家族—共同体―都市-国家の起源 その⑯
都市という言葉
布野修司
Shuji Funo
前回 都市という言葉、都市の定義,都市の起源について一度に聞いたので、整理させてください。今回は、都市という言葉(の起源)です。考古学的遺構は忘れてください。言葉ですから歴史時代です。
都市という言葉について、日本語の「都市」に当たる各国語の言葉を可能な限りグローバルに取り上げ、その起源を教えてください、と尋ねたら以下が解答でした(別掲)。
「都市」という言葉に「都市」の特性が示されていると考えることが出来ますね。
①城壁・城塞囲われた区域・区画,②王権の所在地,③市民・政治共同体,➃市場・交易・港,⑤居住地・集落・住む場所家・居住単位の集合、という整理は,都市の起源を考える上で大いに参考になると思います。最後におっしゃるように「「城塞」「王権・政治共同体」「市場・港」「居住地一般」という異なる意味の系譜を区別することが、最も有効な出発点になると思います。」、次回、お聞きします。⑤は、農耕集落と都市を区別する特性とはなりませんね。①については,城壁をもたない日本の都市をどう考えるかという問題になります。日本の津,泊・・・は➃ですね。布野が重視するのは②で「王権の所在地」としての「都城」ということになります。都市は、後背農耕集落との一定の関係において成立する,それを可能にする関係は何か、王の出現、権力の起源、国家の起源を問うことにつながるのではないかと考えています。③を②と一緒にするとChappyくんのいう「共同体」は⑤に含まれるんでしょうか←これは今回答えなくていいです。整理が大変です。
Q1 シュメール語 uru とアッカド語 ālu。両者は都市と村落を厳密に区別する語ではありませんでしたということで、ペンシルベニア大学のシュメール語辞典と楔形文字資料でも、この対応が確認できますということですが、何をもって都市と村落を区別しているんでしょうか?
Q2 フェニキア語の qrtはcoloniaの語源、あるいは関係ありますか
Q3 polis と asty、civitas と urbs という二組の対比を説明してください・
Q4 現代ヨーロッパ語の3つの系統、第一 civitas に由来する市民共同体系、第二は town、gorod、grad、város などの囲われた場所・城塞系、第三は Stadt、miasto、by などの場所・居住地系の歴史的経緯を推測でもいいですがまとめてください。
Q5 ペルシア語 shahr がは都市を含む政治的領域全体を指していた例を具体的に教えてください。
Q6 中央アジアでは、サマルカンド(Samarqand)、タシュケント(Tashkent)などの地名に残る -kand / -kent が都市名の接尾的要素として広く用いられ、中央アジアの都市文化と言語接触の歴史を反映していますということですが、その言語接触の歴史を教えて下さい。
Q7 サンスクリットのnagara, pura, puri, durga, nigama, pattana(港)の違いをもう少し詳しく教えてください。Kotaはサンスクリットではないですか?インドネシアには、nagara, pura, puri,kotaが使われます。
Q8 中国語の「都市」の使われる文献、できたら初出文献を教えて下さい。
Q9 タイ・ラオスの mueangは、中国起源だと思いますが?
Q10 アメリカ大陸、オセアニアは都市の発達?が遅かったということでいいですか?
Chat GPT
布野先生、今回は考古学的な都市の成立過程から離れ、「都市」を意味する言葉が、歴史的に何を指してきたのかという問題に限定して、10の質問に順に答えます。
先生が重視される「王権の所在地としての都城」という視点からすると、とりわけ重要なのは、都市を表す言葉が、単なる市街地だけでなく、王の支配する領域や政治的なまとまりを含んでいたかどうかです。
ただし、語源、歴史的な語義、後世の用法は区別する必要があります。例えば、ある語が現在「都市」を意味していても、その語源が「城塞」であったことと、実際に城塞を指した最古の文献が存在することとは別です。
以下では、できるだけ原語、具体的な歴史的用例、典拠を示します。語源が確定していない場合には、その点も明記します。
Q1 シュメール語 uru とアッカド語 ālu は、都市と村落を何によって区別したのか
結論から言うと、uru と ālu という語自体に、都市と村落を区別する明確な規模基準はありません。 区別が必要な場合には、政治的地位、制度、集落の性格、他の修飾語などが手がかりになります。
1.シュメール語 uru(iri)
シュメール語の URU(𒌷)は、都市・町・居住地を表す語です。楔形文字資料では地名の前に置かれる限定符としても用いられます。例えば、URU Uruk(ウルク)URU Ur(ウル)URU Nippur(ニップル)といった表記です。ただし、URU が付くからといって、その居住地が現代的な意味で都市であったことが保証されるわけではありません。これは地名の分類標識でもあるからです。政治的な意味を明確にするには、別の語との関係を見る必要があります。
