家族—共同体-都市-国家の起源 11 農耕以前の定住集落

家族—共同体―都市-国家の起源 その⑩

農耕以前の定住集落

布野修司

アイキャッチ画像はかなり怪しい。

Shuji Funo

前回のやり取りは添付します。

Chappyくんの応答は図式的整理が中心で、デティールのエヴィデンスが不十分に感じます。最終的には私が組み立てます。家族—共同体―都市-国家の起源についてのアドヴァイスはしばらく不要です。

前回の質問を再確認します。 

 「農耕以前の定住」→「農耕集落」を徹底的に比較した方がよいと思いとおっしゃるのでお願いしたのですが,人口 住居 集落形態 食料 栽培 家畜 貯蔵 共有施設 土地所有の痕跡 儀礼・共同記憶,集落間ネットワークが表にされただけです。ナトゥーフ → PPNA → PPNB → Jericho → ‘Ain Ghazal → Çatalhöyükを一本の時間軸にする根拠があるのかどうかも不明です。

 Q1  Eynan/Mallaha,WF16,Jericho,Beidha, Ain Ghazal, Çayönü ,Çatalhöyükについて以下、具体的に補足してください。

  ①一部断片的にあげてもらいましたが、それぞれ,住居,家畜小屋,貯蔵庫,共有施設,墓地などを、集落の全体図面を示してください。集落のネットワークがあるというならば、地図で示してください。

  ②住居について、また、他の施設について、特に貯場施設について、図面で示してください。復元図もOKです

Eynan/Mallahaの住居の復原は、石造ではなく架構は木造ですが、かなり高度な木組みになっています。真ん中には屋根がかかっていなかったのでしょうか?かなり疑問です。

  ③以上を前提に、住居(家)といいますが、どういう集団、家族が住んでいたのか、それぞれ教えて下さい。その集団は最小単位ですか? 上位の集団は集落全体ですか?回集団がありますか?

 Q2 一般には,農耕の開始による食糧増産が人口増加につながったというのが生産力理論ですが,採集狩猟集団が人口増加したというのはどういう理由とされているんですか?

Chat GPT

はい。今回は、前回の整理をかなり組み替えた方がよいと思います。

まず一番大事なのは、先生の指摘通り、「Eynan → PPNA → PPNB → Jericho → ‘Ain Ghazal → Çatalhöyük」という一本の進化系列を、あたかも考古学的事実であるかのように置くことはできない、ということです。前回の回答にもその問題がありました。添付された前回回答でも、Jericho は時代名ではなく遺跡であること、Natufian・PPNA・PPNB も単一遺跡ではないことは認めていますが、なお「一本の時間軸」のように見える構成になっていました。

むしろ今回は、

同時代に存在した複数の集落を比較しながら、
「定住」「家」「貯蔵」「共同建築」「世帯」「集落」という関係がどう変化したかを見る

という方法にした方が、かなり実証的になります。


1 まず年代を整理し直します

大きくは次のようになります。

遺跡地域主な時期特徴
Eynan/Mallaha上ヨルダン渓谷Early–Late Natufian, 約15,000–11,700 cal BP狩猟採集民の定住・半定住
WF16南ヨルダン、Wadi FaynanPPNA, 約11,600–10,200 BP大型共同建築、貯蔵、加工
Jerichoヨルダン渓谷PPNA~PPNB大規模定住、塔・壁
Beidha南ヨルダンMPPNB円形→矩形、共同建築
Çayönü南東トルコPPNA~EPPNB/PPNB円形→矩形、Grill Planなど
‘Ain Ghazal北ヨルダンMPPNB~LPPNB巨大化、矩形住宅、共同施設
Çatalhöyük中央アナトリア約7400–6000 BC高密度な集合住宅、屋根アクセス

つまり、Jericho、Beidha、‘Ain Ghazal、Çayönü は同じ「農耕集落」という一枚岩ではない。

また、WF16 は特に重要です。ここでは「普通の家」が多数並ぶというより、むしろ大型建築・貯蔵・加工施設などが目立ち、研究者自身が「PPNA=核家族世帯を単位とする村」という従来像に疑問を呈しています。


