家族—共同体―都市-国家の起源 その⑭
都市革命 最古の都市
布野修司
Shuji Funo
前回のやり取りは添付します。
理解していただいたようです。興味の核心はまさに以下です。
- 住居の内部:寝る、食べる、火を使う、加工する、貯蔵する、埋葬する、といった行為がどこで行われたか。
- 住居と住居のあいだ:通路、空地、炉、作業場所、貯蔵施設、墓などが、どのように配置されたか。
- 集落とその外部:耕地、水辺、森林、放牧地、採集地、狩猟域などと居住域がどう結びつき、誰がそれらを利用したか。
しかし、新大陸の9. San José Mogote(サン・ホセ・モゴテ),10. Huaca Prieta(ワカ・プリエタ)は「都市」のようですね。農耕集落についてさらに掘り下げるには時間がかかります。必要に応じて振り返ります。
都市革命,都市の出現をテーマにします。農村集落がいかにネットワークを形成し,都市あるいは国家が成立したかです。
Q1 最古の都市と考えられているのはどの都市ですか?そして、その都市はどのようにして出現したのでしょうか?
Q2 都市とは何か? G.チャイルドの「都市革命」以降の議論を整理してください。
…家族—共同体―都市―国家の起源 その⑮
都市革命――最古の都市はどこか
Shuji Funo 先生
前回の⑭「共同居住と住居」を読みました。先生が知りたいのは、集落が大きくなり、建物が増え、やがて都市になったという単純な発展史ではない、と理解しています。住居の内部、住居と住居のあいだ、集落とその外部という三つの空間スケールを踏まえながら、農村集落のネットワークから、都市という新しい空間的・社会的編成がどのように生まれたのか、という問題ですね。
今回の議論では、とりわけ次の二つを区別しておく必要があります。
- 考古学的な問い: 現在確認できる最古級の都市的集落はどこか。それは、どのような生業、建築、共同施設、交易、権力関係をもっていたのか。
- 概念的な問い: 何をもって都市と呼ぶのか。人口規模や建物の密度なのか、それとも、農業以外の職業、広域的な分業、集落間ネットワーク、公共建築、行政、階層化などの組み合わせなのか。
この二つは関連していますが、同じ問いではありません。都市の定義によって「最古の都市」の答えも変わってきます。
Chat GPT
Q1 最古の都市はどこか。そして、どのように出現したのか
1. 「最古の都市」は一つに決められない
まず、暫定的な答えを示します。

1. ウルク(Uruk)――都市革命の代表例
南メソポタミア/前4000年紀後半
都市の成立を、人口集中、専門職の発達、公共・宗教建築、行政的管理、文字の出現などが結びついた変化として捉える場合、ウルクは最も重要な事例です。とりわけ前4千年紀後半に進んだ都市化は、チャイルドの「都市革命」を考えるうえで中心的な位置を占めます。

2. テル・ブラク(Tell Brak)――南メソポタミアだけが起源ではない
北メソポタミア/前5千年紀末~前4千年紀
北メソポタミアのテル・ブラクは、ウルクの都市化と同時期、あるいは一部の指標ではそれ以前に、大規模な人口集中や記念的建築を発達させた重要遺跡です。都市化を南メソポタミアから周辺へ一方向に広がった現象とみなす見方に再考を促します。

3. チャタル・ヒュユク(Çatalhöyük)――都市と呼ぶべきか
アナトリア/およそ前7100~前6000年
多数の住居が密集し、人口も相当な規模に達した新石器時代の集落です。しかし、独立した公共空間、行政組織、職業分化などをどの程度都市の条件とするかによって、評価は異なります。大規模な定住集落と都市を区別する基準を考えるのに適した事例です。

4. エリコ(Jericho/Tell es-Sultan)――早い時期の大規模定住
レヴァント/前9千年紀~前8千年紀を中心とする初期定住段階
壁や塔などの大規模な共同建設で知られます。ただし、古い時期の防御施設とされてきた構築物の機能には議論があり、これだけで都市の成立を証明することはできません。
この四例は、同じ基準で競争しているわけではありません。エリコは早い時期の定住と共同建設、チャタル・ヒュユクは高密度の居住、テル・ブラクは初期都市化の複数の中心、ウルクは都市的諸機能の集積という、それぞれ異なる問題を代表しています。
したがって、現時点では、次のように答えるのが最も正確だと思います。
都市を、人口集中だけでなく、広域的な経済・社会関係、職業分化、公共的・行政的機能などが結びついた社会として定義するなら、前4千年紀後半のウルクは、最古級の確実な都市の代表例です。しかし、人類最初の都市を一つの遺跡に確定することはできません。
2. ウルクは、どのようにして都市になったのか