| シュメール語 | 基本的な意味 |
| uru / iri | 都市、町、居住地 |
| é | 家、建物、神殿など |
| é-gal | 大きな家、宮殿 |
| é-kur | 山の家、エンリル神の神殿 |
| en | 主、祭司的支配者など |
| ensi₂ | 都市の統治者、支配者 |
| lugal | 王、文字どおりには「大きな人」 |
| kur | 山地、異国、外部の土地など |
ここで注意したいのは、例えば ensi₂ が都市の統治者を指す場合でも、uru の語義そのものに王権が含まれているわけではないことです。
2.アッカド語 ālu
アッカド語の ālu(楔形文字ではしばしば URU と表記)は、都市、町、集落を指します。それに対して、kapru は村落、農村集落を表す語として用いられます。したがって、前回の「都市と村落を区別する語がなかった」という印象を与える説明は不正確でした。ālu と kapru には語彙上の区別があります。ただし、ālu が常に大都市だけを指すわけではありません。また、アッカド語には dūru(城壁、城郭)、ekallu(宮殿)、bītu(家)など、都市を構成する施設や制度に関係する別の語があります。
3.何をもって区別したのか
文献上は、次のような要素が手がかりになります。第一に、城壁や門を持つかどうか。第二に、宮殿や神殿を持ち、統治機能が置かれているかどうか。第三に、都市と周辺集落の支配・従属関係が記されているかどうか。第四に、文書に都市名として現れるのか、村落名として現れるのかという用語上の区別です。ただし、これらは一律の判定条件ではありません。ここで先生の問題意識に関わるのは、都市を意味する名詞と、王権や支配を意味する語が、必ずしも一体ではないという点でしょう。
資料としては、University of Pennsylvania の Electronic Pennsylvania Sumerian Dictionary (ePSD2)、および The Assyrian Dictionary of the Oriental Institute of the University of Chicago(CAD)の ālu、kapru の項目が基本になります。
Q2 フェニキア語 qrt はラテン語 colonia の語源か
語源的な関係はありません。 ただし、両者は植民活動によって建設された都市を指すという歴史的接点を持ちます。フェニキア語 qrt は「都市・町」を意味し、セム語系の語彙です。最も有名な例はカルタゴです。Qart-ḥadašt(𐤒𐤓𐤕 𐤇𐤃𐤔𐤕)は「新しい都市」という意味です。ギリシャ語 Karchēdōn、ラテン語 Carthago へと変化しました。
一方、ラテン語 colonia は、動詞 colere(耕す、住む、土地を利用する)に由来します。colonus は耕作者、入植者を意味します。
| qrt | colonia | |
| 言語 | フェニキア語 | ラテン語 |
| 基本的意味 | 都市、町 | 入植地、植民共同体 |
| 語源的中心 | 都市的居住地 | 土地への入植・耕作 |
| 具体例 | Qart-ḥadašt | ローマの植民市 |
興味深いのは、フェニキア人の植民拠点が必ずしも qrt と呼ばれたわけではないことです。qart は一般的な都市名称であり、「植民市」を専門的に意味する言葉ではありません。これに対して、ローマの colonia は、入植と法的・政治的地位を含む制度的名称となりました。つまり、カルタゴの名称は「新都市」であることを示し、colonia は「入植によって成立した共同体」であることを示します。
Q3 polis と asty、civitas と urbs の対比
この二組は、都市を政治的なまとまりとして捉えるか、物理的な市街地として捉えるかという問題を考えるうえで重要です。ただし、単純に「政治=polis、空間=asty」と固定することはできません。
1.ギリシャ語 polis と asty
polis(πόλις)
Polis は都市、都市国家、市民の政治的共同体を意味します。古い用法には城塞・防御拠点との関係があります。古典期の polis は、城壁内の市街地だけでなく、その周囲の農村領域を含む政治的なまとまりを意味しえました。アテナイの polis は、アテナイの市街地だけでなく、アッティカ全体を含む政治共同体です。
asty(ἄστυ)
Asty は主として都市の市街地、建物が集中する部分を意味します。アテナイの場合、asty はアクロポリス周辺の中心市街地を指し、これに対して農村地域は chōra(χώρα)と呼ばれます。
概念的な関係
POLIS — 政治共同体市民、政治制度、支配領域
ASTY中心市街地
CHŌRA農村・領域
