家族—共同体―都市-国家の起源 その⑪
定住集落と家族形態
布野修司
Shuji Funo
前回のやり取りは添付します。
定住集落の建築遺構と定住集団について,Eynan/Mallaha,WF16,Jericho,Beidha, Ain Ghazal, Çayönü ,Çatalhöyükの6つの事例について,いろいろで,3つの系列で考えたらいいという提案ですが、そうだと共同体論が始まりません。統一的理解が必要だと思います。
Q1 Eynan → WF16 → Jericho → Beidha → Çayönü → ‘Ain Ghazal → Çatalhöyükについて、同じ縮尺に近づけた発掘プランを7枚並べ、各図に「住居・貯蔵・共同施設・墓・作業空間」を直接書き込むのがよいでしょう,とおっしゃいますが,これはやってくれないんですか?住居レヴェル,共同施設レヴェル,集落レヴェルが必要です。膨大な文献を瞬時に参照して頂いていますが、原データを示してもらえませんか?
Q2 家族形態は様々です。文化人類学が明らかにした例でも、大家族でも女系、父系、双系・・・E.トッドが世界中の家族形態をとりあげながら、家族システムの起源について論じています。彼は、家族システムの起源は核家族といいますが,考古学においては核家族が起源というのが通説になっているんですか?核家族は近代社会、産業社会において一般的になったという見方も強力ではないんですか?土地所有を分類項目にあげていましたが、農耕以前にそんな議論が考古学でなされているんですか?エンゲルスの『家族、私有財産、国家の起源』はいまだ大きな影響力があるんですか?
Q3 円形住居、矩形住居等については続いて世界各地の住居と家族形態を問題にします。円形住居は北方にもあり北米インディアンのティピーもそうです。建築学的には自然な工法です。また、大家族住居の様々な事例があります。円形→矩形は進歩と考古学では考えられているんですか。これについては、農耕の広がりをお聞きした上で続いて質問します。
Chat GPT
はい。今回のQ1~Q3は、前回の私の整理をかなり根本から修正する必要があります。とくに先生が指摘された、「三つの系列に分けたら共同体論が始まらない。統一的理解が必要だ」という点はその通りだと思います。前回私は「定住」「共同建築」「世帯」を三系列に分けてしまいましたが、これは分析項目を系列にしてしまったためです。前回の回答自身が最後に「三つの系列」として整理していたことは、添付資料でも確認できます。
むしろ今回必要なのは、人間集団 → 居住単位 → 建築単位 → 複数建築の関係 → 集落 → 集落間関係を、同じ遺跡について追うことです。そして、そのうえで「家族」を考える。これなら共同体論につながります。
Q1 7遺跡の発掘プランをどう比較するか
まず一つ訂正です。先生が「6つの事例」と書かれていますが、挙げられているのはEynan/Mallaha WF16 Jericho Beidha ‘Ain Ghazal Çayönü Çatalhöyükの7遺跡です。そして、はい、7枚並べるべきです。ただし、「同じ縮尺にする」については少し工夫が必要です。
私なら1遺跡1枚をこうします
┌────────────────────────────┐
│ ① 集落全体図 1:1000程度(可能な場合) │
│ │
│ 住居 ■ 貯蔵 □ 共同施設 ● 墓 △ 作業 × │
│ │
├────────────────────────────┤
│ ② 代表的住居・建築 1:100~1:200 │
│ │
│ 炉/貯蔵/作業/埋葬/入口を記入 │
├────────────────────────────┤
│ ③ 住居群・近隣単位 │
│ │
│ 「家」同士がどう関係しているか │
└────────────────────────────┘
つまり、住居レベル・共同施設レベル・集落レベルの三層です。
これが先生のいう「原データを示して、そこから家族・共同体を考える」ための一番よい方法だと思います。重要なのは、発掘されていないところを勝手に「空地」として描かないことです。未発掘部分は未発掘として表示する。これはかなり重要です。
① Eynan / Mallaha
ここは最も面白い。現在の再検討では、131・51・62などの壁、柱穴、炉、墓、床面を含む複雑な重複関係が明らかになっています。2015年のHaklay & Gopherの再検討では、従来「住居」として復元されてきた131/51について、共同集会空間であった可能性まで考えられています。
Eynan-Mallaha:Haklay & Gopher, “A New Look at Shelter 131/51” 図版群
さらに2025年の総括では、Eynanには少なくとも25の主要建築と数百の小規模遺構があり、現在露出している約400㎡は、推定される約2,000㎡の集落の一部にすぎないとされています。したがって、「大きな円形住居=大家族住宅」と直ちに読んではいけない。ここでむしろ重要なのは、住居/共同空間/墓/作業空間がまだ完全には分離していないということです。