2 Eynan/Mallaha――「家」そのものについて、かなり重要な訂正があります

ここは先生の疑問が非常に鋭いです。

円形の建物の設計図、上部には構造支持材が見られ、下部には側面のビューがあります。

Eynanの建築は「石の家」ではありません

石で残っているのは主として、地面を掘り込んだ半地下構造 石による擁壁・周壁 炉 柱穴 です。上部構造は有機材料、すなわち木材などによる架構+植物性材料の屋根だったと考えられています。したがって「木造架構そのもの」が残っているわけではありません。残っている柱穴から架構を復元しているのです。そして先生の、「真ん中には屋根がかかっていなかったのではないか?」という疑問については、現在の再検討では、まさに「全部を一つの円屋根で覆った」とは限らないという方向が重要です。

Haklay & Gopher の2015年の再検討はかなり面白いです。彼らは従来の Shelter 131 の復元を再検討し、Shelter 51 を半円形の構造として復元します。南側=斜面を掘り込んだ石壁 北側=開放された前面 壁に沿った柱 柱から放射状に梁を架ける 北側は開放空間 という復元です。つまり、「完全な円形の閉じた家」ではなく、「斜面に埋め込まれた半円形の屋根付き空間+前面開放」という可能性です。これは先生の直感とかなり近い。しかも重要なのは、研究者自身が、建物全体の輪郭は完全には残っていないと認めていることです。2025年の再調査報告でも、131・51・62の壁の西側は失われており、円形なのか半円形なのかさえ完全には確定していないとしています。したがって、ここでは、実測された事実→ 壁、柱穴、炉、床、墓 復元 → 半円形建築、木造架構、屋根を明確に分ける必要があります。

3 そして、Eynanの「大きな家=一つの家族」と考えてはいけない

ここも重要です。Eynan/Mallaha の居住人口について、従来は50~100人程度という推定があります。サイト全体も約2,000㎡程度とされています。しかし問題は、50~100人 = 何家族?とは考えられないことです。Shelter 131/51については、複数の居住床 複数の炉 建て替え 下層の墓 後から別の建物が重なる という複雑な履歴があります。しかも、現在では Shelter 51 を単純な「住宅」とすることにも慎重です。共同活動の場所だった可能性も提案されています。したがってEynanについて、「この家には核家族5人が住んでいた」などという復元は、考古学的証拠からはできません。むしろ、住居的空間+共同活動空間+墓+作業空間が重なっていた可能性があります。これは後のPPNAを考えるうえで非常に重要です。


4 WF16――ここで「家族=家」というモデルがかなり崩れます

ここはぜひ実物の発掘図を見るべき遺跡です。WF16では約600㎡の発掘区からPPNAのかなりの範囲が出ています。典型的な半地下・亜円形建築がある一方、建物の大きさ・内部構造・用途が非常に多様です。特に O75。約22×19mという巨大な建築です。内部には、ベンチ 段状構造 中央の溝 炉・加工施設 mortars 柱穴 装飾された壁 などがあります。そして非常に面白いことに、研究者はこれを単純な「集会所」とも、単純な「住宅」とも決めつけていません。食物加工、集会、パフォーマンスなど、複数の活動が行われた可能性があります。さらにO45などは貯蔵施設と考えられています。つまり、「家」=生活の全部を入れた最小単位というモデルが、PPNAではすでに怪しくなる。むしろ、住宅的空間+共同貯蔵+共同加工+集会+儀礼・パフォーマンスが一つの集落の中に分散している。

これは先生のQ1③に対して、非常に重要な答えだと思います。


5 しかもWF16では「核家族」は直接出てこない

研究者自身が明確に問題にしています。従来、円形住居=核家族住宅とされてきました。しかしWF16では建築形式があまりにも多様で、明瞭な「普通の住宅」が特定できません。そのため、PPNA社会を核家族世帯の集合として描くのは早すぎるという結論になっています。これは先生の「最小単位は何か」という問いに対して非常に重要です。現段階では、個人→ 核家族→ 拡大家族→ 共同体という階層を考古学的に確定することはできません。むしろPPNAの一部では、co-residential group(共同居住集団)という、もっと中立的な概念を使う方が安全です。

