示す地図。建物5と建物6が描かれ、各部屋や位置がマス目で示されている。河川のそばに位置している。
考古学的な遺跡の平面図。石材の壁やレンガの構造、発掘ユニットの番号を示している。

4

‘

建物複合体の位置を示した地図。エリア434にあり、各建物やモデルの位置が表示されています。

Ain Ghazalは、現在の道路や鉄道によって遺跡が分断されており、西岸・東岸に広がる大規模集落です。発掘単位を示したschematic planでは、Central Field、North Field、South Field、East Fieldなどが配置されています。最初の集落は約2ha程度だったとされ、その後大きく拡大しました。さらに重要なのは、PPNBの住宅プランそのものです。

矩形の複数室

+** plastered floor**+二階建て建築   +埋葬 などが確認されています。

Cambridgeの資料には、‘Ain GhazalのMiddle PPNB villageの復元平面図と、二層建築、儀礼的建物などがまとめて掲載されています。

⑥ Çatalhöyük

最後がÇatalhöyükです。これはこれまでのものと全く違う。

考古学的な調査に関する地図。西のマウンド、東のマウンド、北のエリアと南のエリアが示されています。各エリアには掘削されたトレンチの位置が示されています。
遺跡の地図で、壁、プラットフォーム、ビン、ベンチ、スペースの配置を示している。
図(a) 建物49の平面図、区画や埋葬の位置が示されています。

6

Çatalhöyükでは、East Mound全体の発掘区域を見ると、North Area South Area 4040 Area Bach Area TP IST SEL などが配置されています。そして発掘区を拡大すると、家+家+家+家……がほとんど隙間なく並びます。Çatalhöyükの研究プロジェクトが公開している発掘プランでは、Building 118、43、100、97、96、87、76、80、79、86など、多数の建物とSpaceが隣接している様子が確認できます。


ここが、今回の⑨にとって非常に面白い

この6段階を同じ縮尺に近づけて並べると、先生が知りたいことがかなり目で見えてくると思います。私は次のように並べたいです。NATUFIANEynan/Mallaha

     ↓

    ○   ○

  ○   ○   ○

     ○

「家」が集まる

PPNA

WF16 / Jericho

     ↓

   ○──○

  /      \

 ○ 共同 ○

  \ 建築/

    ○

「共同建築」が出る

PPNB

Beidha / ‘Ain Ghazal

     ↓

 ┌──┬──┐

 │  │  │

 ├──┼──┤

 │  │  │

 └──┴──┘

「矩形の家+複数室」

ÇATALHÖYÜK

     ↓

┌──┬──┬──┐

│家│家│家│

├──┼──┼──┤

│家│家│家│

├──┼──┼──┤

│家│家│家│

└──┴──┴──┘

「家そのものが集落になる」

もちろんこれは概念図で、実際の発掘図面ではありません。


そして、私は「6枚」ではなく「8枚」にした方がよいと思います

先生の今回の問題、「共同体」がいったい何を契機として物理的な集落になったのかを見るためなら、次の8枚を同じページに並べるのが一番いいと思います。

時期遺跡見るべきもの
1Eynan/Mallahaナトゥーフの住居群
2Nahal OrenPPNAの集落構成
3WF16PPNAの大型・共同建築
4Jericho PPNA塔+壁+住宅
5Beidha MPPNB矩形住居への転換
6‘Ain Ghazal MPPNB大規模集落
7Jericho PPNB大規模定住集落
8Çatalhöyük高密度な家屋集合

特にNahal Orenを入れるのが重要です。NatufianのEynan/MallahaとPPNAの比較資料として、Nahal Orenの集落プランと典型的PPNA住居プランを並べた図もあります。

これをやると、「家が大きくなる」だけではなく、①家の配置②家と家の距離③共同空間④貯蔵空間⑤墓の位置⑥建築の反復⑦集落全体の形が見えてきます。

さらに重要なこと

先生が「発掘図面、プラン」とおっしゃったので、復元図ではなく、できるだけ実際の発掘実測図を使うのがよいと思います。特にEynan/Mallaha、Jericho、WF16、‘Ain Ghazal、Çatalhöyükについてはかなり良い原図・研究図が残っています。JerichoについてはKenyonの発掘記録、Çatalhöyükについては現在の研究プロジェクトのGIS・発掘記録まで追えます。次に、私の方でこの8遺跡について「発掘図面そのもの」を一枚ずつ選び、出典・年代・縮尺を付けて、①ナトゥーフ→②PPNA→③PPNB→④Jericho→⑤‘Ain Ghazal→⑥Çatalhöyükの順に、比較できる形で整理することができます。
特に今回は、**「家のプラン」ではなく「集落全体のプラン」**を中心にした方が、先生の「共同体→集落」の議論には有効です。