語の関係を示す概念図。歴史的な都市平面を表したものではありません。この関係を明瞭に示すのが、アリストテレスの『政治学』です。アリストテレスは第1巻第2章(1252b–1253a)で、polis を複数の村落から成る完成された共同体として論じます。また、トゥキュディデス『戦史』第7巻77章には、都市を城壁や船ではなく人間の集合に結びつける有名な言葉があります。ここから分かるのは、polis が建造物や市街地に還元されない概念であったということです。
2.ラテン語 civitas と urbs
civitas
Civitas は civis(市民)と関係し、市民権、市民の集合、政治的共同体、そしてその領域を意味します。ローマでは civitas Romana はローマ市民権、あるいはローマの市民共同体を指す表現です。また、ローマ帝国の属州では、civitas が特定の都市を中心とする行政的な共同体や領域を指すこともありました。
urbs
Urbs は物理的な都市、市街地を指します。大文字の Urbs は、とりわけローマ市を意味しました。都市の城壁、街路、建物などを含む空間的なまとまりを表す語ですが、必ずしも城壁の存在だけによって定義されるわけではありません。
| ギリシャ語 | ラテン語 | 中心的意味 |
| polis | civitas | 政治的・市民的共同体 |
| asty | urbs | 物理的な都市・市街地 |
| chōra | territorium / ager | 領域・土地・農村 |
この対比は有効ですが、完全な一対一の対応ではありません。特に civitas は市民権や法的地位を意味する点で、polis と異なります。もう一つ重要なのは、ローマには regnum(王国・王権)、imperium(命令権・支配権)という別の語彙が存在したことです。したがって、civitas を直ちに「王権の所在地」と理解することはできません。
この二組の言葉から確認できるのは、都市の中心市街地と、それを超える政治的共同体・領域を区別する概念が存在したことです。これは先生が問題にされている都市と後背農村の関係を、言葉の歴史から考える際の重要な手がかりになります。
Q4 現代ヨーロッパ語の三つの系統は、どのように形成されたか
前回の三分類は、語源を整理する便宜的な分類です。厳密には、言語系統の分類ではなく、都市を表す語が、何を出発点として意味を変化させたかという分類です。
1.civitas 系――市民共同体から都市へ
ラテン語 civitas は、ローマの政治制度とラテン語の普及を通じて、ヨーロッパ各地に広がりました。
| 言語 | 現代語 | 変化の系譜 |
| フランス語 | cité | civitas → cité |
| イタリア語 | città | civitas → città |
| スペイン語 | ciudad | civitas → ciudad |
| ポルトガル語 | cidade | civitas → cidade |
| 英語 | city | civitas → 古フランス語 cité → city |
ここで重要なのは、古代ローマの civitas と中世の cité が同一の政治制度を意味するわけではないことです。西ローマ帝国の解体後、ガリアではローマ時代の civitas の領域区分が司教区と結びつき、その中心都市が cité と呼ばれるようになりました。つまり、市民共同体 → 都市を中心とする行政領域 → 司教座都市 → 都市
という意味変化が生じたのです。英語 city にも、中世の司教座都市との歴史的関係があります。ただし、イングランドの city の地位が常に司教座の有無だけで決まっていたわけではありません。なお、フランス語の ville は別系統です。ラテン語 villa(農村の屋敷・所領)から、集落、町、都市へと意味を拡大しました。これは、農村的な居住地名称が都市の一般名称になった重要な例です。
2.town、gorod、grad、város 系――囲われた場所から都市へ
これらは同一語源ではありませんが、囲い、防御、城塞という意味領域を共有します。英語 town は古英語 tūn に遡り、囲われた場所、屋敷、農場などを意味しました。現代英語の town が中規模の町を指すようになったのは、その後の意味変化です。ロシア語 gorod、南スラヴ諸語の grad は、スラヴ祖語の囲われた場所、城塞を意味する語に遡ります。同系の語は、例えばロシア語 ogradá(囲い、柵)などにも残っています。ハンガリー語 város は、vár(城・城塞)と関係します。ただし、ハンガリー語はウラル語族であり、スラヴ語やゲルマン語と同一の語族ではありません。
こうした語彙が広く都市名称となった背景には、中世ヨーロッパで城塞、領主の拠点、交易地、特権を持つ町が結びついた歴史があります。しかし、すべての town や gorod が実際に城塞から成立したことを意味するわけではありません。
3.Stadt、miasto、by 系――場所・居住地から都市へ