ウルクの成立を理解するには、ある時点で村が都市に変わったと考えるよりも、南メソポタミアの集落群が数百年にわたって変化した過程を追う必要があります。前提として、ウルクは現在のイラク南部、ユーフラテス川下流域に位置します。周辺には農耕集落があり、河川や水路、耕地、牧草地、湿地などを利用する生活が営まれていました。
① 農耕集落のネットワーク
都市の成立以前から、集落は孤立していたわけではありません。農産物、家畜、石材、木材、金属原料などの獲得と交換を通じて、異なる環境に暮らす人々が結びついていました。ただし、初期のウルク周辺で、どの集落がどの集落と、どの品目を、どれほどの頻度で交換していたかは、個別の考古学的証拠によって検討しなければなりません。ここで重要なのは、都市を単に大きくなった村として見るのではなく、それまで複数の集落に分散していた人々、物資、技術、情報、儀礼などの関係が、特定の場所に集中し、再編される過程として捉えることです。
② 人口と活動の集中
ウルクでは、前4千年紀に集落の規模が大きくなり、建築や生産活動、物資の管理などが複雑化しました。都市化は、一つの中心部だけでなく、その周囲の居住域や生産域も含めて理解する必要があります。この点で北メソポタミアのテル・ブラクとの比較が重要です。ジェイソン・ウアらの調査によると、テル・ブラクでは、前4200~3800年頃に約55ヘクタール、前3800~3400年頃には約130ヘクタールに及ぶ集落域が形成されました。初期には、中心部と周辺の居住域が空間的に分かれ、次第にそれらが結びついていったと考えられています。
Jason Ur
+この事実は、都市の成立に必ずしも、最初から明確な城壁や計画的な街路網、単一の支配者による建設が必要だったわけではないことを示唆します。
③ 共同施設と専門化
人口の集中は、共同で利用する建築や、特定の活動に使われる空間の発達と結びつきます。ウルクでは、神殿建築群、工芸生産、物資の管理などが重要な研究対象です。しかし、建築の規模が大きいことだけから、強大な支配者や完成した国家の存在を直ちに導くことはできません。建設を誰が計画したのか、労働力をどう動員したのか、食料や資材をどのように調達したのかは、それぞれ別に検証すべき問題です。
④ 記録・計算・行政
ウルク期後半には、粘土製の計算具や記録体系が発達し、前4千年紀末頃には原初的な文字資料が現れます。これは、物資や労働、供給などの管理が複雑になったことを考えるうえで重要です。ただし、文字の発明が都市を生み出したのか、都市における管理の必要が文字を発達させたのか、あるいは両者が相互に促進し合ったのかは、慎重に考える必要があります。
⑤ 都市と周辺農村の再編
都市は、周辺の農村から独立して成立したわけではありません。都市人口を支える食料や原料、燃料、建築資材の供給が必要です。一方、都市は周辺の農村に対して、加工品、技術、儀礼、行政的な管理、交易の機会などを提供した可能性があります。
ここから、先生の問題設定に即して、次の問いが出てきます。
- 農村集落は消滅したのか、それとも都市と共存しながら役割を変えたのか。
- 食料の生産・貯蔵・配分は、各世帯や集落に分散していたのか、都市の施設に集中したのか。
- 都市の住居群と公共建築は、どのような社会集団の構成を反映していたのか。
- 都市の成立は、共同性の拡大だったのか、それとも資源・土地・労働の管理権が特定の集団に集中する過程でもあったのか。
最後の問いはとりわけ重要です。都市化は、協働の拡大と同時に、社会的な差異や権力関係の形成を伴った可能性があります。テル・ブラクの研究は、初期都市の成長を、支配者による一方的な建設だけでは説明できないことも示しています。
Springer Nature Link
+1
以上を踏まえると、都市の出現は、単なる集落規模の増大ではなく、居住、生産、交換、共同建設、物資管理、社会的権限の空間的な再編として考えるべきでしょう。
Q2 都市とは何か――チャイルドの「都市革命」以降
1. チャイルドの「都市革命」(1950)