② WF16
これは先生の問題意識に非常に重要です。WF16では約30の構造が確認されていますが、発掘されたのはその一部で、しかも建物は非常に多様です。O45は貯蔵施設と考えられ、O56はビーズ製作、O11にはmort ar、そして巨大なO75があります。
WF16:Mithen, “Lost for words” 図版・O75
O75は約20×18mで、二重のベンチ、中央の溝、放射状の構造を持つ巨大建築です。さらにFinlaysonらは、このような建物の建設を「個々の家族の建築」と考えることに明確な疑問を呈しています。WF16はむしろ、community のための建築として理解すべきだという方向です。これは共同体論にとって非常に大きい。つまり、「家族が先にあり、その家族が集まって村をつくった」というモデルが崩れる可能性があります。


③ Jericho
Jerichoはさらに別の意味で重要です。Jericho / Tell es-Sultan:PPN集落復元図
ここでは、住宅 周壁 溝 塔 水源 貯蔵施設 が一つの集落システムを構成しています。そして塔についても「防御塔」と即断できません。儀礼・集団的記憶・集会などの解釈が競合しています。つまりJerichoでは、個々の住宅を超える「集落全体の建設」が発生している。これは「家族→共同体」という単純な図式より、共同建設行為そのものが人間集団を形成した可能性を考える材料になります。
④ Beidha
Beidhaは非常に重要です。Phase Aでは、2~14㎡程度の小型円形・半地下建築が密集し、壁を共有するものもあります。Building 37は共同建築として議論されています。
Beidha:Phase A建築・Building 37の平面図
ここで明瞭なのは、農耕・家畜化が進んだPPNBでも円形建築が残ることです。したがって、円形=狩猟採集矩形=農耕円形=共同矩形=家族・私有という対応は成立しません。これは前回私が暗に示してしまった単純化を撤回すべきところです。
⑤ ‘Ain Ghazal
ここから住宅の「世帯性」がかなり見えてきます。Banning & Byrdは住宅の改築・縮小を追跡し、co-residential group(共同居住集団)の変化として住宅のdevelopment cycleを分析しています。
Banning & Byrd, “Houses and the Changing Residential Unit”
ただしここでも、co-residential group = nuclear familyではありません。一方、Rollefsonは住宅の規模と配置から、両親と未婚の子どもからなるsingle-family unitを想定しています。
つまり、ここには実際に学説上の対立がある。
⑥ Çayönüここは「円→矩形」を考える上で最重要です。
Çayönü:site plan / architectural planning

Çayönüでは、Round Building↓Grill Plan↓Channelled Building↓Cobble-Paved Building↓
Cell Plan↓Large Roomという建築シークエンスが同一遺跡で追えます。しかもGrill Planでは、かなり明確な矩形グリッドが確認され、0.48m程度の単位による設計が提案されています。したがって、これは「円形→矩形」を建築史的に実証するための非常に良いケースです。ただし、矩形になったから家族が核家族になったとは言えません。
⑦ Çatalhöyük
最後はむしろ逆です。
Çatalhöyük 2003 Archive Report:40×40m発掘平面図
2003年には40×40mの範囲を面的に削り出し、約40軒の配置を捉えています。住宅は密集し、ところどころに線状の隙間がありますが、公共空間・公共建築はほとんど確認されませんでした。つまり、家が集落になるという非常に特殊な構成です。しかも近年の古代DNA研究では、atalhöyükの「家」と「血縁集団」の対応は単純ではなく、PPNBから後期新石器時代にかけての世帯自律化についても学説が分かれています。
したがって、7枚を並べると何が見えるか
私は前回とは違って、次の一本の軸で読むべきだと思います。
人間集団↓一緒に住むこと(co-residence)↓住居をつくること↓複数の住居を関係づけること↓住居の外にある共同空間をつくること↓貯蔵・加工・墓・儀礼を誰が共有するか↓集落全体を共同で建設・維持すること↓「家」と「共同体」の境界がどう形成されるかです。
これなら、家族—共同体—都市—国家という先生の本来の問題につながります。
Q2 「核家族が起源」は考古学の通説なのか?