ドイツ語 Stadt は古高ドイツ語 stat に遡り、基本的には場所、所在地、立っている場所という意味を持ちました。英語 stead と同系です。ポーランド語 miasto、チェコ語 město、ウクライナ語 misto は、スラヴ語の「場所」を意味する語に由来します。ロシア語 mesto(место)は、現在も一般的に「場所」を意味します。一方、デンマーク語・ノルウェー語の by は、古ノルド語 býr(農場、居住地)に由来します。これらの語では、特定の場所や居住地が、歴史的に都市を意味するようになりました。ただし、ここで興味深いのは、ドイツ語 Stadt が中世に都市の法的地位と結びついたことです。ドイツの中世都市には、Stadtrecht(都市法)、市場権、自治的な裁判権などが成立しました。したがって、語源は「場所」であっても、歴史的には政治的・法的な意味を獲得しています。
4.三つの系統を歴史的に比較すると
| 系統 | 語源的な出発点 | 都市を意味するようになった歴史的契機 |
| civitas 系 | 市民・政治共同体 | ローマの行政制度、司教座都市、中世都市 |
| town / gorod 系 | 囲い・城塞 | 城郭、領主権、防御拠点、市場 |
| Stadt / miasto / by 系 | 場所・居住地 | 居住地の発達、都市法、市場特権 |
この分類に収まらない重要な例が、すでに述べた ville です。また、ヨーロッパの都市名称は、都市の政治的地位が変化することによって意味を変えてきました。語源だけから都市の歴史を読み取ることはできません。なお、polis に由来する現代ギリシャ語 póli は、三分類とは別に、古代からの語彙的連続性を持つ例として位置づけるのがよいと思います。
Q5 ペルシア語 shahr が都市を含む政治的領域全体を指した具体例
これは非常に明確な史料があります。1.古代ペルシア語 xšaθra
現代ペルシア語 shahr(شهر)は、古代イラン語の xšaθra- に遡ります。この語の古い意味は、支配、統治権、王国、支配領域です。サンスクリット語 kṣatra(権力、支配力)と同系です。すなわち、現在「都市」を意味する shahr は、もともと王権・支配権を意味する言葉から発達したものです。
doi.org
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2.Ērānšahr――イランの王国
最も重要な例は、ササン朝ペルシアの Ērānšahr です。史料:シャープール1世の碑文(3世紀)ササン朝のシャープール1世(在位240–270年頃)は、ナクシェ・ロスタムの「ゾロアスターのカアバ」に刻まれた碑文で、自らを Ērānšahr の支配者と表現しています。この Ērānšahr は、都市としてのイランではなく、ササン朝の支配する王国・帝国的領域を意味します。碑文には、ペルシス、パルティア、フーゼスターン、メソポタミアなどの地域が挙げられます。したがって、この場合の shahr は明らかに一都市ではありません。
Encyclopaedia Iranica
+1
3.『Šahrestānīhā ī Ērānšahr』
さらに興味深い史料があります。Šahrestānīhā ī Ērānšahr(『イラン王国の諸都市』)です。この中世ペルシア語の地理書は、イランの諸都市とその建設者、歴史的重要性を列挙しています。成立には複数の段階があり、現存する形の最終編集は8世紀末から9世紀初頭と考えられています。ここでは、Ērānšahr = イランの王国・領域
- šahrestān = 都市、城郭都市などという異なる語義が、一つの書名の中に現れています。これは、先生が注目されている**政治的領域としての「国」と、その内部に位置する「都市」**を、語彙上区別する好例です。
ncyclopaedia Iranica
この点では、古代イラン語の xšaθra から中世ペルシア語 šahr、現代ペルシア語 shahr への意味変化は、今回の比較の中でも特に重要です。ただし、「王権・支配領域」から「都市」へ、いつ、どのような社会的過程で意味が限定されていったのかは、語源だけでは説明できません。
参考文献としては、D. N. MacKenzie, “ĒRĀN, ĒRĀNŠAHR,” Encyclopaedia Iranica、および Touraj Daryaee, Šahrestānīhā ī Ērānšahr(2002)が重要です。
Q6 中央アジアの -kand / -kent と言語接触の歴史
サマルカンド、タシュケントなどの地名に残る -kand / -kent は、中央アジアにおけるイラン語系住民とテュルク語系住民の長い接触の歴史を示しています。
1.語源
kand / kent は、一般にソグド語など東部イラン語系の都市・町を表す語彙に由来すると考えられます。ソグド語は、サマルカンド、ブハラなどを中心とするソグディアナで使用された東部イラン語です。一方、現在のウズベク語やカザフ語などはテュルク語族に属します。したがって、中央アジアの地名には、古いイラン語系の都市名称が、後のテュルク語系住民によって継承されたものがあります。