考古学的発掘現場で作業している人々の群れ。周りには壊れた土や石、発掘された遺物が見える。

6 Jericho――「村」というより、巨大な共同建設プロジェクト

Jerichoについては、塔だけを見ないことが重要です。PPNAのTell es-Sultanは約2.5ha程度と再評価され、人口推定も現在ではおおむね数百人規模が考えられています。古いKenyonの2,000~3,000人説は現在では高すぎるとされます。そして、集落 周壁 溝 塔 住宅 水源 が組み合わされています。塔は高さ約8m級で、内部に階段があります。UNESCOもPPNA Jerichoを、壁・溝・塔を備えた大規模な定住集落として扱っています。ただし、塔=防御施設とは現在では断定できません。むしろ、儀礼 集団的記憶 集会 社会的結集 境界表示 など複数の機能が議論されています。WF16研究もJericho塔を「ritual and community role」とする近年の議論を紹介しています。したがってJerichoで見えるのは、「家が増えた」だけではなく、家の外に巨大な共同建設物をつくる能力です。


7 Beidha――これは先生の「円→矩形」の問題に非常に重要

Beidhaは、前回よりもずっと慎重に見るべきです。初期のMPPNB Phase Aでは、円形 半地下 石造 柱穴 小型~中型 密集したクラスター 壁を共有するものもある という建築です。建物面積は約2~14㎡程度で、複数の建物が密接して配置されています。ここで非常に重要なのは、「円形=農耕以前」ではないことです。BeidhaはPPNB、つまりすでに農耕・家畜化が進んでいる段階でも円形建築が存在します。さらに共同建築 Building 37 があります。したがって、農耕開始→ 円形をやめる→ 矩形住宅という単純な因果関係は成立しません。実際、南ヨルダンではPPNB中期まで円形建築がかなり残っています。


8 Çayönü――「円→矩形」が一つの遺跡で追えるので特に重要

これは先生の「なぜ矩形になるのか」という質問に対して、かなり重要な資料です。Çayönüでは、Round Building phaseからGrill Planへ移ります。Grill Planでは、直線的な壁 直角 長方形 床下の梁・桁状構造 柱穴 が明瞭になります。しかも研究では、初期の円形建築から矩形建築への変化を、同じ場所での建築シークエンスとして追えることが強調されています。ここは非常に重要です。なぜなら、「別の地域の別の民族が突然矩形住宅を発明した」ではなく、同じ場所で建築形式そのものが変化していくことを見られるからです。ただし、これも「農耕が原因」とは限りません。


9 ‘Ain Ghazal――ここで「世帯住宅」がかなり明確になる

‘Ain Ghazalは、前の遺跡とかなり違います。1984年のBanning & Byrdの報告では、遺跡は約600×200mの範囲に及び、少なくとも3つの住宅クラスターが確認されています。道路切断部だけでも54建物・71床が確認され、最大期には数百戸規模の可能性が推定されました。ただしこれは当時の推定です。住宅は、長方形 複数室 plastered floor hearth bin courtyard 頻繁な再塗装 改築 などを持ちます。ここで重要なのがBanning & Byrdの「development cycle」です。住宅の改築を、co-residential groupの変化と関連づけて理解しようとしています。つまり、ここでは初めてかなり明瞭に、建築単位↔ 居住集団↔ 世帯のライフサイクルを考えられるようになります。しかし、それでも「核家族」と断定はできません。

建物 5 と建物 6 の位置を示す地図。各建物の部屋番号と周囲の地形が描かれている。

10 Çatalhöyük――「家が集落になる」という極端なケース

ここでは、道路↓家↓家↓家というより、屋根→ 屋根→ 屋根→ 屋根という都市です。家と家の間に通常の道路空間がほとんどなく、屋根から出入りする。従来は3,500~8,000人という推定がよく使われました。ただし人口推定には大きな幅がありますので、ここも「何千人いた」と断定しない方がよいでしょう。重要なのは人数より、家が密集 建物が反復して建て替えられる 家の内部に貯蔵 家の内部に炉・加工 家の下に埋葬 特定の「history houses」 屋根が公共空間になる