結論から言うと、いいえ。通説ではありません。ここはかなり重要です。考古学には確かに、
小型の住宅+炉+貯蔵施設+少人数分の床面積→ 核家族世帯という推論があります。Wrightなどは南レヴァントのEarly NatufianからPPNA、PPNBまで、核家族世帯を基本的な居住単位と見る議論をしています。しかし、それは**「核家族という親族形態が人類の起源だった」ということではありません。**ここを分ける必要があります。
① nuclear family父+母+子という親族関係
② nuclear household夫婦+子など少人数が一緒に住む居住単位
③ household共同居住・生産・消費を行う社会経済単位
これは全部違います。考古学が比較的見えるのは②と③です。
①の「誰が誰を父・母・兄弟と認識していたか」は、普通は直接には見えません。したがって、現在の考古学では、household ≠ familyと考えるのが非常に重要です。実際、Banningらも、nuclear/extendedという用語は本来kinshipによって定義されるため、考古学では厳密には確認困難で、相対的な集団規模を示すために使っている、と注意しています。
そして、先生が挙げられたE. Toddは非常に面白い
ここはぜひ今回のシリーズに入れた方がよいと思います。Toddの『家族システムの起源』は、まさに、「核家族が近代の産物だ」という常識に対する挑戦です。Toddはユーラシアの家族形態を比較して、核家族→ stem family→ community/joint familyという方向の歴史を想定します。日本語版は藤原書店2016年です。さらにToddは、狩猟採集民のAgta、Yaghan、Shoshone、Bushmen、Andamaneseなどにも核家族的な居住単位を見出し、核家族は近代社会の発明ではないと論じます。ここは先生の問題意識と非常に接近しています。ただし、Toddの「核家族」は、「孤立した核家族だけで社会が成立する」という意味ではありません。むしろ、夫婦+子という小さい単位が、より大きなlocal kin group / bandの中に包摂されているという構造です。これは今回の「共同体」の問題に非常に使える。
では「近代・産業社会=核家族」という説はどうなのか
これは半分正しく、半分誤りです。正確には、核家族そのものが近代に成立したわけではない。しかし、核家族を一つの独立した世帯として分離し、親族集団から離れて生活することが、近代西欧・産業社会で大きく一般化したということです。Toddの議論でも、重要なのは「核家族」という名称だけではなく、neolocality(新婚夫婦が親から独立して新居を構えること)です。ですから、古代にも核家族的な単位はある↓しかしそれが大家族・親族・共同体の中に埋め込まれている↓近代になると核家族世帯が親族集団から自律するという三段階で考えた方がよい。これは非常に重要です。
土地所有について
ここも、前回私が「土地所有」を比較項目に入れたのは、少し不用意でした。農耕以前に「土地所有」がなかった、とは言えません。考古学では、territoriality access rights resource ownership communal property corporate ownership private property などを区別して議論します。Timothy Earleの「Archaeology, Property, and Prehistory」は、この問題を正面から扱った重要論文です。考古学では労働投資、居住分布、防御施設、境界表示などを組み合わせてproperty regimeを推定するとしています。Natufianについてもterritorialityの議論があります。しかし、「Eynanでは土地が私有されていた」などと書くのは危険です。むしろ、場所への継続的アクセス権があったのか
資源へのアクセスを誰が管理したのか住居を誰が継承したのか貯蔵物を誰が管理したのか
と問うべきです。特にNatufianでは、住居床下の埋葬や同じ場所での反復建設から「居住権」「家への権利」のようなものを推定する議論がありますが、これは所有権の直接証拠ではありません。
エンゲルスはまだ大きな影響力を持つのか?
ここも二つに分けるべきでしょう。実証的なモデルとして『家族、私有財産、国家の起源』の19世紀的な進化段階論は、現在の考古学の通説ではありません。Morganの原始的段階 → 野蛮 → 文明という一線的進化論そのものが現在では受け入れられていません。Morganの家族進化論もそのままでは支持されていません。
しかし理論問題としてむしろ現在でも非常に重要です。なぜならEngelsが立てた問題は、家族↓生産↓財産↓相続↓階級↓国家という、「親族組織と経済組織と政治組織の関係」だからです。
これは現在でも考古学の中心問題です。したがって、Engelsを「正しかった/間違っていた」で処理するより、彼が設定した問題を現在の考古学的データで再検証する方が、先生の今回のテーマにははるかに有効だと思います。
Q3 円形→矩形は「進歩」なのか?