V. Gordon Childe(1892–1957)
オーストラリア生まれの考古学者。新石器革命、都市革命という概念を通じて、技術や生産様式の変化と、社会組織の変化を結びつけて考えました。
1950年の論文 “The Urban Revolution” は、都市計画史、都市史、考古学を横断する古典的な論考です。
faculty.washington.edu
+1
チャイルドは論文の冒頭で、都市の定義は容易ではないと認めています。そして都市革命を、単に都市が建設された出来事ではなく、社会の経済構造と組織が変化し、新しい段階に入ったことを示す概念として提示しました。
faculty.washington.edu
彼が挙げた有名な「都市の10指標」は、次のように整理できます。
| 指標 | 内容 | 空間・建築から考える問い |
| 1 | 集落の規模と人口密度の増大 | 住居群はどのように集中したか |
| 2 | 専門職の成立 | 生産・交易・行政などの活動域はどう分化したか |
| 3 | 生産余剰の集中 | 食料はどこで貯蔵され、誰が管理したか |
| 4 | 記念的な公共建築 | 神殿などの建設と共同労働はどう組織されたか |
| 5 | 支配階級の形成 | 住居や施設の差異に社会階層が表れているか |
| 6 | 文字の成立 | 記録・計算・管理の施設や道具は何か |
| 7 | 数学・天文学などの発達 | 測量、暦、建設技術はどう使われたか |
| 8 | 芸術表現の発達 | 都市の儀礼や権威はどのように表象されたか |
| 9 | 長距離交易 | 都市と遠隔地の資源・生産地はどう結ばれたか |
| 10 | 親族関係だけに依存しない国家組織 | 異なる集団を都市社会として統合する仕組みは何か |
出典:Childe, “The Urban Revolution,” 1950。上表は原論文の10指標を要約し、建築・都市計画の観点から問いを加えたものです。
faculty.washington.edu
+1
このリストで重要なのは、都市を大きさだけで定義しなかったことです。人口集中は一つの指標にすぎず、余剰の集中、専門職、公共建築、階層化、行政、広域交易などが相互に関連していました。ただし、ここには二つの問題があります。
第一に、チャイルドのモデルは、メソポタミア、エジプトなどの初期国家を中心に組み立てられています。そのため、文字を持たない都市社会や、異なる政治構造を持つ都市を評価するときには、そのまま適用できません。
第二に、10項目を満たしているかどうかを数えるだけでは、都市が生まれた原因や、各要素がどのように結びついたのかを説明できません。チャイルド自身の理論を出発点としつつも、後の研究はこの問題を掘り下げてきました。
The Archaeology of South Asia
+1
2. その後の議論――何が問題になったのか
都市論の展開は、単にチャイルドの10指標に新しい項目を加える歴史ではありません。むしろ、都市の何を説明すべきかという問いそのものが変わってきた、と考えると理解しやすいと思います。

① ロバート・マコーミック・アダムズら――都市化と地域システム
1960~1970年代を中心に
都市を単独の集落としてではなく、農村、灌漑、生産、人口移動、政治組織などが結びつく地域システムとして研究する方向が強まりました。
重要なのは、都市の成長と農村の変化を別々に扱わないことです。都市への人口集中が周辺集落の再編や農業生産の変化とどう関係するか、という問題です。

② プロセス考古学――都市成立の因果関係
1960~1980年代
ここでは、都市の特徴を列挙するだけでなく、人口、環境、生産、交換、政治組織などがどのように作用したかを説明することが重視されます。
例えば、食料余剰があれば必ず都市が成立するのか。専門職の成立には、どのような需要や組織が必要か。環境条件が似ていても都市化の結果が異なるのはなぜか。こうした因果関係が研究課題になりました。

③ 比較都市考古学――都市の多様性
1990年代以降、とくに2000年代以降
メソポタミア型の都市を唯一の標準にせず、マヤ、アンデス、南アジアなど、異なる地域の都市を比較する研究が進みました。
文字や中央集権的な行政が確認できなくても、人口集中、公共的な空間、地域ネットワークなどの面で都市的な性格を持つ社会があります。都市を単一の進化段階に押し込めないことが重要になりました。
The Archaeology of South Asia
+2