2.代表的な都市名
| 地名 | 構成・語源について |
| Samarqand | -qand は都市を表す要素。Samar- の語源は諸説あり |
| Tashkent | テュルク語 tash(石)+ kent(都市)と説明される |
| Yarkand | -kand を含む古い都市名。前半要素には諸説 |
| Panjakent | ペルシア語 panj(五)+ kent(町)とする解釈がある |
| Chimkent / Shymkent | -kent を含む都市名。前半要素には諸説 |
サマルカンドの語源については、単純に「石の都市」と断定できません。タシュケントの tash がテュルク語で石を意味することと、サマルカンドの Samar- の語源は別問題です。
3.言語接触の歴史
- 紀元前1千年紀~古代:イラン語系の都市文化
ソグディアナやバクトリアなどで、東部イラン語系の言語が使用されました。アケメネス朝の碑文にもソグディアナの名称が現れます。
- 4~8世紀頃:ソグド人の交易ネットワーク
ソグド人商人は中央アジアから中国へ活動を広げ、ソグド語はシルクロードの重要な交易言語となりました。
- 6~10世紀頃:テュルク語系勢力の拡大
突厥などの台頭により、イラン語系住民とテュルク語系住民の接触が進みます。都市名や地理的名称は、新しい言語環境にも継承されました。
- 9~12世紀頃:イスラーム化とペルシア語・テュルク語の普及
サーマーン朝、カラハン朝などの時代に、ペルシア語とテュルク語の影響が強まりました。都市名に残る -kand / -kent は、古い言語層を伝える要素となります。
この経緯については、Encyclopaedia Iranica の “SOGDIANA i. The Name” および “SOGDIANA iii. History and Archaeology” が基本的な資料になります。
Encyclopaedia Iranica
+1
ここで興味深いのは、都市名を構成する語が、住民の言語が変わった後も残ることです。都市を指す言葉の歴史は、必ずしも同じ言語共同体の連続的な歴史ではありません。中央アジアでは、地名がイラン語系からテュルク語系への言語交替を記録しているわけです。
Q7 サンスクリット語 nagara、pura、purī、durga、nigama、paṭṭana の違いと kota の語源
インド亜大陸の都市名称には、城塞、王都、市場、港市などの意味の違いがあります。ただし、これらの言葉が、いつの時代にも明確に使い分けられていたわけではありません。
1.六つの語の比較
| 語 | 基本的意味 | 特徴 |
| nagara(नगर) | 都市、町 | 一般的な都市名称。王都にも用いる |
| pura(पुर) | 城塞、都市 | 古い語義では防御・城郭との関係が強い |
| purī(पुरी) | 都市、城郭都市 | pura と近縁。王都や聖都の名称にも用いる |
| durga(दुर्ग) | 要害、城塞 | 防御施設、接近困難な場所 |
| nigama(निगम) | 市場町、交易集落 | 商業活動を伴う町を指す用法 |
| paṭṭana(पट्टन) | 町、商業都市、港市 | 交易都市・港市との関係が強い |
2.nagara
Nagara は、サンスクリット語の一般的な都市名称です。都市そのものを意味することも、王の所在地を意味することもあります。古典期以降の文献では、nagara は王宮、街路、市場、居住区などを含む都市を指します。しかし、語源自体に王権が含まれていると断定することはできません。例えば、都市計画や王都建設を論じる『アルタシャーストラ』では、都市、城塞、行政拠点などに関する語彙が用いられています。重要なのは、nagara だけでなく、durga などとの関係を確認することです。
3.pura と purī
Pura は非常に古い語です。『リグ・ヴェーダ』では pur(城塞、防御された拠点)が現れ、インドラが敵の城塞を破壊するという表現が繰り返されます。この語は、ギリシャ語 polis とインド・ヨーロッパ語族の古い語彙の比較において取り上げられます。ただし、両者が単純な同源語であると断定するのは避けるべきです。後世の pura、purī は都市名称として広く使われます。例えば、ジャイプル(Jaipur)、ジョードプル(Jodhpur)、ナーグプル(Nagpur)、カーンプル(Kanpur)などの -pur は、都市名を構成する要素です。一方、プリー(Puri)は、オディシャ州の著名な聖都の名称です。
ここでは、古い城塞関連語が一般的な都市名称へと意味を拡大しています。
4.durga
Durga は、近づきにくい場所、要害、城塞を意味します。都市一般よりも、防御・軍事の機能が明確です。『アルタシャーストラ』第2巻第3章は、城塞建設を論じる重要な箇所です。そこでは、地形や立地に応じた城塞の分類が扱われます。したがって、durga は都市と同義というよりも、都市を防御する施設、あるいは防御拠点としての都市を指す語です。