ここはかなり明確に答えられます。現在の考古学では、円形→矩形を「進歩」と考えることはできません。そして、これは今回かなり重要です。Beidhaでは農耕・家畜化の進んだPPNBに円形住居があります。Çayönüでは同じ遺跡で円形から矩形へ変化します。つまり、円形→矩形という変化そのものは事実として存在するが、円形=未発達、矩形=発達ではありません。
なぜ矩形が有利になるのか
これは建築学的にかなり面白い問題です。
矩形には、
① 壁を共有できる
円形
○ ○ ○
よりも、
┌─┬─┬─┐
│ │ │ │
├─┼─┼─┤
│ │ │ │
└─┴─┴─┘
の方が高密度集住に向いています。
② 空間を分割できる
寝る↓調理↓貯蔵↓作業を一つの建物の中で分けられる。
③ 増築しやすい
矩形は既存の壁に新しい部屋を接続できます。
④ 貯蔵との相性がよい
穀物・道具・容器などを壁際に配置しやすい。
⑤ 屋根構造・床構造をモジュール化しやすい
Çayönüで見られるグリッド化は、まさにこの問題です。0.48m程度の単位を基礎にした計画が提案されています。しかし、これは「進歩」というより、異なる社会的・建築的要求への適応と考えた方がよい。
では円形は何なのか
先生がおっしゃる、「円形住居は建築学的には自然な工法ではないか」という点は重要です。
確かに円形・楕円形は、曲げ材を連続的に配置できる 中央柱+放射状架構が可能 小規模建築では構造的に合理的 材料を均等に配置できる テント・小屋など移動性の高い建築とも相性がよい という利点があります。そして北米のティピーなどを考えても、円形=原始的という理解は建築学的にはかなり危うい。ティピーの場合は中央柱と放射状の骨組み、張力を利用した構法で、むしろ非常に合理的です。だから、円形 → 矩形 = 建築技術の進歩とは言えません。
ここで今回の7遺跡が非常に面白くなる
私は次のように読み替えたいです。
| 遺跡 | 建築的に重要な問題 |
| Eynan | 「家」と共同活動・墓の境界が曖昧 |
| WF16 | 家とは別に巨大な共同建築が成立 |
| Jericho | 集落全体を共同で建設する |
| Beidha | 農耕社会でも円形建築が存続 |
| Çayönü | 同一集落で円形→矩形を実際に追える |
| ‘Ain Ghazal | 住宅=co-residential groupが明瞭になる |
| Çatalhöyük | 個々の家が極端に密集し、家の集合そのものが集落になる |
ここには、単純な「円形→矩形→都市」という進歩史はありません。むしろ、「共同体をどのように建築するか」という問題が、場所によって違う解答を取っている。
そして、先生の「共同体論」にとって一番重要なこと
今回のQ1~Q3から、私はむしろ次の仮説を立てるべきだと思います。
人類社会の起源を「家族の起源」から始めるのではなく、まず「共同居住の起源」から考える。その上で、共同居住→ 住居→ 食料共有→ 貯蔵共有→ 作業共有→ 墓・祖先の共有→ 儀礼の共有→ 建設労働の共有→ 場所への権利→ 世帯の分化→ 家族・親族の制度化という順番で調べる。
そうすると、「家族が先にあって共同体ができた」のか、「共同体の中から家族・世帯が分化した」のかという、先生が本当に問題にされている核心に入れます。
そしてここでは、ToddとEngelsを対置するだけでも非常に面白い。
- Todd:核家族はかなり古い。複雑な家族形態は後から形成された。
- Engels:家族形態の変化を私有財産・相続・生産関係の変化と結びつける。
- 現代考古学:そもそも「家=家族」とは限らない。共同居住集団、household、kin group、communityを分けなければならない。
そしてEynan → WF16 → Jericho → Beidha → Çayönü → ‘Ain Ghazal → Çatalhöyükを、この三者を検証する実験場として使う。これは、前回の「三系列」よりずっと先生の「家族—共同体—都市—国家の起源」という本来のテーマに近いと思います。
なお、7枚の原図比較については、今回確認できた公開発掘図を基礎にして、「原図」「縮尺」「発掘済/未発掘」「住居・貯蔵・共同施設・墓・作業空間」の5分類を重ねた比較図にするのが適切です。原図そのものと、こちらの解釈による着色・注記を混同しないことが重要です。特にEynan、WF16、Jericho、Beidha、Çayönü、‘Ain Ghazal、Çatalhöyükでは、発掘範囲そのものが違うため、単純に7枚を同一縮尺で並べるだけでは逆に誤解を招きます。

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