④ 新しい初期都市研究――中心と周辺の関係を実証する
2000年代以降
テル・ブラクなどで、中心部の発掘だけでなく、周辺集落、衛星的な居住域、廃棄域、生産域、道路、耕地などの調査が進みました。
これにより、都市が一つの中心から計画的に広がるとは限らず、異なる居住域が結びつくことで形成された場合もあることが明らかになってきました。
Jason Ur
+1
3. 現在の都市考古学では、何が論点なのか
近年の研究を一つの定義にまとめるのは難しいのですが、少なくとも次の四つの論点が重要です。
第一に、規模と密度。 人口や建物が集中していることは重要ですが、大規模な集落がすべて都市とは限りません。
第二に、機能と分業。 生産、交易、儀礼、行政などの機能がどのように分化し、集積しているか。ただし、専門職が存在することだけでも都市とは断定できません。
第三に、社会的・政治的な編成。 都市がどのような集団によって構成され、共同施設や資源を誰が管理し、権限がどう配分されていたか。中央集権的な国家を持たない都市的社会も比較対象になります。
第四に、周辺地域との関係。 都市は食料や原料を外部に依存するだけでなく、周辺地域の生産や人口分布、移動、交易を変化させます。都市の境界も、城壁や市街地の外縁だけでは十分に捉えられません。
2024年刊行の初期都市考古学に関するレビューも、都市の定義に普遍的な合意がないことを指摘しつつ、異なる都市社会を比較するために「都市」という概念を維持する意義を論じています。
Annual Reviews
4. 先生の問題設定に引きつけて考える
ここからは、先行研究の整理を踏まえた私の考えです。
先生がこれまで検討してきたオハロIIのキャンプ、ナトゥーフ期の集落、PPNA・PPNBの農耕集落、チャタル・ヒュユクなどを、ウルクへ向かう単純な発展段階として並べる必要はありません。むしろ、異なる集落で共同性がどのように構成されていたかを比較することで、都市の成立を考えることができます。
例えば、次の三つの問いです。
- 住居と世帯: 都市では、住居が独立した世帯の単位になったのか。それとも、住居群や近隣集団が、食料や作業、儀礼を共有し続けたのか。
- 共同空間: 集落の空地、炉、作業場、貯蔵施設、墓、公共建築は、どのように配置され、誰が利用したのか。
- 集落と外部: 都市の成立によって、農村の生産、土地や水の利用、交易、人口移動はどう変化したのか。
ここで見落としたくないのは、都市化を共同性の単純な拡大と考えてよいのか、という問題です。
共同で建設し、貯蔵し、交換する能力が拡大する一方で、余剰の管理、土地や水の利用、建設労働の動員などをめぐって、権限が特定の集団に集中した可能性があります。つまり、都市は共同性を拡大する場であると同時に、共同性のあり方そのものを変える場でもあったのではないか。この点は、現段階では仮説として保持し、考古学的証拠によって検討する必要があります。
5. まず押さえておきたい文献
原論文と、その後の議論を追うための出発点です。
1. V. Gordon Childe, “The Urban Revolution” (1950)
The Town Planning Review, 21(1), pp. 3–17.
都市革命の原論文です。10指標だけでなく、都市を新しい経済・社会段階の成立として論じた原文を読むことが重要です。
2. Jason A. Ur, Philip Karsgaard and Joan Oates, “The Spatial Dimensions of Early Mesopotamian Urbanism: The Tell Brak Suburban Survey, 2003–2006” (2011)
Iraq, 73, pp. 1–19.
都市の中心部だけでなく、周辺居住域が結びつく過程を実証的に検討した研究です。先生の関心である都市と外部の空間構成に直接関係します。
3. “The Archaeology of Early Cities: ‘What Is the City but the People?’” (2024)
Annual Review of Anthropology.
初期都市の定義と比較研究をめぐる近年の議論を把握するのに適しています。
結び――次に何を調べるべきか
私なら、次の段階ではウルクを「最古の都市」として説明するだけでなく、ウルクとテル・ブラクの都市形成を、実際の発掘平面図と地域の集落分布図から比較するところに進みます。
中心部の公共建築、住居群、作業域、貯蔵・廃棄域、周辺の衛星集落、耕地や交通路を、同じ分析枠組みで見る。そのうえで、都市の成立にどのような空間的変化が伴ったのかを検討するのです。
この比較によって初めて、「都市とは何か」という概念上の問題を、抽象的な定義の議論にとどめず、建築と居住空間の具体的な証拠に結びつけられると思います。

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