5.nigama
Nigama は、商業や交易との関係が重要です。パーリ語の nigama は、村落を超える市場町・交易町を指す用法を持ちます。初期仏教文献では、gāma(村)、nigama(町・市場町)、nagara(都市)などが使われます。ただし、これらを人口規模による固定的な三段階と考えることはできません。特に nigama は、交易活動や地域的な経済機能を考えるうえで重要な語です。
6.paṭṭana
Paṭṭana は、町、商業都市、港市を意味します。ここでは前回の説明を少し訂正します。paṭṭana が常に「港」を意味するわけではありません。 内陸の商業都市を指す場合もあります。ドラヴィダ語系の paṭṭinam との関係も論じられますが、借用の方向や語の古い成立過程については慎重な検討が必要です。南インドのタミル語では、paṭṭinam は港湾都市を指す重要な語です。例えば、カーヴェーリパッティナム(Kāvēririppaṭṭinam、プハール)は、チョーラ朝以前からの港市名称として知られます。この場合は、ūr(居住地、村、町)と paṭṭinam(商業・港湾都市)を対比することができます。
7.kota はサンスクリット語か
ここは先生のインドネシア研究に直接関係する問題です。結論は、インドネシア語 kota は、サンスクリット語 nagara や pura と同じ系統の都市名称ではありません。マレー語・インドネシア語 kota は、城塞、囲われた場所を意味するインド系語彙と関係し、一般にドラヴィダ語系の kōṭṭai(城塞)などとの関連が論じられます。一方、サンスクリット語にも koṭa、koṭṭa など、城塞に関係する語形があります。したがって、「kota はサンスクリット語ではない」と単純に切り捨てるのも正確ではありません。問題は、マレー語に直接入った語形がどの言語を経由したのか、ということです。
この点は、サンスクリット語辞典だけでは確定できず、古ジャワ語、古マレー語、タミル語の歴史辞典を照合する必要があります。
8.インドネシアにおける nagara、pura、puri、kota
インドネシアでは、インド系の語彙が、王権・宗教・城塞・居住地という異なる意味を獲得しています。
| 語 | インドネシア・ジャワ・バリでの主な用法 |
| nagara / negara | 王国、国家、政治的領域 |
| nagari | 国・地域・共同体。ミナンカバウでは慣習的な地域共同体 |
| pura | バリ島ではヒンドゥー教寺院 |
| puri | バリ島では王族・貴族の宮殿、屋敷 |
| kota / kutha | 城塞、城郭、都市 |
| keraton / kraton | ジャワの王宮、王権の中心 |
| bandar | 港、交易拠点 |
ここで特に興味深いのは、nagara がインドネシア語では negara(国家)となり、pura がバリ島では寺院、puri が王宮を意味することです。これは単純な語義の継承ではありません。インド系の政治・宗教概念が、ジャワやバリの王権制度と結びついて、意味を変化させたものと考えるべきです。また、ジャワの kutha は、単なる都市一般ではなく、城郭や政治的中心と結びつく用法を持ちます。したがって、先生のいう「都城」を考える場合、インドネシアでは nagara、kutha、kraton の相互関係が重要になります。特に、14世紀のジャワ宮廷文学『デーシャワルナナ』(通称『ナーガラクルターガマ』、1365年)における nagara の用法は、王都と王国の関係を考えるうえで重要な検討対象です。基本文献として、P. J. Zoetmulder, Old Javanese-English Dictionary(1982)、および Th. G. Th. Pigeaud, Java in the 14th Century(1960–1963)が挙げられます。
Q8 中国語「都市」は、いつから使われたのか。初出文献は何か
これは今回の10問の中でも、さらに文献調査が必要な問題です。まず、次の三つを区別する必要があります。
- 「都」という漢字の成立と用法
- 「市」という漢字の成立と用法
- 「都市」という二字熟語の成立と用法
1.「都」の古い意味
『説文解字』邑部には、都,有先君之舊宗廟曰都。とあります。すなわち、先君の宗廟を持つ邑を「都」と呼ぶという説明です。ここでの「都」は、単に大きな集落ではなく、祖先祭祀と政治的権威を備えた拠点を意味します。また、『左伝』荘公二十八年には、
凡邑有宗廟先君之主曰都,無曰邑。とあります。「邑のうち、先君の宗廟と神主を持つものを都といい、持たないものを邑という」という意味です。これは、先生の問題意識から見て非常に重要な記述です。「都」と「邑」の区別が、集落の規模や城壁の有無ではなく、宗廟の存在、すなわち政治的・祭祀的な地位によって説明されているからです。ただし、この記述は当時のすべての都市名称を説明する普遍的な定義ではなく、『左伝』に記録された特定の概念的区別です。