Shuji Funo

円形からなぜ長方形、正方形になったかについて諸説あれば説明してください。考えたことがあります。

Cht GPT

はい。これは非常に面白い問題です。しかも、先生が先ほど「発掘図面」を求められたことと直結します。平面形の変化は、単なる形の好みではなく、「人間が空間をどう分割し、どう使い、どう所有するようになったか」の変化を示している可能性があるからです。

現在の研究では、「円形→長方形になった理由について一つの定説がある」という状況ではありません。むしろ、①構造・施工、②生活機能、③農耕・貯蔵、④世帯・社会関係、⑤集落の密度、⑥象徴・空間認識、という複数の説明があります。特に重要な説を整理します。


1.まず、実際には「円→正方形」ではなく「円→楕円→角の丸い矩形→長方形」

ここは最初に押さえたいところです。

PPNA末~EPPNBに、

○ 円形

↓

楕円・亜円形

↓

角の丸い矩形

↓

▭ 長方形

↓

矩形+複数室

という変化が見られます。

したがって、「誰かが突然、円を捨てて四角い家を発明した」という話ではありません。北レヴァントでは、円形単室建築が徐々に変形して、複数室をもつ矩形建築へ至る過程が比較的よく追跡できます。

ただし地域差が非常に大きく、アナトリアや北メソポタミアでは円形建築が長く残ります。逆にÇayönüでは比較的早く矩形建築が現れます。つまり、単一の進化系列ではありません。


2.第一説――構造・施工上、矩形の方が「増築しやすい」

これは最も建築的な説明です。

円形の建物は、

中心から均等に壁を回す

ので、一室の独立した建物としては非常に合理的です。

しかし、

円+円+円

と建物を横に連結しようとすると、隙間や不規則な接続ができます。

ところが矩形なら、

┌───┬───┬───┐

│   │   │   │

├───┼───┼───┤

│   │   │   │

└───┴───┴───┘

という具合に、

同じモジュールを反復して増築できる。

これが非常に大きい。

Białowarczukの研究でも、初期の単室円形建物から、楕円、接合型、亜矩形、多室矩形へという**平面の「モジュール化」**が重要な変化として論じられています。

つまり、

円は「一つの家」をつくるのに向いている。
長方形は「複数の空間を組み合わせる」のに向いている。

ということです。

これはかなり建築的に説得力があります。


3.第二説――貯蔵・加工・飼育など「用途別に空間を分ける必要」が生じた

こちらは農耕との関係です。

狩猟採集の住居では、

食べる
寝る
火を使う
道具をつくる

といった活動が比較的同じ空間で行えます。

ところが農耕が進むと、

収穫する
↓
乾燥する
↓
脱穀する
↓
製粉する
↓
貯蔵する
↓
調理する

という一連の作業が生まれます。

さらに、

人間の居住空間

と

穀物貯蔵

と

家畜

を分ける必要が出てくる。

そこで、

┌──────┬────┐

│ 居住 │貯蔵│

├──────┼────┤

│調理・作業│

└──────┴────┘

という矩形の方が圧倒的に便利になります。

実際、円形から矩形への変化について、農耕、貯蔵、食物加工、家畜、人口増加などを相互に関連づける議論があります。


4.第三説――「家」が自立した世帯単位になった

これはKent Flannery以来、非常に有力だった説です。

Flanneryは、円形建物の集団と矩形建物の村を、異なるhousehold organizationと結びつけました。

非常に大雑把に言えば、

円形住居

=大きな親族集団・共同生活

↓

矩形住居

=独立性の高い世帯

という理解です。

そして農耕によって、

  • 労働
  • 貯蔵
  • 生産
  • 食料加工
  • 財産

が世帯単位で管理されるようになったため、矩形の「家」が成立した、と考えました。

これは先生のテーマにとってかなり重要です。

なぜなら、

「共同体が形成されたから矩形の家ができた」のか、
それとも「矩形の家ができたから世帯が自立していった」のか

という逆転した問題が出てくるからです。


5.第四説――「私有化・個人化」が進んだ

第三説と近いですが、もう一歩踏み込んだ議論です。

円形の共同体では、

食料・火・作業・空間

を比較的共有する。

ところが矩形の家では、

この部屋は私たちのもの

という境界を明確につくれる。

例えば、

┌─────────┐

│          │

│   家族   │

│          │

├────┬────┤

│貯蔵│作業│

└────┴────┘

という空間なら、

「ここに誰の食料があるか」

を明確にできます。

このため、矩形化を

空間の分割=社会関係の分割

として理解する議論があります。

ただし、現在は「円形=共有、矩形=私有」と単純化することにはかなり慎重です。アナトリアのAşıklı Höyükの研究でも、Flanneryの旧来のモデルは単純すぎるとして再検討されています。