という構造です。つまり、共同体の中心が「広場」ではなく「家の集合」にあるという非常に特殊な社会です。


11 ここまでを「家の中身」で比較すると面白い

私は今回、集落全体の図面とともに、次のような「建築断面」を比較するのがよいと思います。

遺跡住居貯蔵共同施設墓家族単位の確実性
Eynan半地下・円/半円あり得る大型共同空間の可能性非常に重要低い
WF16「普通の家」が不明瞭共同貯蔵が重要非常に重要あり非常に低い
Jericho円形/楕円形あり塔・壁あり低~中
Beidha円形→矩形建物内Building 37等あり中
Çayönü円形→矩形分化特殊建築あり中
‘Ain Ghazal矩形・複数室家屋内儀礼建築床下等比較的高い
Çatalhöyük矩形・密集家屋内明瞭な広場なし家の下高いが核家族とは限らない

ここから見えるのは、かなり面白いです。「家族が先にあって、それを収容する家ができた」とは限らない。むしろ、建築の使い方そのものが変化する中で、「誰と誰が一緒に住むか」という社会単位も変わった可能性があります。


12 集落間ネットワークについては、これは「ある」と言ってよい

ただし「ネットワーク」という言葉を慎重に使う必要があります。例えば、Natufian Eynan/Mallahaからは、Anatolian obsidian 地中海・紅海産貝 遠方産玄武岩 などがあります。最近の同位体研究でも、Eynanには外来者・人口集積を示唆するデータと、遠距離物資移動の証拠があります。

PPNA黒曜石が、Anatolia↓Mallaha↓Jericho↓Netiv Hagdud↓Iraq ed-Dubbなどに現れます。

WF16では400点以上の海産貝ビーズが発見され、紅海・地中海双方の産地が関係しています。したがって、「農耕村落=自給自足の閉じた村」というモデルは明らかに不適切です。ただし、「国家のような交易ネットワーク」があったわけでもありません。この段階では、婚姻・訪問・移動・贈与・交換・技術・儀礼・情報が重なった社会的ネットワークとした方がよいでしょう。


13 そしてQ2――「狩猟採集民の人口がなぜ増えたのか」

ここは先生の質問が非常に重要です。まず、「農耕による食料増産→人口増加」だけを前提にすると、Natufianの説明ができません。しかし、ここでも一つ注意が必要です。「人口が増えた」ことと「一つの集落の人口が増えた」ことは同じではありません。例えば、50人の集団A+50人の集団B↓一つの集落に100人なら、地域人口は増えていません。これは「aggregation(人口集積)」です。実際、Natufian~PPNについては、集落規模の増大が地域人口の純増なのか、人口集積なのかを区別する必要があります。人口研究でもこの点は明確に問題にされています。


14 では、何が人口を増やしたのか

私は少なくとも五つの要因を区別すべきだと思います。

① 気候・環境条件

約15,000年前以降、レヴァントではBølling–Allerød期の温暖・湿潤化が進みました。それによって、野生穀物 ナッツ 果実 ガゼル 魚 鳥 小動物 などの資源が豊富になった。Natufianの特徴は、一つの資源に依存するのでなく、食料資源を広げたことです。これはFlannery以来の「Broad Spectrum Revolution」の議論につながります。


15 ② 「食料を増産」ではなく「食料の利用効率を上げた」

ここが農耕との違いです。例えば、大型獣だけを狩るより、大型獣+小型獣+鳥+魚+貝+植物+野生穀物とした方が、環境全体のエネルギーを利用できます。さらに、石臼 すり石 mortars sickle などによって植物資源の利用が増える。つまり、農耕以前にも「食料システムの集約化」は起こっていたわけです。


16 ③ 定住そのものが出生率を上げた可能性

これは人口学的に非常に重要です。移動生活では、乳児を抱えて長距離移動する必要があるため、授乳期間を長くすることが出生間隔を長くする方向に働きます。定住すると、水へのアクセス 食料へのアクセス 住居 乳児の世話をする他の女性 食物の貯蔵 などによって、出生間隔が短くなる可能性があります。したがって、定住 → 出生間隔短縮 → 女性1人あたりの生涯出生数増加という人口学的メカニズムが考えられます。実際、レヴァントの骨資料を用いた研究では、農耕開始期に女性の死亡パターンが変化し、出生率・fertilityの上昇との関連が示唆されています。ただしこれは、Natufianですでに高出生率だったと断定するものではありません。