2.「市」の古い意味
『説文解字』には、市,買賣所之也。とあります。「市」は売買の行われる場所、すなわち市場を意味します。また、『周礼』地官・司市には、市場の管理、商取引、時間帯による市場の区分などが記されています。したがって、中国の古典的な語彙において、「都」と「市」は、もともと異なる意味を持っていました。
| 漢字 | 古い意味の中心 |
| 都 | 宗廟を持つ政治的中心、大きな邑、首都 |
| 市 | 市場、売買の場 |
| 城 | 城壁、防御施設、城郭都市 |
| 邑 | 居住地、政治的集落 |
| 京 | 大きな丘・高所に関係する古義から、王都などを意味する語へ |
3.「都市」という二字熟語の初出
ここは断定を避けます。「都市」という語は、近代日本で新しく組み合わせられた漢字語と考えるべきではなく、中国古典語に先行する用法があります。ただし、現時点で、私が原文の所在まで確実に確認できる最古の「都市」の用例は特定できていません。したがって、『史記』『漢書』『後漢書』などを初出として挙げることは、原文の照合なしにはできません。また、古典中国語に「都市」という二字が連続して現れたとしても、それが現代的な意味での「都市」を表す熟語なのか、「都の市場」を意味する組み合わせなのかを検討する必要があります。初出を確定するためには、少なくとも次の点が必要です。
- 先秦・漢代の文献における「都市」の連続用例
- 「都」「市」が独立した語なのか、一つの複合語なのか
- 唐宋以降の「都市」の意味
- 近代中国語と近代日本語での「都市」の意味変化
日本語の「都市」については、望月卓郎・渡辺貴介・十代田朗「わが国における用語『都市』の登場と定着過程に関する研究」(1994)が、1878年の辞書、1881年の専門出版物、1888年の法令での用例を確認しています。
J-STAGE
ただし、これは日本語における近代的な都市概念の定着過程であって、中国語の「都市」という二字熟語の初出を示すものではありません。この問題については、初出文献を確認できなかったことを明記しておきます。
Q9 タイ・ラオスの mueang は中国起源ではないか
先生の指摘は、タイ系諸民族の歴史的な居住地域を考えると、十分検討する価値があります。ただし、結論を先に述べると、mueang は中国語からの借用語と断定するよりも、タイ諸語に共通する古い語彙と考える方が、現在の比較言語学的な説明に合っています。
1.mueang の分布
タイ語 mueang(เมือง)に対応する語は、タイ・ラオスだけでなく、中国南部、ミャンマー、ベトナム北部、インド北東部のタイ系諸語にも分布します。
| 言語 | 語形 |
| タイ語 | mueang |
| ラオ語 | mueang |
| シャン語 | möng |
| タイ・ルー語 | müang / möng |
| タイ・ヌア語 | möng |
| アホム語 | müng |
| ベトナム北部のタイ系諸語 | mường など |
これらは、タイ祖語に遡る同系語と考えられます。中国語にも「勐」(měng)という地名・行政地理上の表記が存在します。例えば雲南省西双版納の勐海、勐臘などです。しかし、この「勐」はタイ系言語の mueang に対応する音写・借用表記であり、漢字「勐」が語源であることを意味しません。
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2.政治的領域としての mueang
歴史的な mueang は、単なる都市や町ではありません。一般に、支配者の居所となる中心集落と、その周辺にある村落・耕地を含む政治的単位を指します。伝統的なタイ・ラオスの政治体制では、複数の mueang が大小の階層関係を形成することがありました。したがって、mueang は「都市」と「領域」の両方を意味する語です。
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この点では、先に見た polis や Ērānšahr、後述する āltepētl と比較することができます。ただし、王権のあり方や領域の統治制度まで同じだったという意味ではありません。
3.中国起源説をどう考えるか
ここでは「中国起源」という言葉を二つに分ける必要があります。第一に、地理的な起源です。タイ諸語の形成・拡散には、現在の中国南部、特に広西・貴州・雲南などの地域が深く関わっています。この意味で、mueang の歴史が中国南部の地域史と密接に結びついていることは確かです。第二に、漢語からの借用という意味です。
こちらは別問題です。タイ祖語に再建される語である以上、単に中国語に似た表記があることをもって漢語起源とはできません。むしろ、タイ系言語の語が中国語の地名表記に取り込まれた可能性を考える必要があります。なお、タイ語には mueang(เมือง、政治的領域・町)とは別に mueang に近い発音の เหมือง(鉱山・水路などに関係する語)があり、両者の語源を混同しない注意も必要です。先生が関心を持たれている王都と後背農村の関係を、言葉から考える場合、mueang は非常に重要な例です。