6.第五説――人口密度が高まり、「隙間をなくす」必要が生じた

これは非常に面白い。

円形建物を密集させると、

 ○   ○

   ○

 ○   ○

という具合に、どうしても死んだ空間ができます。

矩形なら、

┌──┬──┬──┐

├──┼──┼──┤

├──┼──┼──┤

└──┴──┴──┘

と、

土地を最大限利用できる。

したがって、

人口増加→集落密度上昇→建物を隙間なく配置する必要→矩形化

という説明です。

これはÇatalhöyükを見ると特に重要になります。

Çatalhöyükでは、

家+家+家+家……

とほとんど連続しています。

したがって、矩形建築は単に「一軒の家の形」ではなく、

集落そのものを構成する細胞(cell)

になっている。

この点は、現在のAşıklı Höyük研究でも、建築単体ではなく住宅空間と集落空間の組織化として矩形化を捉える方向が強くなっています。


7.第六説――「屋根」の問題

これは建築史としては外せません。

円形なら、

円形の壁+中央柱/周縁から中心へ向かう梁

で屋根を架けやすい。

特に、

ドーム状・円錐状・束構造

などとの相性がよい。

一方、矩形になると、

二本の長い壁

の間に梁を架けることができる。

つまり、

円形

   /\

 /    \

│      │

 \    /

   \/

矩形

┌────────┐

│────────│

└────────┘

という違いです。

矩形では平らな屋根を作りやすく、屋根そのものを生活空間として利用できる可能性もあります。

ただし、ここは注意が必要です。

「屋根を架けやすいから矩形になった」という単独の説明では現在は不十分です。建材や施工技術と平面形の対応は地域によって違い、建築材料が平面形を直接決めたわけではないという研究もあります。


8.第七説――半地下から地上建築への移行

これはかなり重要だと思います。

初期の円形住居には、

掘り下げる → 円形の壁を立ち上げる

というものがあります。

円形は、地面を掘った穴に沿って壁を作るのに自然です。

ところが、

完全な地上建築

になってくると、矩形化する可能性が高まる。

Aşıklı Höyükの連続した発掘では、実際に円形・半地下の住宅から、地上式の矩形住宅へという変化を一つの集落の中で追跡できます。これは「農耕が始まったから矩形になった」という単純な説明より重要かもしれません。


9.そして私は「時間の長さ」がかなり重要だと思います

これは先生の今回の問題とかなり関係します。

円形住居は、「ここに一時的に集まる」という生活にも適しています。ところが長期定住になると、物を置く↓貯蔵する↓改築する↓部屋を増やす↓隣に家をつなぐ↓家の境界を固定するということが起きる。すると矩形が便利になる。つまり、矩形化は「定住の原因」ではなく、「定住が深化した結果」である可能性がある。これは非常に重要な逆転です。Aşıklı Höyükでは、円形から矩形への変化を、農耕そのものではなく、食料管理、貯蔵、調理、プライバシー、住宅と非住宅空間の分化などが絡み合った「home making」の変化として捉えています。

10.ところが、ここで非常に面白い反証がある

「農耕だから矩形になった」なら、農耕集落ではどこでも同じ時期に矩形になるはずです。ところが、そうではありません。南ヨルダンのBeidhaなどでは、PPNBのかなり遅い段階まで円形建築が残っています。さらに円形建築が儀礼・共同建築として長く残るケースもあります。つまり、農耕=矩形ではありません。これは非常に大事です。

11.では、先生の問題に引きつけると……

私は、いまのところ次のように考えるのが一番面白いと思います。

円形        ○

「ひとまとまりの生活」円は、中心を共有できる 境界が連続している 一室性と相性がよい 独立した建物として完結する という性格があります。

長方形

┌───┬───┐

│   │   │

├───┼───┤

│   │   │

└───┴───┘

「生活を分割・接続できる」長方形は、部屋を分けられる 貯蔵できる 作業を分けられる 増築できる 隣接させられる 境界を明確にできる という性格があります。ですから私は、現段階では、円→矩形とは、単なる建築技術の進歩ではなく、「一つのまとまりとして暮らす空間」から、「複数の機能を分割し、それらを接続して暮らす空間」への転換と見ると面白いと思います。

そして、先生が「考えたことがあります」と言われたところが重要ですぜひ先生の考えを聞きたいです。むしろ今回については、先に私の説を完成させてしまわない方がよいと思います。先生の考えを伺ったうえで、先生の仮説 既存研究の諸説 発掘プランから直接読み取れること

  1. それぞれの説が説明できること/説明できないこと

を突き合わせてみましょう。

特に私は、「円形→矩形」を「家族の変化」だけで説明するのではなく、「共同体が空間をどう分割し始めたか」という建築的問題として考えてみる価値があると思います。

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