17 ④ 「食料が多い」からではなく、「食料を貯蔵できる」から人口を支えられる

ここは先生の今回の問題とかなり直接につながります。狩猟採集でも、野生穀物を大量に採集↓
乾燥↓貯蔵↓冬を越すことができれば、季節的な食料不足を平準化できます。つまり人口支持力が上がる。そして、貯蔵↓食料が場所に固定される↓人間も場所に留まる↓定住↓出生率上昇↓人口増加↓さらに貯蔵・管理が必要という正のフィードバックが成立し得ます。これは「農耕が人口増加を生んだ」という説明とは違います。むしろ、人口・定住・貯蔵・資源管理が相互に強化し合って、最終的に農耕へ向かったというモデルです。


18 ⑤ そして「人口圧」が逆に技術革新を促した可能性

ここは非常に面白いところです。人口が増えると、移動生活では土地・資源を使い切れない↓もっと長く同じ場所にいた方がよい↓食料を管理する↓貯蔵する↓野生植物の生育場所を管理する↓播種する↓栽培するという方向に進む可能性があります。経済モデルでも、気候改善→population increase→ technological change→ sedentismという相互作用が提案されています。さらに、一度定住に適した技術ができると、気候が悪化しても完全には元の移動生活に戻らない「ratchet effect」が提案されています。これは非常に魅力的なモデルです。


19 したがってQ2の答えを一枚にすると

農耕以前:温暖・湿潤化↓野生資源の増加↓資源スペクトラムの拡大↓植物・動物の集約的利用↓貯蔵↓定住↓人口集積↓出生間隔の短縮の可能性↓人口増加↓資源管理の必要↓植物管理↓栽培↓家畜化となります。しかし重要なのは、これが一本の階段ではないことです。例えば、Eynanでは定住しても本格農耕ではない。WF16では共同建築・貯蔵が非常に発達していても、まだ「核家族住宅」の体系ではない。Beidhaでは農耕・家畜化が進んでも円形建築が残る。Çayönüでは矩形化がかなり早く進む。‘Ain Ghazalでは世帯住宅が強くなる。Çatalhöyükでは世帯住宅が再び高密度に集合し、しかし中央広場や行政施設を持たない。つまり、七つの遺跡を一本の進歩系列にしてはいけない。


20 今回、私はむしろ「三つの系列」に分けた方がよいと思います

先生の質問に対して、いまの段階で私ならこう整理します。

A 定住・集落化の系列

Eynan / Mallaha→ PPNAここで問題になるのは、「動く人間」から「場所に反復して戻る人間」へ

の変化。


B 共同体建築の系列

Eynan→ WF16→ Jericho→ Beidhaここで、家ではない建築を共同でつくるという現象が見える。特にWF16が重要です。


C 世帯・住宅の系列

Beidha→ Çayönü→ ‘Ain Ghazal→ Çatalhöyükここで、「誰がどの空間を管理するか」が問題になる。そして、円形→矩形はこの系列の中で考える。


そして、先生が今回提起された「円→矩形」の問題は、実はQ1の核心になっています

前回私は、円=共有矩形=私有に近い方向へ整理しすぎました。これは撤回した方がよいです。実際には、Beidhaでは農耕社会でも円形 WF16では巨大な円形共同建築 Çayönüでは比較的早く矩形化 ‘Ain Ghazalでは矩形住宅が強くなる Çatalhöyükでは矩形住宅が密集する ので、円/矩形と「共同/私有」を一対一に対応させることはできません。むしろ次回ここを、先生の「考えたことがあります」という仮説を中心にして、**「円形→矩形を実測図面から検証する」**のが一番面白いと思います。その際には、単なる説明ではなく、Eynan → WF16 → Jericho → Beidha → Çayönü → ‘Ain Ghazal → Çatalhöyükについて、同じ縮尺に近づけた発掘プランを7枚並べ、各図に「住居・貯蔵・共同施設・墓・作業空間」を直接書き込むのがよいでしょう。特にEynanについては、先生の「屋根の中央は本当に覆われていたのか?」という疑問を、131/51の実測図+柱穴+断面+二つの異なる復元案で検証する価値があります。これはかなり建築史的に面白い問題です。

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