Q10 アメリカ大陸、オセアニアは都市の発達が遅かったと考えてよいか
今回は言葉の問題に限定しますが、この質問については、「都市の発達が遅かった」という一般化は適切ではありません。特にアメリカ大陸とオセアニアは分けて考える必要があります。
1.アメリカ大陸
アメリカ大陸では、ヨーロッパ人の到来以前から、都市や政治的領域を表す独自の語彙が存在していました。特に注目したいのは、ナワトル語の āltepētl です。Āltepētl は、ātl(水)と tepētl(山)から成る語で、町、政治共同体、領域を意味します。ナワトル語の歴史辞典では、単なる市街地ではなく、主権的な社会政治単位を指すことが確認できます。
Nhuatl Dictionary
また、āltepētl は領域を支配する tlatoani(支配者)と結びつきます。スペイン人到来以前のメソアメリカにおいて、āltepētl は都市的中心と周辺の土地・住民を含む政治的単位でした。
Arqueología Mexicana
この意味で、先生が重視される「王権の所在地」と「後背農村を含む政治的領域」の関係を、言葉の上から考えることができます。マヤ諸語にも、町や共同体を意味する kaaj、古典マヤ語の政治的・都市的な文脈に現れる ch’e’n などの語があります。
アンデス地域のケチュア語 llaqta も、町、居住地、故郷などを意味します。ただし、これらの語を同じ「都市国家」という概念に一括することはできません。アメリカ大陸では、少なくともメソアメリカとアンデスにおいて、ヨーロッパとは独立した都市文化と、それを表す政治的・地域的な語彙が発達していました。
2.オセアニア
オセアニアは事情が異なります。多くの島嶼社会では、ヨーロッパ的な都市に直接対応する語よりも、村落、首長の居所、祭祀拠点、防御集落などを表す語が重要でした。例えば、マオリ語の pā は、防御された集落や砦を意味します。一方、マオリ語 tāone(町)は英語 town からの借用語です。しかし、近代的な「都市」を表す固有語がなかったからといって、高度な政治的中心が存在しなかったわけではありません。
トンガでは、ヨーロッパ人の到来以前から首長権と結びつく大規模な政治的・儀礼的拠点が発達していました。近年の研究では、従来考えられていたよりも早い時期に、こうした政治的中心の形成が進んでいた可能性が指摘されています。
Cambridge Core
したがって、オセアニアでは、都市という語の有無よりも、王権・首長権の中心をどのような言葉で表現していたのかが重要になります。
10問を通して見えてくる語彙上の特徴
先生が最初に挙げられた五つの分類は、基本的に有効だと思います。ただし、今回の検討を踏まえると、「王権の所在地」と「政治的領域」を区別しておくことが必要でしょう。例えば、次のようになります。
| 意味の中心 | 代表的な語 |
| 城塞・防御拠点 | pura、durga、gorod、kota |
| 王権・支配権 | xšaθra、shahr の古義 |
| 王都・政治的中心 | 中国語「都」、nagara の一部の用法 |
| 都市と後背地を含む政治的領域 | polis、mueang、āltepētl、Ērānšahr |
| 市民共同体 | civitas、polis |
| 市場・港湾・交易 | nigama、paṭṭana、中国語「市」 |
| 居住地一般 | uru、ālu、ūr、by |
特に注目したいのは、王の居所を意味する言葉と、王が支配する領域を意味する言葉が、同じ語彙の中で重なっている場合があることです。例えば、ペルシア語 shahr の古い意味、タイ・ラオスの mueang、ナワトル語の āltepētl は、それぞれ異なる歴史的背景を持ちながら、都市的中心を含む政治的領域という意味を持っています。
ただし、これらを直ちに同一の都市形成原理の表れと考えることはできません。
また、中国語の「都」は、宗廟を持つ邑という古典的な説明によって、政治的・祭祀的な権威と結びついています。ここでは、単に都市が大きな集落であるかどうかではなく、ある居住地が他の居住地と異なる政治的地位を持つことが、言葉の上で表現されているという点が重要です。今回、特に確実な史料として挙げられるのは、『左伝』荘公二十八年の「都」と「邑」の区別、アリストテレス『政治学』の polis、シャープール1世碑文の Ērānšahr です。これらは、それぞれ異なる仕方で都市と政治的権威・領域の関係を示しています。なお、Q8の中国語「都市」の初出、およびQ7の kota の直接の借用経路については、今回の回答では確定できていません。推測で埋めず、未確定の問題として残します。先生が次回検討される都市の定義や起源論とは切り離しても、これらの言葉の歴史そのものが、十分に比較研究の対象になると思います。

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